2-6


 遊園地の周囲は拍子抜けする程に人気が無かった。仮にも『サーカス』と揶揄され、忌避される者達がいる場所にしてはあまりにも閑散としている。しかし夢売りの情報が正しければ此処に免疫者狩りを束ねているナギ総督がいる筈なのだ。彼女は自らを愛する偏愛狂死病患者らを引き連れ、戯れに《従者》である彼等を使って免疫者たちを虐殺しながら、雨宮咲羅の地位を狙って虎視眈々と戦力を溜め込んでいるらしい。力を持つあまり驕ってしまったナギ総督の考えそうな事である。

 巨大な駐車場に停められた廃車の間を縫って、朔達は歩く。何処かに誰かが潜んで闇討ちしようとしてきても良い筈なのにその気配さえ無い。先を歩いていた由楽木は欠伸をしながら眼前まで見えて来た正面ゲートの前で足を止める。


「さて、どうするんだいクビキリ? どこからでもお入り下さいと言わんばかりの状況だ。僕としては面倒だからこの際、行儀良く正面突破してしまいたいけれど」


 由楽木は隠れる気は無いらしい。由楽木らしいといえば由楽木らしい。


「罠なんじゃないですか?」


 セツが心配そうに朔を見る。その言葉を聞き逃さなかった由楽木がけらけらと笑った。


「ここに本当にあの糞女がいるのなら、何処から行こうが罠はあるだろうよ。そんな事を気にして怖がっているなら、お子様には不向きな遊園地だろうから帰りな」


 笑顔のままで罵倒する由楽木にセツは「こんの変態ストーカー野郎……」と睨みをきかせる。けれど由楽木はとうにセツを弄るのに飽きたのか踵を返して、朔の意見も伺わずにひとりさっさとゲートを飛び越えて中へ入って行ってしまった。


「あ! あのやろっ、何で勝手に一人で行くんだよ……! どうします朔さん? あの顔だけは良い変態、追いますか?」


 苛立つセツに朔は「追うしかないだろう」と頷き走り出す。そうして朔とセツはゲートを飛び越え、付近で手持ち無沙汰で待っていた由楽木と合流しパーク内を歩き出した。

 褪せた看板には様々なアトラクションが案内として載っていた。中央には催し物などを行なう円形広場、その奧には西洋の城を模したアトラクション兼、式場があるらしい。今はどのアトラクションも稼働はしていないが、園内に点在するスピーカーからは音楽が流れていた。ゆったりとした美しい旋律ではあるのだが、掠れている上に時折ノイズが入るので不気味さしかなかった。


「あの……朔さん」


 点々と明かりが灯ってはいるものの、薄暗いパーク内を歩きながらセツが不安なのか声を上げる。どうしたのかと問い返せば、いや、と控えめに口を開いた。


「その、何て言うか。素朴な疑問なんですけど、ナギ総督って一体何者なんですか? っていうか、何がやりたいのが分かんないし、悪い奴なのに何で従うやつらが多いんですか?」


 緊張しているのか、尋ねてくるセツにいつもの明るさは無い。無理は無い。セツは噂でしかナギ総督も「サーカス」も知らないし、その噂も血みどろの、身の毛もよだつような話だ。やれ捕まれば拷問され腸を引きずり出されるとか、狩りと称して武器を持った偏愛狂死病患者らに追い回されるだとか――兎角、こうしてセツのように生き残っている免疫社たちの間では「サーカス」は漠然とした悪のイメージがあるだけだった。だからこそ今こうしてその場に来て、抱えていた疑問が具体性を帯びて来たのだろう。セツのようにナギ総督の目的も行動原理も分からぬ者が多い中、予測をつけられるのは朔や由楽木、廃墟の女王ナグモと言ったナギ総督の「過去」を知る者たちだけだ。

 朔は過去の「ナギ」と、彼女が狂った日を思い返しながら「ナギ総督」が抱いているであろう悲願を口にする。


「……ナギ総督は、次の『雨宮咲羅』になろうとしているんだ。地位を得て、『愛しい男』を振り向かせる為に。免疫者を殺すのは……おそらく、次に自分が支配者になった時に目障りだからだろう」


 昔はそんな少女では無かった、という言葉が出てきそうになったが抑えた。

 そんなふうに言っても時間は戻らないし、ナギ総督――「ナギ」の病が治る訳では無い。たとえ病が治ったとしてもナグモや朔、由楽木との関係は最早、修復不可能なものになってしまっていた。ナギ総督ではなく、まだ「ナギ」と呼ばれていた頃を朔は思い返し、後悔の念に強く拳を握る。廃墟の女王ナグモが免疫者を集めているのも建前上は免疫者の保護や雨宮咲羅を倒すためだと言っているが、おそらくナグモの心の中心に在るのはナギへの強い憎しみだろう。免疫者を集めているのも、偏愛狂死病患者を集め軍隊を造り出しているナギに対抗するためだ。

――血を分けた姉妹だというのに何て酷い運命だろうな。

 あの仲の良かった姉妹の運命を狂わせたのは偏愛狂死病だ。姉であるナギが発病し、ナグモが慕っていた青年、つまりは由楽木の唯一の「友人」を殺したのだ。

 由楽木は矢張りナギを殺しに来たのだろうか。朔は考える。少なくとも殺された友人――皆瀬朝日は絶対に復讐など望まないだろう。人間は絶対死ぬ。だったらそれまで楽しむ方が得だ。そう言った彼はまさに太陽みたいな人だった。そう言えば脱色した金髪といい雰囲気といい、セツと朝日は似ていると朔は思う。由楽木がセツを遠ざけるのはその所為だろうか。朝日を思い出したくないからだろうか。

 しかしセツはそんな過去が由楽木にあるとも知らずに、ナギ総督の「好きな人を振り向かせる為に地位を獲る」目的にうんざりとしたように、うへえ、と舌を出す。


「夢が無駄にでかいというか、はた迷惑というか……俺には理解できませんね。だいたい、偏愛狂死病って精神病にも見えるのに、あの《服従》、ってやつですか? ああいう謎の力みたいなのってやっぱり魔力による影響だからですかね?」

「ああ。病気というよりは身魂魔術の精神術に罹っているようなものだからな」

「精神術? えーっとそれって……」


 何ですか、と尋ねてくる。どうやら考える事を止めたらしい。


「本来は人の心を安定させたり、夢見を良くする程度の術らしい。通常の魔術師たちは身魂魔術を用いる精神療法を商いとしていたようだ」


 そう言えば由楽木は身魂魔術の内、肉体強化や治癒は得意らしいが精神系の術は不得意らしい。あの男にも得手不得手があったのは意外ではある。じっとその背を見詰めていたら突然、由楽木が足を止めた。何かあったのかと声を掛けようとするも、静かに、と制される。

 すると先程から園内に流れていた音楽に混じって、妙な音が聞こえた気がした。それが最初はノイズか何かかと思っていたが、全く別物であることに朔は気付き愕然とする。


「……人の、声?」


 セツも気付いたのか半信半疑で答えを口にする。

 優雅な旋律の背後に、時折、押し殺したかのような人の声が混じっていたのだ。うめき声とも言っていいのだろう。しかも一人ではない。複数人の苦悶の声だ。流れる優美な音楽に対し音声が小さ過ぎて気付かなかった。

 由楽木は小さく舌打ちする。


「何か変だと思ったんだよね。でも予想が当たって最高に最悪な気分だ。クビキリ、おそらくあの糞餓鬼は人を痛めながら、その悲鳴をBGMとして流しているのさ」


 今も音楽に混じって流れ続ける嗚咽や、押し殺したような悲鳴を耳にしながら朔は「由楽木」と低い声音で口を開く。


「ナギは何処にいると思う?」


 険しい顔で問う朔に、由楽木は、そうだなぁ、と一回転してぐるりと周囲を見渡してから、


「おそらくあそこじゃないかな?」


 指差した先は円形広場の奧にある西洋の城を模した建築物だ。桜色の塵の中でそびえ立つそれは、どことなく雨宮咲羅が住まう城を彷彿とさせた。


「……城? あそこにか?」


 由楽木は頷く。


「そう。雨宮咲羅の劣化コピー目指す位だから似たような場所を選ぶんじゃない? とは言っても別に雨宮咲羅の城はそう呼ばれているだけで、実際は雨宮の魔術研究施設だけど。しかし敵対していた饗庭家の邸宅は原因不明の出火により全焼したっていうのに、片方はこの世界の象徴とでも言うかの如く残っているといるんだ。何だか雨宮と饗庭の争いの結果みたいだよねぇ」

「……なんか妙に詳しいな、あんた。一体何が言いたいんだ?」


 セツが訝しげに由楽木を見る。すると由楽木は嘲笑気味の笑みを浮かべて、「一応関係者なもんで」、と肩をすくめてみせた。


「ま、俺は饗庭家には生き残りがいると思うけどね。まだまだ調査中ってとこかな」


 由楽木の言葉に、セツは何か言いたげに口を開きかけたが、


「今はそんな話をしている場合じゃない。行くぞ」 


 朔にたしなめられ閉口した。不満そうな表情を浮かべながらも、セツは朔の背を追う。

 由楽木はそんなセツの後ろ姿を、冷たい青の瞳で見ていた。何かが引っかかっていたが、結局その正体が分からぬまま由楽木も塵の中、再び歩き出した。


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