2話 歌と声(3/8)


「――で、結局、会長さんの声を噛み締めてたら完全に遅刻しちゃったのね?」

ミモザの言葉に、私は頷く他なかった。

「わざわざ会長さん達が待っててくれたのに……?」

「うぐっ」

それを言われると、途端に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「もぅ、アキちゃんったら……」

くすくすと笑ってくれるミモザにちょっと救われて、私は俯いてしまった頭をあげた。

勝手知ったるミモザの部屋。

けれど、目の前の見慣れた机の上には、見慣れない立派なマイクがあった。

「ところでミモザさん? このマイクは……?」

「えっと……お父さんが、……買ってくれちゃった」

「くれちゃったんだ?」

聞き返せば、ミモザはちょっと恥ずかしそうに小さく頷く。

ミモザがわざわざこの録音のためにマイクを買ってくれとは言わないだろうし、多分言い方からすると、真剣に歌の練習をする娘の姿にパパさんが勝手に気を回して買ってくれたという感じだろうか。

「じゃあ早速、ありがたく使わてもらっちゃおうか」

私が言えば、ミモザも「うん」と微笑んだ。


暑い最中に雑音防止でエアコンを消して歌を録った時には汗だくになって大変だったけど、この季節なら楽勝だよね。


前は二人で一緒に録ったけど今回は一人ずつの録音になるので、まずは私が歌う。

「いきまーすっ」

マイクを握って言えば、ミモザが部屋の隅で息を潜めた。


イヤホンから聞こえる音楽に合わせて、気持ちを込めて、この歌を聴いてくれる人に元気をいっぱい届けられるように。


ああ、素敵な音がいっぱい詰まってる。

私はこの曲が大好きだなぁ。


最後の音の最後の最後まで、しっかり気持ちを詰め込んで、それから音を立てないようにそっと録音停止ボタンを押す。

「よしっ完璧っ!!」

「ふわぁぁぁ、アキちゃんすごいよぅぅぅぅぅぅっ」

ミモザが何だか瞳をうるうるさせている。

「感動しちゃった?」

冗談のつもりだったのに、ミモザはコクコクコクと頷いた。

そっかー、感動しちゃったかぁ。ミモザったら可愛いなぁ。

途中二箇所くらいよく失敗するところがあったんだけど、今のはどっちもバッチリ歌えた。

私、本番には結構強い方なんだよね。

「今度はミモザの番だよ」

言ってマイクを差し出せば、ミモザが小さく肩を揺らす。


ミモザは逆に、本番だと思って緊張しちゃうとダメなんだよね……。

練習ではすっごく上手なのに、もったいないなぁ……。

ミモザ本来のふんわりした優しい癒しボイスが、上手に歌わなきゃって思うと途端にぎこちなくなっちゃうんだよね。


「ま、待って待って……。さ、最後にもう一回だけ、練習してもいい?」

「うん。ごゆっくり」

私も、ミモザならそう言うと思ってたんだよね。


ミモザは私の目の前で歌うのが恥ずかしいのか、廊下に出てしまう。

その後を、気配を精一杯殺して、そっと追いかけた。


部屋に戻ってきたミモザは、やっぱり三回歌い直したところで涙目になった。

「だめぇぇぇ。どうしてもミスっちゃうよぅぅぅぅぅ」

「大丈夫大丈夫。上手くできてるとこだけ繋いだらいいんだよ」

「ぅぅ、そうかも知れないけどぅ……」

悲しげに目を伏せるミモザの長いまつ毛がためらうように揺れる。

「そうじゃなくて、ミモザは緊張して歌声が固くなっちゃってるのが嫌なんだよね?」

「ぅ……そうなのぅ……」

うんうん、こうなるだろうと思ってた。

「こんなこともあろうかと!」

私は、さっきこっそり盗み録りしたミモザの練習音声をスマホで再生する。

「ぇえっ!? いつの間に!?」

「さっきの練習の」

「よかったぁ……。盗聴器でも仕掛けられてたのかと思ったよぅ……」

「いやいや、流石にそれはないから。ほら、ミモザっていつも練習では上手に歌えるでしょ? だから、いっそのこと練習を録っちゃえばいいんじゃないかなって思って」

「廊下だったから、ちょっと音反響してるね……」

「大丈夫大丈夫。その辺はきっと音楽をわかってる人が何とかしてくれるよ」

「そ、そうかなぁ……。私とアキちゃんの録音環境が違ってたら、編集する時に空さんが困らない?」

「録音環境の指定とか全くなかったし、大丈夫大丈夫っ!」

「やっぱり録り直す方が……」

「もうここまでにしとこ? これ以上やっても、結局ミモザは納得できないと思うし」

「んんん……それは……そう、かも……だけど……」

「それに、私はもうお腹ぺっこぺこだから、この先は録音中にお腹の音が入っちゃうかもだよ?」

「えええ? それは……困っちゃうね」

「でしょ? じゃあ歌はこれで送っとくね」

言いながら、私はさっさと二人分の音声データをストレージサービスにアップロードする。

「え、う、うん…………でも……」

どうしようという顔で目を泳がせているミモザを横目に簡単にDMを書き終えると、送信ボタンをタップした。

「そーしんっ!」

「あっ、アキちゃんんんっ」

慌てるミモザにばっちり送信し終わったDMを見せれば、ミモザもようやく諦めたような、ちょっとホッとしたような顔になった。

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