2-7

 城を模した建物の内部は思いのほか広かった。天井は高く、城というよりも聖堂と言った方が正しいだろう。ステンドグラス調の窓は外の薄明かりを取り込んで、清澄とした雰囲気を演出していた。けれどその下では、涜神行為と呼ぶべき悪行が執り行われていた。


「あぁっぐ、う、う、いぁ、いや、嫌だ止め――」


 涙の混じった声の懇願は途切れる。朔たちは僅かに開いた扉の前に立ち、その隙間から見えた光景に言葉を失う。陰惨なんてもんじゃない。人間の遺骸がそこら中に転がっていた。溢れた血がつるりとした大理石調の床を汚し、扉の隙間から流れ出て来てくるほどだったのだ。天井からは少女、少年、二十歳前後の男女が家畜のように吊るされている。皆、最早服とも呼べぬぼろ布を纏い、口には猿ぐつわが嵌められていた。恐怖に震え失禁している者もいれば、絶望のあまり感情が消え去った目をしている者もいる。

 セツは吐き気を催しながらも、何とか嘔吐しまいと堪えているようだった。由楽木は鋭く目を細め、両脇に吊るされた人々を一瞥した後に、正面の奧――玉座前に座る少女と、今しがた腹を裂かれ絶命した少年の遺骸を見詰めていた。

 玉座に座る少女――ナギ総督の周りには、彼女を愛し付き従う偏愛狂死病患者らがいた。信奉者のように一様に白いローブに身を包み、返り血で赤く染まっていた。


「あー、もう死んじゃったかぁ。残念、私、顔は結構好みだったのにぃ」


 残忍な所行には不釣り合いな、甘えたような少女の声が響く。成長期の少女特有の女らしく丸みを帯び始めた身体を包むのは不釣り合いな枯れ葉色の軍服である。ただし首元はだらしなく開かれており、白い胸元が露になっている。長い髪は纏められており、その愛くるしい顔が露になっている。果実のような桃色の唇はにっこりと笑みを浮かべている。


「まぁ、でも気を取り直して次に行こう! 次! 今夜も楽しい事いっぱいするって決めたんだから! 楽しみだねえ! 流血も鮮血も膿血も全てがこの場所を綺麗に彩ってくれるからね! 悲鳴罵声断末魔に至るまでその喉から出る全ての声を愛おしみ耳で楽しむの。死に行く恋人を嘆く姿は愛おしく、腸をブチまけられ喘ぐ少年の姿は官能的で、散り際と言わんばかりに敵に猛進する愚者は心を躍らせてくれるから! 皆様たのしみましょうーねー!」


 演説のようにすらすらと恐ろしい事を述べるナギ総督を、罹患者である信奉者は皆、恍惚とした表情で聞き入っていた。


「さてと、じゃあ次の免疫者持って来てー! 真性の免疫者かどうか知らないけど、ここまで連れて来て発症しないって事は八割方免疫者だろうしー」


 女王様さながらにナギ総督は指示を出す。朔は内心舌打ちした。

 ――矢張り免疫者狩りの大本はナギの仕業か。


「セツ」


 朔は静かに彼の名前を呼ぶ。感情の無い、クビキリという死神の名に相応しい声色で。セツは顔を引き締め、はい、と短く返事を返す。こういう時の朔は、表情や態度には出ないこそ、ひどく怒っている時に違い無かった。


「君は此処で待機していろ。私が切り開き、由楽木が救出に行く。後方からの援護を頼む」


 セツは唇を引き結び力強く頷いた。セツはまだ大人ではないが、心構えは一人の戦士だ。その手には事実、狙撃銃が握られており、また肩からは愛用している自動小銃もかかっていた。


「――行くぞ、由楽木」


 そう告げた直後、朔は由楽木の返事を待たずに扉を蹴り飛ばして突入する。

 音に驚きナギ総督らの視線が集中する。朔はダーグクレイの長い髪を揺らし、黒いコートを死神のローブのようにはためかせながら彼等へと向かって歩を進める。鋭く響くその靴音は、死のカウントダウンを予兆させた。

 突然の闖入者に、宴に沸き立っていた会場は水を打ったように静まり返っていた。その静寂の中、朔に次いで由楽木が朔から一歩退いた所で歩く。その青い瞳は氷よりも一層冷たく、不敵な笑みをたたえて傘から仕込み刃をするりと抜く。細く長い刀身は照明の光を受けて、硬質な輝きを放っていた。朔も腰から二振りの鎌型ナイフを取り出す。


「ウッソ」


 静寂を打ち破ったのはナギ総督の声だった。


「信じられない。まさか……あはははははははははは! 本当に!? ねえ、みんな見てみなさいよ、廃墟の淫売ナグモの犬よ! まさか本当にのこのこやってくるなんて、信じられない!」


 驚嘆の声は哄笑へと変わる。その言葉に朔と由楽木は思わず眉を顰めた。

 ナギ総督は依然として笑顔のままで、身を乗り出すようにして朔達へと告げる。


「あの悪名高いクビキリがまさか本当にこんな風に来るなんて! てっきり頭の悪い冗談かと思っていたけれど、頭の悪いのは貴女みたいね!」


 まさか、と朔は声を荒げる。


「ここに私たちが来る事を知っていたのか……」


 朔は奥歯をぎりと噛み締める。白いローブを被っていたナギ総督の信者たちは各々、隠し持っていた武器を取り出す。皆が皆、ぞっとするような似通った微笑みをたたえており朔と由楽木を注視している。

「クビキリだ」「死神」「化け物だ」「首を刈る女」「ナギ総督の敵」「敵」「敵」――……

 ざわざわと笑顔のままで彼等は口々に言葉を発する。しかしこの場を占めるのは憎悪でも恐怖でもない。愛するナギ総督の敵の首を打ち取ろうとする興奮と、熱狂だ。

 ――何処から情報が漏れたのか。それとも侵入の際に気付かれていたのか。

 朔の中で疑心が芽生えるも、ナギたちに繋がっていそうな人物など浮かんでこない。

 ならば夢売りの情報がそもそも罠だったというのだろうか?

 そこまで考えて思考を打ち切る。今はそんな事を考えるべきではない。

 猜疑心に惑わされそうになる己を律する。実際、先程はいなかった偏愛狂死病患者らも何処から溢れ出して来たのか増員されている上、銃器を持っている者も数名見えた。敵がこの場だけならば良いのだが、囲まれたら苦戦を強いられるだろう。


「でもまぁ、クビキリ。貴女には感謝しなくっちゃね! だってわたしの大好きなひとをつれてきてくれたんだもの!」


 朔の殺伐とした心中を笑い飛ばすように、ナギ総督の声は弾んでいた。玉座に佇むナギ総督はうっとりとした表情で、ある人物へと熱い視線を注いでいた。

 朔の背後にいる――由楽木という男に。


「ユラさん……会いたかった。すっごく会いたかった。会いたくて大好きで眠れなくて気持ちが落ち着かなくてたくさん殺しながらいつか其処のクビキリよりも強い力を手にしてあなたの為に役立てる日を夢見ていたからすごく、すごくすごくすごく嬉しい!」


 熱烈な愛の言葉に由楽木の横顔がこれ以上ないくらい不愉快そうに歪む。それはそうだ。ナギ総督は由楽木の唯一の友人、朝日を殺した相手なのだ。


「由楽木、大丈夫か?」


 声をかけてみれば由楽木は「どうだか」と辟易したような声を出す。


「少なくともクビキリ以外の人間が嫌いな僕にとっては、鬱陶しい事この上ないかな」


 いつも通りの毒を孕んだ言葉にクビキリは安堵する。こんな風に安心するのは間違っていることかもしれないが、冷静さを失っていない事が伺えた。


「ユラさん! わたしを見て! あなたのその冴え冴えとした青い瞳で見られただけで、おかしくなっちゃいそうなの! ああ、あの頃と変わりなく凛々しい姿で素敵! 大好きなのよ、本当に本当に私の愛しい綺麗なユラさん!」


 恍惚とした表情を浮かべてナギはまくしたてる。狂っている、とセツが呟くのが聞こえた。けれどナギ総督の傍にいる者達は皆、嫉妬のような視線を由楽木に注いでいた。


「さてと、それじゃあ折角ユラさんにも来てもらった事だし、お楽しみの続きにしましょっか! でもみんなー、ユラさんは殺したら駄目だよー。ユラさんは弱らせたら捕まえて、私が嬲るだけ嬲って大事に大事に閉じ込めて愛してあげるんだからね!」


 支配欲を曝け出してナギ総督はにこにこと愛らしい顔で笑っていた。言葉さえなければ恋い慕う乙女なのだが、明らかに正気の沙汰ではない。


「恋する乙女ってのは酷い変わりようだねえ、クビキリ」


 言葉尻に侮蔑を滲ませつつ由楽木は同意を求めるように視線を寄越す。


「全くだな」


 そんな由楽木の意見に珍しく朔が同調する。新鮮だったのか由楽木は愉快そうに一笑すると、いきなり目の前にいた偏愛狂死病患者へと隠し持っていた小銃で発砲した。

 それが開幕の合図となった。

 由楽木の放った弾丸は、見事その患者の額ど真ん中に命中する。真後ろへと倒れる遺体を無視して、恐れも知らぬ狂人たちは朔と由楽木へと襲いかかってきた。


「由楽木、お前はあの出入り口から免疫者を逃がせ。私とセツの射撃で奴らを抑える」


 吊るされた免疫者たちへと視線をやり、由楽木にそう短く指示をすると朔は一気に駆け出す。前方に敵は男女含め数十名。即座に脳内で叩き潰す順番と方法を想定、腰を落とし低姿勢を保ちつつ、右斜め前方の少女の懐へと飛び込み間髪入れず刃を振り上げる。その人間離れした速さに反応できず、ひゅん、という風を切る音と共にすっぱりと少女は首を刎ねられた。崩れる首無し遺体に目もくれず、次いで朔は前方から襲い来る敵の顎下へと強烈な蹴りを放つ。顎が砕ける音と共に涎を垂らしながら男性の身体は揺らぎ崩れ落ちる。その頭へと思い切り足を振り下ろし、頭蓋を割り、脳髄で靴を汚した。男の半壊した頭から足を退け朔は黒真珠の瞳で偏愛狂死病患者らを見詰める。作り物のように完璧なその容貌は、見る者の心臓をぞっと凍らせるような、鋭利な美しさを秘めていた。

 ……『クビキリ。あれがクビキリか……』

 ざわめく群衆をよそに朔は駆け出す。狙うは偏愛狂死病患者の首。指先でナイフを回転させ持ち替えると、逆手と順手を使い分けながら突き刺し、切り上げ、鮮血を浴び続ける。血を浴びながらも朔は表情を変えず容赦なく命を奪い続ける。そしてナギ総督を愛する彼等は、断末魔や悲鳴を上げながらも最期は愛の為に果てた己自身を誉れ、笑いながら逝く。


「ナギ総督のために!」


 歓喜の声と共に朔の頭へ鉄パイプが振り下ろされる。しかし朔は刃を振り上げ、攻撃してきた腕ごと撥ねる。呆然とする襲撃者に足払いをかけ、倒れ込んだその顔面に金属板が入った靴底で容赦無く足蹴にし、鋭く跳躍して左右の手にある刃を投げた。投擲された二本の鎌型のナイフはそれぞれ偏愛狂死病患者の額と喉元へ突き刺さり、崩れ落ちる身体から着地した朔が素早く引き抜きながら眼前の敵を見た。

 右から三、左からも三、前方からが二。その前衛部隊から後方で隙を狙うのは五人。眼前敵は近接武器を所持。銃器の所持は未確認。胴体、脚部切断に注意すべきか。

 瞬時に戦局を読み取り、返り血を拭おうともせず朔は再び足に力を込め、疾走する。胴体切断や脚部欠損など、攻撃や回避行動が不能になる事は第一に避けるべきだと判断し、朔は手に持っていたナイフを再び投擲する。近距離で放たれたそれを回避する術など無く、攻撃体勢に入っていた前方二人に的中し、沈黙させる。

 二人。次いでもう二人。

 目標を左から来た者へと切り替え、朔は鎌の回収はせずに剣を抜刀すると、その流れで最初に来た打撃者一人の首を切り落とし、向かって来たもう一人の腹へと一閃を浴びさせる。

 だがその間に四人が朔を囲い込み、その華奢な身体へと向かって刃を向ける。避けようにも避けられず一本が腹を切り裂き、串刺しにする。間髪入れずに残り三人の刃が朔を襲い、華奢な身体に長さと容赦なく突き入れられる。


「………っ!」


 血を吐き零しながらも朔は刀を指先で操り、逆手に持って半円状に振り回す。牽制にはなったらしく、朔に刃を突き立てていた四人は武器を朔の体内に残したまま飛び退く。朔は傷口に触れ、血を掬い舐める。鉄の味がした。


「あらあらークビキリさぁーん、だいじょうぶ? いっぱい刀が突き刺さってるけど? でも皆ばかねえ。身動きできないように足とか胴体をいっそ切り落としてしまえば良かったのに。それか四肢を切り落として慰み者にするのも有りだったかもねえ」


 ふふふふ、と鈴の音のような笑い声がスピーカー越しに聞こえる。俯いた朔の表情は、長いアッシュグレイの髪に隠れ影をつくっている。


「……変わってしまったんだな、ナギ」


 囁く程小さな声で朔は呟き、刺さった刃をずるずるずる、とゆっくり抜いていく。まずは一本の刃が朔の体内から抜き去られ、からん、という硬質な音を立てて床に転がった。次は二本を一気に引き抜き、最期に刀身が最も長い太刀を抜いた。

 溢れる血は目が覚めるほどに赤く、血臭が一層濃くなった気がした。

 じろり、と朔が見上げ、先程まで己の身体を貫いていた太刀を左手に、右手に手に馴染んだ剣を持ち再び攻撃態勢へと入る。その姿を見て、高揚感と使命感で満たされていた偏愛狂死病患者らの胸中に一抹の恐怖が過る。けれどそれを振り払うように彼等は数で圧倒しようと、一気に攻めたててきた。後方からは銃器を持った数名が発砲しようと構えた――が、


「――ひ、っぐぁ」


 その頭が打ち抜かれていく。朔の後方にいたセツからの射撃である。射撃手の方は任せられそうだ。そう判断し、朔は近接武器を持った敵に絞って攻撃を繰り出す。

 二振りの剣を手に朔は舞う。優雅にステップでも踏むように、それでいて恐るべき早さの斬撃で肉を切り、血を散らす。柔らかな首へと刃を食い込ませ、すっぱりと断つ。前方二人を薙ぎ倒して漸く、ナギ総督への道が開けた。見計らったように朔は拾い物のほうの太刀を投擲する。それはまっすぐにナギへと向かって飛ぶ。愛らしい顔が引き攣るのが見えたが、庇うようにして立ち塞がった信者の身体に突き刺さり辛うじて危機を免れる。朔とナギの目が合う。その瞬間、ナギの愛らしい顔が怒りに引き攣り、罵声を上げた。


「あぁンの糞女ぁぁぁ! 殺せ、早く殺せぇぇぇぇぇぇ!! すぐにこの私の前から消せ!」


 命を守った従者には目もくれずにナギ総督は髪を振り乱して怒り狂う。弾かれたように新たな偏愛狂死病患者らが朔へと向かって駆け出す。流れに任せるように朔は身体を翻し、攻撃を避けながらも刃を振り、殺し続ける。

 ――多過ぎる。無事切り開けるか?

 朔は険しい顔で剣を持ち直す。後方の援護もあるが、セツは銃撃戦の方で手が一杯だろう。それにまだ狙撃手が隠れていないとも限らない。そう思った瞬間、予測が当たったらしく銃を持った部隊が現れる。その全ての銃口が朔へと向けられていた。身体を蜂の巣だらけにされるのは正直あまり好ましく無いが、避けようがないと朔はそのまま進行を続けた時、


「――はいはーい、おまたせ」


 やたら軽い調子の声と共に由楽木が朔の前に躍り出る。一斉射撃が始まる数瞬前に由楽木は銃弾の嵐を防ぐべく生成魔術により壁を生成。スコールのような凄まじい銃撃音と共に吐き出された銃弾は壁にぶち当たる。


「由楽木……漸く戻って来たか」

「遅いって? でもちゃんと免疫者は全員逃がしたから褒めて欲しいねえ」


 由楽木は言いながら小さく笑い小型拳銃で応戦。正確に眼前の敵の頭を打ち抜いていく。銃撃部隊の残り一人を打ち抜く前に生成魔術の限界時間により壁が消失し、朔は遮蔽物へと転がり隠れ、由楽木は横に飛びながら尚も発砲を続ける。

 どうにか敵の肩口に命中し銃を取り落とさせるも、致命傷に至る傷ではないと気付いた瞬間、由楽木は地についた片手を軸に体勢を立て直し、仕込み刃を抜く。身魂魔術により脚部を強化し、床を力強く蹴り、矢の如く敵へと駆ける。気付いた信者が肩口を抑えながら武器を拾おうとするが既に時遅く、その胸に白銀の刃が突き刺さる。


「はい、残念だったね。あんな餓鬼に騙されたあんたも悪いんだよ」


 軽口を飛ばしながら由楽木は刃を引き抜き、ついた血を振り落とす。そして残存するナギの信者たちを見詰めてケラケラと声を上げて

笑い出した。朔もふらりとその傍らに立って戦力が少なくなったナギ総督へと刃の切っ先を向ける。


「免疫者狩り部隊の主は、ナギ。お前か?」


 確認するように問う。するとナギは恐怖で引き攣っていた顔を緩め、眉根を寄せる。


「免疫者狩り?」


 意味が分からないと言ったようにそう返してくる。しかし朔は糾弾の手を緩めない。


「とぼけても無駄だ。こうしてお前は免疫者の人間を集め、残虐非道な行いをしてきたのだろう? 食料や金品を餌に少年少女を使い、何人もの仲介人を介して此処まで免疫者を輸送し殺し続けた。廃墟の女王ナグモはそのような非道を赦さない」


 朔がそこまで言うとナギは呆気に取られた後、破顔した。


「……何が可笑しい?」

 訝しげに朔は問う。目尻にたまった涙を拭いながらナギは、いえね、と口を開く。


「何か勘違いしているようだから言っておくけれど、免疫者狩り部隊を組織しているのも、動かしているのも私じゃないわよ? 実際、私たちは『彼等』を手伝っているだけで、取り分の免疫者は凄く少ないもの。だからたとえこの場で私を殺そうとも免疫者狩りは無くならないわ」


 その言葉は少なからず朔に衝撃を与える。しかし嘘を言っているようには思えなかった。


「ならば一体誰が裏で糸を引いている? 言ってもらうぞ」


 低い声音で朔は迫るも、ナギ総督は小首を傾げて「分からないの?」とせせら笑う。


「……君が言わないなら、吐かせるまでだ」


 朔は刃を振り、攻撃態勢に入る。しかしそれでもナギは余裕たっぷりに笑った。


「ふふふ、ねえクビキリ。本当に気付いていないの? そうだとしたら貴女は相当の馬鹿だわ。あー可笑しい、本当に馬鹿な不感症女。後ろを見てご覧なさいよ」


 すいと指差した方角を朔と由楽木は素早く振り返る。開け放たれた戸口には、ナイフを首元に押し付けられ、背後から取り押さえられているセツの姿があった。


「セツ!」


 朔は動き出そうとするもナギの「動けば殺すよ?」という脅しにより動けなくなる。ぐっと歯を噛み締め耐える朔の横を、ナギは笑い声を上げながら通り過ぎて行く。すれ違う瞬間、由楽木に向かって「また会いましょうね」と微笑みかけていたが、由楽木は沈黙したままだった。


「……さ、朔さん! すみません、俺……ッく!!」


 セツは声を上げるも、首もとのナイフによってそれ以上言葉は続かなかった。青ざめるセツを見て、朔は焦りを募らせる。しかし打開策が見付からない。そんな朔を嘲りながらナギ総督と残りの信奉者らはセツの傍らに立つ。恐怖するセツを、動けない朔達を楽しむように。


「さぁてどうしようかしら? 動けばこの子の首が飛んじゃうかもしれないけど、どうする? 泣いて跪いて許しを乞う? それともこの子が解剖されるのをただ黙って見ている?」


 桜色の唇で笑むナギに、セツが声を荒げる。


「巫山戯んな! 朔さん、俺の事を気にせず殺して下さい! こんな奴を放っておいたら――」

「何が望みだ?」


 しかしそんなセツの声は、他でも無い朔によって遮られた。ナギの顔が愉悦に歪む。セツが必死に「朔さん!」と叫び止めようとするも、ナギは「そうねえ」と無視して話を進めて行く。


「今一番むかつくのはあなたなんだけど、この子を人質にナグモを殺して来てもらうのもいいかも! それとか、その綺麗な顔と髪を焼いてしまうとか! 何度も何度も焼いて頭皮ごと自分で引き剥がしてもらうのも良いかも! 化け物だって痛みくらいは感じるでしょう? で、それで私が飽きたら、四肢を切り落として胸を削ぎ落して皆で遊ぶとか?」


 ナグモを殺すか、己を差し出すか。残酷な二択を強いるナギに、セツはひどく傷付いた顔をした後、縋るように朔をじっと見詰めた。「駄目です」という弱々しい声を絞り出して、ナイフを突き付けられる恐怖に堪えながらも朔を止めようとする。


「どうする? ナグモを殺す? それとも自分が犠牲になる?」


 そんなセツの懇願も虚しく、ナギ総督は小首を傾げて選択を迫る。答えを求められた朔は殆ど間を置かずに、静かに口を開く。


「私が犠牲になるさ。だから火を寄越せ。ただしセツは必ず解放すると約束してもらおう」


 由楽木は目を見開き驚愕の表情で朔を見た。セツは悲痛に満ちた面持ちで、己の無力さを嘆くように歯を食いしばり俯く。

 答えを聞いたナギ総督は笑いながら朔の選択に拍手をする。周囲にいた信奉者らも笑い声を上げながら手を叩く。ただ一人、当人である筈の朔だけが他人事のように無表情でいた。

 ナギの従者が動きだし朔へと渡すために、わざわざ小さな灯油缶とライターを手に歩き出す。それを見てナギ総督と仕える者たちは、はやし立てるように嬌声を上げた。


「あらー! なんて健気な自己犠牲の精神! 尊敬するわぁ。流石不感症の雌犬」


 そう、ナギが高らかに蔑みの言葉を放とうとした瞬間。



 銃声が鳴り響く。



 火を渡そうとした従者の額にぽつりと赤い点があく。そのままその身体は崩れ落ちた。

 硝煙が漂う銃口を向けていたのは由楽木だった。いつも通り形の良い唇は弧を描いて笑みを浮かべており、嗜虐的な目で彼等を見る。


「由楽木! お前何故、撃った!?」


 朔が鋭く非難の声を飛ばす。しかし、


「何故? クビキリ、君は何を言っているんだい? あの金髪坊やは気にするなって言った。だから撃った。それだけじゃないか」


 大した事が無いと言わんばかりに由楽木はそう言って笑う。心からセツがどうなろうと関係ない、というような口ぶりだった。朔はそんな由楽木を止めようと声を上げて食い下がる。


「駄目だ、由楽木! 私が犠牲になれば良い。大人しく引き下がってくれ!」

「そ、そうよユラさん! この子がどうなってもいいの? 喉をかっ切っちゃうかもよ?」


 信者らの身体に隠れながらナギが声を上げる。しかし由楽木はしれっとした表情で答える。


「どうでも良いね。僕にとって大事なのは朔だけだから。例え再生しようと、愛する女性の顔に傷が一瞬でもつくことは許せないからね。勿論、僕がつけるなら別だけど」


 言いながら由楽木は一歩、また一歩と歩いて行き距離を縮めていく。朔が止めようと動けば、牽制するようにナギ総督もセツへと刃を向ける。切迫した状況で唯一人、由楽木だけが自由に動き、やがてその足を止めた。

 すいと由楽木の腕が動く。撃鉄を起こす音が聞こえた気がした。


「由楽木、止めろッ! 撃つな!!!」


 叫びは、ぱん、という渇いた音に消し去られた。

 渇いたその銃声は静寂の中、建物内で虚しく反響していた。

 セツを取り押さえていた偏愛狂死病患者の額に風穴が空き、その腕からセツは解放された。しかし、無事では済まなかった。セツの首には赤い線が走っていた。それを朔が認めるや否や、ごぷ、という水気を含んだ嫌な音と共に、首から鮮血が吹き出た。その赤さに目を奪われ朔は一瞬動けなくなる。由楽木は撃ったとほぼ同時に走り出していたのか、既に崩れ落ちたセツの身体を支えていた。


「クビキリ!」


 由楽木の鋭い声に覚醒し、朔は漸く動き出す。倒れたセツの元まで来ると、かがみ込んだ由楽木は身魂魔術の治癒術を既に施している最中だった。セツは目を見開き、血の泡を吹きながら天を見詰めていた。立ち尽くす朔に由楽木が苛立ったように声を上げる。


「なにぼさっと立っているんだ! あの糞餓鬼の後を追え!」

「っ、しかしセツが……!」


 遅疑する朔に由楽木は舌打ちし声を荒げる。


「治癒は既にかけている。この切り口ならすぐ塞がるから早く追え!」


 躊躇いながらも朔はセツを見下ろし、迷いを断ち切るように駆け出した。外へと飛び出すと、既にナギ総督は車へと乗り込んで走り出すところだった。セツがあの状況で、しかも車を相手に追う訳にはいかない。立ち尽くす朔を嘲るように車の窓からナギが顔を出し、叫ぶ。


「今回は見過ごしてあげる! 私の部下も相当あなたに殺されたからね。でもねクビキリ、間違い無くあなたは死ぬわ! 裏切り者、ユダによって無様に首を刈り取られるのよ!」


 不吉な呪詛を吐き、ナギを乗せた車は闇の中へ消えて行く。

 朔は、呆然とその場に立ち尽くした。

 ――裏切り者のユダ。

 ナギの言葉が頭を巡る。一体誰の事を言っていたのか。今の朔の頭にはひとりしか浮ばなかった。有り得ないとは分かっていたが、先程の光景が脳裏に過る。何の迷いも無く朔の仲間であるセツへ向けて発砲した由楽木の姿。

 何故彼は、と朔は唇を噛み空を仰いだ。其処にはいつもと同じ暗い空と桜色の塵。何年も青を奪われた晴れない空は、まるで朔の胸中を表すかのようだった。


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