第一章 恋は病/エロス 1-1

 死体が転がる中、首の無い女は自らの首を抱いたまま立ち尽くしていた。片手に握られた鎌のようなナイフからは、今しがた削いだばかりの少年少女の血が滴り落ちる。


「朔さーん」


 そんな陰惨とした空気を壊すように、この場には不釣り合いとも思える少年の明るい声が響いた。投げかけられたその声に、首無し女――朔はくるりと向き直る。

 建物の影からひょっこりと姿を現した齢十七ほどの少年は、横たわる三体の死体には目もくれず子犬のように朔のもとへと駆け寄った。派手に脱色した金髪は薄汚れてやや灰色がかっており、朔よりも背はやや低い。その背には袈裟掛けに自動小銃が吊られている。

 少年は朔の近くまで来ると、鼻に皺を寄せた。


「うわっ、血なまぐさ。しかも朔さん、服に穴あいてますよ。首も取れてるし……」


 対して朔――正確には朔の首は、ああ、と今気がついたように声を漏らすと、漸く首を在るべき場所に収めた。切り離された傷口と傷口は一瞬で癒着し、すっかり元の姿へと戻る。

 一部始終を見ていた少年は嘆息した。


「なんつーか……いつ見ても不思議というかグロいというか」


 少年の言葉に朔は首を傾げる。


「……? 嫌なら見なければいいだろう?」

「見たくなくても見てしまうもんなんです。ったく、しっかし許せねえなぁ。朔さんの美貌を傷つけるなんて」


 少年は憤慨し、今は物言わぬ骸となった三人の内の一人を足で小突く。


「傷は無いが?」


 朔は冷静にそう申告する。実際、既にその肢体には傷らしい傷が無い。すっかり癒えてしまっていて、かすり傷はおろか、傷跡さえも無かった。けれど少年は納得がいかないのか、鼻息を荒くして否定する。


「いーえ! 今はなくてもあったんです。もっと自分を大事にして下さいよ。朔さんだけの身体じゃないんですから。それに加えて朔さんは女性なんですし!」

「これは私の身体だ。誰かのものではない。セツは変な事ばかり気にするな」


 朔は眉根を寄せて目の前の少年――セツにそう言うと続けた。


「名前の呼び方だってそうだ。皆は私を『首切』と名字で呼ぶのに、セツは『朔』と名前で呼ぶ」

「いやいや……それは皆が朔さんの名前を知らないからですよ。まぁ今のご時世、名字と名前をセットで持つ意味なんて無いですし、実際名乗らない人の方が多いから聞かないんでしょうけど。ただ俺は首切なんて変な名字より、朔って名前の方が好きだからそう呼ぶだけです」

「……名字、そんなに変か?」


 朔はセツに尋ねかける。するとセツは大きく頷いた。


「変ですよ、首切なんて。どうやったってフルネームだと『首切り裂く』に聞こえますし。そういえば聞いた事なかったですけど、一体誰に名前も名字もつけてもらったんでしたっけ? 俺の知っている人ですか?」


 問われ朔は、知人だ、とだけ短く答える。

 正直そのセンスは如何なものだろう。そう思いセツは苦笑いを浮かべた。


「その知人とやらの感性を大いに疑いますよ、俺は。もし俺がそこにいたらもっと朔さんに素敵な名前をつけてあげられたのになぁ」

「私の名前は、朔だ」

「いやそっちじゃなくて。名字のほうですよ。少なくともそんな物騒なやつじゃなくってもっと、こう、綺麗な感じの名字を……って聞いてます?」


 セツが話している途中で、朔は何かに気付き、真っ直ぐそちらへ向かって歩いて行く。其処に居たのは先程青年に殴られた少女だった。どうやら腰が抜けて動けなかったようだ。

 朔は少女の前でぴたりと足を止めると、膝を折り「大丈夫か」と声をかけた。少女は怯えながらもぎこちない動きで、震えながら何度も頷く。怯えるのも無理は無い。なにせ免疫者狩りに巻き込まれた挙げ句、首が千切れた筈の女が無傷で目の前にいるのだから。


「……安全な所まで送ろう」


 そう言うと朔は少女へ手を差し伸べた。少女は目を丸くして、朔の顔と手を交互に見た。そしておずおずと、その手を取る。ひんやりと冷たく滑らかな手だった。


「大丈夫。朔さんは見た目こそアレな感じだけど、正義のヒーローなんだよ」


 少女の不安な心中を察して、セツは内緒話をするように少女に声をかける。明るく快活なセツの人柄に少女も感化されたのか、僅かにだが微笑み返す余裕も生まれたようだった。

 一方朔はというと、いつも通り無表情だった。けれどセツの目には何となく、朔の雰囲気がいつもより柔らかく映った。基本的に喜怒哀楽などの感情表現に乏しい朔ではあるが、彼女もご機嫌な時とそうでない時があるようで、嘘が無い分分かり易いと言えば分かり易かった。

 朔は少女の手を取るとゆったりとした歩調で歩き始めた。セツはそんな二人の姿と、二年前の自分と朔の姿を重ねる。免疫者狩りに捕まり、売られそうになったところを朔に救い出されたのも、丁度こんな満月の夜だった気がした。

 見上げれば夜空には青白く、大きな月が浮かんでいた。雲の流れが見える程明るい月光は、空から舞い落ちる淡い桜色の塵をきらきらと輝かせていた。昼間は常に空と太陽は暗雲で覆われているが、何故か月の輝く夜だけは、月光を避けるように暗雲は散るのだ。桜色の塵が雲を発生させているのか、それとも塵を生み出し飛散させる《命樹》が雲を呼ぶのかは分からない。いずれにせよ、ただでさえ暗い中なので月明かりだけは奪われず良かったとセツは思う。

 ――一体誰がこんな未来を予想できただろうか。

 セツは思う。今では見慣れてしまった桜色の、雪のような塵。それが世界に飛散し始めてから実はまだ十年も経っていない。セツが生まれた時は無かったし、それまで世界は至って平穏だった。科学技術が興隆し、魔術が衰退した時代。そんな時代にセツは生まれた。

 けれど今現在、この空から降り注いでいる塵は、進歩した科学技術による恩恵でも弊害でもない。忘れ去られる筈だった「魔術」によって生み出されたものだ。

 セツが生まれた時代に於ける「魔術」に対する人々の共通認識は、精々「おまじない」程度のものであった。過小評価の原因は、端的に言えば深刻な人材不足だ。魔術――正確に言えば精神や肉体に関する『身魂魔術』、事物の短期生成を扱う『生成魔術』、そして古の魔術と称され未知なるものを生み出す『錬金術』の三つを自在に操れる、優秀な魔術師が激減した為である。たとえ魔術そのものは万能であったとしても、巧みに扱える魔力を秘めた者がいなければその真価は発揮されないという事だ。それ故に、訓練や知識さえ積めば誰もが等しく扱える科学や機械へと人々の関心は移った。加えてセツの生まれた時代では、たとえ魔術の素養を持つ人間であってもその多くは微少な魔力しか持たず、生み出すものも殆ど機械や科学等で賄えるようなものだった。

 身魂魔術は心を落ち着かせる鎮静効果や小さな傷を癒す程度の治癒効果しか望めず、生成魔術もほんの僅かな時間だけ自分の周りに雨よけを作る程度。錬金術に至っては、科学技術に全て還元できるような代物しか作り出せなかったのだから、すっかり科学や機械に取って代わられて廃れていったのも当然といえば当然の事だった。

 高名な魔術師がどの時代にも常に一人でもいれば見方もかわったのかもしれない。魔力を持つ者に対し畏敬の念を抱いたかもしれない。しかし現実はそうはならなかった。

 機械や科学技術が進歩するにつれ、何故だか魔術の素養を持つ存在も減少し、元々少ない人口は更に縮小していった。最終的に、魔術は非生産的かつ閉鎖的なマイノリティーへと化し、化学や機械技術が発展し始めた社会の認識に於いて、完全に過去の遺物と成り果てていた訳である。

 そう。セツが生まれた時点では世界はそんなものだったらしい。都市は機能していたし、人々は資本主義社会で自由を謳歌したり堕落したりと、善悪のバランスは取れていたようだ。法も福祉も存在し、国という枠組みも確かに存在していたのだ。

 ――けれど今ではその殆どが壊滅した。

 それも一人の人物、一つの恐るべき魔術による産物、そして一つの病によって。

 その魔術によって生み出された件の塵が引き起こす症状を、病気というものにカテゴライズして良いのか??セツには分からないし、おそらく朔にも分からないだろう。けれどそれ以外に適する語が見つからない訳だから、便宜上、病気と言うのが妥当なのだ。

 セツは服や髪に纏わりつく桜色の塵を指先に捉え、それがすっと肌に染み込んでいくのを見詰めながら、その病の名を心の内で反芻する。


 『偏愛狂死病』


 それは人々を狂わせ、やがて死に至らしめる――愛の病である。


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