第14話 第十五日目 アラビアの街―1


 

 翌朝王様は仕事を済ませるために早めに起きたようで輝が目を覚ました時は一人でベッドに寝ていた。

 部屋に戻り朝食を取った後侍女が衣服を一式持ってきた。


 ‟今日はこれをお召しになるように、とのことです”


 誰が、とは言われなかった。最近侍女たちの言葉遣いや態度が変わってきている。

差し出されたそれは柔らかな布でゆったりとした上下だ。オレンジを基調としてシンプルだが肌触りがよく長そでのブラウスに幅広のパンツ。足首のところで詰まっている。体を締め付けないので暑苦しくない。それに生成りの大判のスカーフ。出かけるための衣装なのだろう。


 それを着て昼近くにお、そらく宮殿の裏口らしきところに案内された。扉を開けるとそこには背の高い男が立っていた。同じようにゆったりとした生成りのシャツとパンツ。頭には緩く布を巻いて一方が垂れているがそれで口元を隠している。顔の三分の二が隠れているがその目元でシャフリヤールだとわかる。輝を見て鋭い目元が優しく細められる。

 手を差し出された方に歩いて行くと軽く背中に手を添えられ促されるように並んで歩き出す。

 白い建物の間の細い路地をしばらく歩いて行くといきなり目の前が広がった。そこはまるで別世界。


‟わあ!”


 一歩通りに出た途端街の喧噪に包まれた。静かと言うほどではないが大声や大きな物音は聞こえず鳥の声や人の小さな話し声くらいしか聞こえない宮殿とは全く違う。

 大声で物を売る男や姦しい女達の話声。走り回る子供達。道を行きかう人々は多く、肩をぶつけ合いながら自分たちの目的地に向かっている。ロバの嘶き。翻るカラフルな布や色とりどりの果物。強い日差しと土埃、白茶けた石でできた建物。映画などで見たことのある黄土色に赤やオレンジの世界が広がる。


 ひやーまさに異国情緒だ。

 同じ混雑でも東京のラッシュ時の混雑とは大違い。


 圧倒されて黙り込んだ輝の顔を覗き込み、シャフリヤールは説明する。


 ‟ここがこの王都の一角にある市だ。主に商人たちが出入りし異国の物も含めいろんなものが手に入る”


 ‟すごい”


 キョロキョロを見回しながらふらふらと歩き始めた輝の手をシャフリヤールがぐっと掴む。


 ‟手をつないでいないと迷子になるぞ”


 “え?いや大丈夫”


子供じゃないんだから。


 “お前のような異国の娘がここで迷子になったらまず見つからない。攫われて奴隷市に連れていかれる”


 ‟奴隷って…”


 ここに来たばかりの頃、奴隷奴隷と言われていたが今一つ実感がわかなかった。だが今この状況で攫われるかもしれないとなると怖くなる。輝は大人しく手を取られるままにしていた。


 ‟何か見たいものや気に入ったものがあれば言え”


 ‟ところで王様、王様はこんな風に勝手に出歩いていいんですか?”


 “護衛が離れてついてきてる。こんな格好をしているから誰も我に気づかない。王になる前はもっと頻繁に来ていた”


 あ、やっぱり護衛はいるのね。お忍びと言うやつだ。ちょっとわくわくする。


 ふ、と近くの店に目を向けるとアクセサリー屋さんだろうか。いろいろな石が並べてある。


“きれい”


 輝の目線を追ったシャフリヤールがそちらに向かう。自動的に手を引かれて輝も続く。


“これは西方から来た石を使った首飾りです。これほど澄んだ青はなかなか希少ですよ”


 王とはわからなくても金持ちには見えるシャフリヤールに店主が揉み手をしながら近づいてきた。


 ‟こちらの紅い石なんかそちらのお嬢さんにどうです。そのきれいな肌に似合いそうだ。これは東国から来たもので昨日商隊が到着したばかりですよ”


 輝が赤い色のついたペンダントに見とれているのに気がついたのかおやじが勧める。


“気に入ったのか?買うか”


“いえ、いいです。いらない”


 これらの石の価値がどうなのかさっぱりわまらなかったが、値段に関係なく買えない。


“なぜだ、何でも買ってやるぞ”


‟いや、本当にもらえません”


 二人のやり取りを怪訝な顔で店主は見ていたが、かたくなな輝にシャフリヤールの機嫌は悪くなった。


 でも、もらえない。もらえないならお金を使ってほしくない。


 輝は後ずさる。

 シャフリヤールは構わず、店主に代価を払う。それを気まずい思いで少し離れてみていると人の波でシャフリヤールが見えなくなった。アッと思った時輝の方がぐいと掴まれた。


‟嬢ちゃん、迷子か?”


“え?ちが…”


 否定しながらシャフリヤールを探すが目の前の男に視界が遮られる。


‟東国から来たのか?”


“見ろよ、この肌。絹みてぇだ”


“よせよ、まだガキじゃねぇか。使いもんになんのか”


 あっという間に囲まれた。目つきの悪い男が三人輝を見下ろしながら怪しい会話をしている。


‟本当に連れはいねぇのか?奴隷にしちゃ身なりがいいぜ”


‟どっかの金持ちの妾かもな”


‟隠しちまえばこっちのもんだ”


 怖い!王様、どこ?


 自由になっていたもう片方の手も掴まれ、両手を後ろにまとめられ口をふさがれる。恐怖で体が硬直した。


 その時


‟何をしている”


“ひ!”


 輝の目の前にいた男の首筋に短刀が当てられた。


‟俺の目の前で俺のものを盗もうとするなどいい度胸だな”


 口調は静かだが底冷えのするよう声が聞くものを凍り付かせた。シャフリヤールがすっと腕を動かした途端、男の耳元から血が噴き出した。


“ぎゃ!”


 と言う悲鳴がしたがそれは街頭で奏でられている踊り子のための音楽にかき消された。

 その時護衛が達が走る寄ってきて男たちを素早く拘束する。彼らはあくまでも王の護衛で彼に張り付いていたのだろう。やや焦った表情だ。

 開放された輝の肩を抱き寄せシャフリヤールが一言


“処分しろ”


 と言って男たちに背を向けて歩き始めた。


‟うわあ、やめてくれ”

‟許してくれ”


と言う男たちの悲鳴を無視してシャフリヤールは歩き続ける。


 ほんの短い時間の目まぐるしい展開。


 怖かった…


 まだ体が震えている。力強い手にぎゅっと抱き寄せられ耳元に口が寄せられる。。


 ‟そばを離れるなと言っただろう”


 その声は先ほどと打って変わって優しかった。



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