俺がストーカー女に負けて全てをお世話されるようになるまでのお話

@yorimitiyurari

俺がストーカー女に負けて全てをお世話されるようになるまでのお話

 飯沢いいざわの表札の郵便受けを開けるとピンク色の封筒が落ちてきた。

 中に入っていたのは手作りらしいクッキーと、手紙が一枚。

【あなたのことが好きです】

 手紙には丸みを帯びた文字でそんな一言が書かれていた。

 大樹だいきは目を見開いた。

 ここは大樹の通う大学にほど近いマンションのエントランス。

 コンビニバイト前に郵便物の確認をしたらこれだった。

「…………まじか」

 大樹は何回も【好きです】の部分を読み返す。

 この20年間で一度も女性から告白されたことのない大樹にとって、これほど嬉しい言葉はなかった。

 手紙とクッキーを胸に抱いて、期待をこめて周囲を見回す。

 もしかしたらまだ近くにこの手紙を残した女性がいるかもしれないと。

 どんな人だろうか。何にせよ、かわいらしい字を書くのだからきっと可愛いに違いない。

 スマホが太陽光を反射するような光が、大樹の目を眩ませた。

「うお、まぶし……」

 片手で顔を覆い、なにかの反射光に目を細めながらエントランスの外側に振り向く。

 マンションの外の茂みに人影があった。

 真っ白なワンピースを着て、白い麦わら帽子を深くかぶっている女性だ。

 長く美しい黒髪が風にゆれ、その様子は清楚と呼ぶにふさわしい。

 顔もきっと可愛いに違いなかった。

 大樹は胸の奥がトゥンクと高鳴るのを感じた。

 ――もしかして、あの子が俺にラブレターを?

 だが、彼女は双眼鏡でこちらを覗いている。

 大樹の胸の高鳴りがスンと静かになった。

(……双眼鏡を常備している子がこんなかわいい字を書くはずがない……人違いだな、うん。そうであれ)

 自分に言い聞かせながら、なるべく気づいていないふりをしながら、大樹は駐輪場へ向かおうとする。

 後ろからカッカッカ!と足音が。

「大樹くううううん!! バイト前にごめんねぇえええ! わたしのきもち受け取ってくれたああああ!?」

 振り返ると、双眼鏡を覗いたまま、白いワンピースの女が全力疾走で近づいてきているではないか。

 ふああああ!? と悲鳴を上げた大樹は急いで自転車のロックを外す。

「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だウソだ! 信じない! 信じないぞおまえみたいな双眼鏡女が手作りクッキーとか、可愛い字を書くはずがないんだ!!」

 大樹は自転車に飛び乗り、新緑の木漏れ日のトンネルを立ち漕ぎで去っていった。

「ふふ、逃がさないんだから……」

 ぺろり、彼女は赤い舌をちろりと覗かせた。


******


「は~疲れた……」

 バイトが終わって部屋に帰り、そのままベッドに倒れこむ。

 電気をつけるのもだるかった。

 おかげで窓から夜景がよく見える。

 夜空の星と月を霞ませてしまうような都会的な明るさはない。

 でも、その灯りの一つ一つにこれだけの人が暮らしているのかと感心するくらいには、山間を切り開いて作られたらしいこの町にも人が住んでいるのだと実感する。

 このまま眠りについてしまおうかと目を閉じかけて、大樹はベッドからむくりと起き上がった。

「腹、減ったな……」

 郵便受けに入っていたあのクッキーは勿体ないので休憩時間に食べた。昼間の変な女が作ったのだと思うと躊躇はしたが、バイト先の先輩が「なにそれクッキー? ちょうだい?」と一つ毒――味見をさせてなにもなかったので食べた。甘さ控えめのコーヒー味だった。

 双眼鏡覗いたまま追ってくるような子じゃなければなぁ……。

 パチリ、電気がついた。

「ん?」

 廊下から壁を這うように白い手が伸びてスイッチを押していた。

「大樹くうううん? お腹空いたのぉ?」

 白い麦わら帽子をかぶり、白いワンピース姿のあの女が廊下から姿を現した。

「お、おお、おま! ど、どどどどうやって部屋の中に!?」

 大樹は突如湧いて出たようにしか思えない白い女を指さして部屋の隅に後ずさる。  

 彼女は麦わら帽子を脱いで、その下の人形のように整った顔で、人懐っこい笑みを浮かべた。

「あら? まだ自己紹介してなかったっけ? わたし、白波優里香しらなみゆりかって言います。大樹くんと同じ大学の社会学部だよ。講義とかちょくちょく隣に座ったりしてたんだけどなぁ」

 おっとりと告げる彼女に、一瞬大樹も毒気を抜かれ「……あ、可愛い」とか思ったが、いやいやこの子不法侵入だぞ? と首を横に振り彼女を睨む。

「おいこら、どうやって入ったんかしらないけどな、これは立派な不法侵入だぞ! 出てけ! 今なら見逃してやる」

 多少クッキーの美味しさに甘んじて、即通報だけは勘弁した大樹は腕を組み、あくまでこちらが正しいのだと断固たる姿勢を示す。

 彼女は小首をかしげた。

「大樹君お腹空いたんだよね。台所貸してくれれば何か作るけど……」

「話聞けよ」

「じゃあ、肉じゃががいいかな? 台所借りるね~」

 なにがじゃあ、なのか分からない。

 ルンルン気分で台所に向かう彼女を、大樹は慌ててその肩を掴んで止めた。

「台所借りるねじゃないわ! 知らない奴に台所を貸すなんて怪しくてできるか! マジで警察呼ぶぞ!」

 振り向かせると、彼女は顔を真っ赤にして目を見開いていた。

「だ、駄目だよ大樹君! 私達まだ結婚もしてないんだから! お母さんが言ってたもの! 婚約前の男女が触れ合ったら赤ちゃんが出来ちゃう!!」

 べしん!

 唐突な平手打ちが大樹の頬を襲った。

「…………え?」

 大樹は女の子に初めて頬を叩かれたショックで茫然と立ち尽くす。

 その間に彼女は手提げ袋からお弁当箱を取り出すと、大樹に押し付けた。

「ご、ごめんね。これ以上ここにいると大樹君が私に我慢できなくなっちゃいそうだから……お弁当作ってきてよかった。愛情たっぷりだから食べてね? じゃあ!」

 きゃー! と黄色い声を上げながら廊下を小走りで引き返し、彼女は大樹の部屋から出て行った。

 玄関の扉が閉まる音と同時に、大樹は催眠術を解かれたように我に返った。

 鼓動がすごい速さで脈を打っている。

「な、なんだったんだ……」

 まるで嵐が去ったような、奇妙な夢を見ていたような時間だった。

 ただ、彼女がこの場にいたということだけは、大樹の腕の中にある弁当箱がしっかりと物語っていた。

 ついでに、洗濯や食器洗いなどの家事が全てきっちり丁寧に終わっていて、お風呂まで沸いていた。

「……まじでなんだったんだあの子」

 大樹はその夜戸締りをしっかり確認してから眠りについた。


******


『大樹くーん今日一緒の授業だね』

『大樹君、はいこれ、靴下替えがなくなってたでしょ? 編んできたよ!』

『大樹君、さっきの講義寝てたでしょ? ふふ、はい! ノート貸してあげる!』

『大樹君~、部屋の掃除しといたからね! お布団も干しといたよ!』

『大樹君~、お昼ご飯まだでしょ? 大樹君の好きな明太卵焼き作ってきたから一緒に食べよ!』

『大樹くーん、今日バイトの日だよね、時間大丈夫?』

『大樹君そろそろ私達、結婚式をどこにするか考えた方がいいと思うんだけど……』

 大樹君大樹君大樹君大樹君―――――


******


「…………ん」

 目を開けると白い天井があった。

 見知った天井だ。

 大樹の部屋だった。

 頭を横に向けると、窓の外には若干新緑が目立つ山間の街の景色と青空が広がっている。もうすぐそこまで夏が迫ってきていた。

 ……一限目の講義はなんだったっけ。

 ぼーっとしていると、台所から声がかかった。

「大樹くーん、お砂糖は一つ、二つ?」

「……ひとつ」

 大樹は寝返りを打ちながら返事をする

「そういえば今日の社会学の講義、先生がお休みだから休校だって」

「ありがと――ん?」

 ……おかしい、一人暮らしなのに返事があるぞ?

 一気に脳が覚醒し、布団を跳ねのけ起き上がった大樹は台所を睨んだ。

「お、おま! な、なんで!?」

「大樹君おはよ~。まだ優里香って呼んでくれないの? はい、コーヒー」

 優里香はマイペースに微笑みながら、湯気のたつコーヒーカップを大樹に持ってきた。

 大樹は反射的に受け取ってしまう。

「あ、どうも……じゃない! 毎回毎回どうやって部屋に入ってんだこのストーカー!」

 大樹の額にひんやりと冷たい優里香の手が当てられる。

「!?」

「うーん……平熱、だね! 大樹君今日も元気元気!」

 ひまわりの花が咲くような笑顔を向けられて、大樹は一気に耳まで赤くなりテーブルの影に避難する。そこからまるで猫か犬のように彼女を威嚇した。

「け、結婚前の男女が触れ合っちゃだめとか自分で言ってただろうが!」

 危なかった。相手がストーカーじゃなければ惚れるところだった……。

「よくよく考えれば、私と大樹君はいずれ結婚する仲なんだし……赤ちゃんくらい、いいかなって」

 優里香はぽっと頬を紅く染めて、照れる。

「よ、よくないわい! しないぞ結婚なんてしないんだからな! ばーか! こ、このストーカー!!」

「ああ、大樹君! お弁当忘れてるよ!?」

 大樹はどこぞの悪役のように捨て台詞を吐いて着の身着のまま大学に向かった。


******


「愛されてんなー」

 にやにやと笑う眼鏡の優男は大樹の昔からの幼馴染、里中隆さとなかたかしだ。

「違う、愛じゃない……あれはストーカーだ」

 大樹はげっそりとやつれた顔で、たかしに言い返す。

 ここはキャンパス内にある三階建ての食堂。三階の窓際の席だった。お昼も大分過ぎた時間なので利用する学生はまばらだ。

「ははは! 俺だったらかいがいしくお世話してくれる女の子は例えストーカーでも嬉しいけどなぁ」

「他人事だと思ってこの野郎……。お前にわかるか? 家に帰ったら食器洗いに掃除に洗濯、全て終わってる恐怖が! 足りないものが買い足されていたり、自動的にご飯が出てくる恐ろしさが!!」

 大樹はフロア中に響き渡るほど強く丸テーブルを叩いた。

 まばらに座っていた学生たちが一瞬大樹と隆のテーブルに振り返るが、すぐに自分たちの会話に戻る。

 隆は眼鏡を夕陽に光らせてあきれたように告げた。

「それのどこが恐ろしいんだ大樹? むしろ実家じゃん。羨ましいぞお前」

「くっ……確かに――もう、だめか」

 大樹はこれ以上伝わらないと言葉を飲み込んだ。

 お世話のされ過ぎで自分がダメ人間になっていくようなそんな恐怖を覚えている……なんてきっとこの友人には理解できないことだろう。

「ところで少し聞きたいんだが?」

「なんだよ?」

 ふてくされて大樹が訊き返すと、隆は眼鏡のズレを直した。

「今日一日、肝心の白波さんを見ていないがどうした喧嘩か?」

「!!!?」

 大樹は即座に席を立って走り出した。


******


 今日一日、物足りなさは感じていた。

 いつも隣で壊れたラジオのように大樹君大樹君大樹君と呼ぶ声がなかったからだ。

 どうりで心穏やかに大学生活を満喫できたわけだ。いや、それを望んでいたから見て見ぬふりをしていたのかもしれない。

 そうじゃなければ隆にストーカー女の相談ができるはずがない。

 なんたって優里香は大樹が誰かとしゃべるだけで「この人は大樹君のなんですか?」なんてその人を指さして尋ねるような女なのだ。

 おかげで大樹には隆以外の大学の友達がいない。まあ、昔からいないが。

 夕陽の中を、自転車をかっ飛ばして坂道を登り、マンションにたどり着く。

 駐輪場に自転車を停めて、エントランスを抜け、階段を駆け上った大樹は自分の部屋の玄関扉に手を掛けた。

 やはり、開いている。

 音が立たないように扉を開け閉めし、廊下の電気をつけずに忍び足で部屋に向かう。

 台所からじゅわわわと、油で何かを揚げる音がする。

「今日はからあげ、かっらあげ、だいきくーんのす~き~な~、からあげで決まり!」

 みょうちくりんな歌を歌いながら優里香がから揚げを上げている。

 肉が揚がる香ばしい匂いに思わずお腹が鳴るが、大樹は廊下から声を掛けた。

「おい……なんで今日大学に来なかったんだ?」

 すると、歌うのをやめた優里香は慌ただしい足音を立てて廊下に飛び出てきた。

「大樹君だ! お帰り~! 遅いから夕飯の支度して待ってたよ!」

 白いワンピースにエプロンをかけて、菜箸を握った姿で笑顔を振りまく優里香はいつも通りだった。

 しかし、彼女の奥、部屋の様子の変化に家主である大樹は即座に気付いた。

「あ、あー! おま、やってくれたな!?」

「きゃん!?」

 優里香を押し退けて部屋に入ると、大樹の部屋は無残な変貌を遂げていた。

 まず壁紙が一面ピンク色に変わっていた。

 ベッドの配置もズレ、箪笥や机の位置も変わっている。

 何かしているだろうと思ったから急いで帰ってきたが、まさかこれほどとは……茫然と佇む大樹に、優里香はテレテレと頬を紅く染める。

「今日大樹君鍵もかけずに大学に行っちゃったでしょ? 風水的に良い位置ってあってね? 大樹君のために模様替えしてみたの! あとピンクの壁紙は幸せを運んでくれるんだって! 大樹君には幸せになってほしいから変えちゃった」

 悪意のまるでない笑みに、大樹は大きく肩を落とした。

 いくら20年彼女ができなかった男でも、それが好意からくるものだというのは嫌でもわかる。まして大樹はここ一ヵ月彼女に付きまとわれ続けてきたのだ。

 わかっていて放置した結果がこれだ。

 そろそろハッキリさせないといけない時が来たのかもしれない。

 大樹は恐る恐る口を開いた。

「なあ、なんで俺なんかを、その……す、好きに? 正直俺よりも性格とか顔がいい奴は沢山いるのになんで」

 突然の大樹の問いに、優里香は夕陽よりも顔を紅くしてもじもじとうつむいた。

「え? それは……大樹君を一目見た時から……優しそうに笑う人だなって気になって……それからクッキー捨てずに食べてくれたし、お弁当も。私が勝手に部屋に入っても通報しないでくれて話を聞いてくれるし……やさしいなって。今だって――」

「も、もういい! 悪かった! 許して! それ以上ははずかしぃ!!」

 彼女いない歴20年はダテではない。自分から聞いたくせに、大樹は優里香と同じかそれ以上に顔を紅くして優里香から顔をそむけた。童貞には刺激が強すぎた。

 が、顔を背けた先で大樹はそれを目にしてしまう。

 ピンク色の壁紙の一面に写真が飾られていた。

 大樹と優里香のツーショットだ。

 遊園地や温泉旅館で撮ったものらしい。

 それがずらりと……。

「お、おい? こんなところ行った覚えないんだけど――」

「ああ、やっと気づいたんだね! ふふ、それはそうだよ? 合成だもん。でも、その写真はこれから現実になっていくからふふふ……お呪いなの」

 笑顔の優里香に、大樹の顔に上がっていた血が一気に下がった。

「やっぱりお前ってそういうやつだよな……うん」

「うー、お前じゃないよ。優里香って呼んで?」

 頬を膨らませる彼女のしぐさは確かに可愛いが、行動の異常性のおかげで大樹は冷静さを取り戻せたわけだ。

 ありがとうストーカー、ナイスだストーカー。

 残念だが、ハッキリした。

 やはり彼女とは付き合えない。怖い。

 頷いていると、菜箸で大樹の目の前にから揚げが差し出された。

「はい、大樹君。あーん」

「ちょ、いきなりなんだ!? いつのまにから揚げを!」

「上手にできたから味見してほしいの! はい、あーん!」

「い、いやだ! これ以上お前に毒されてたまるもがもが!?」

「ふふ、おいしい?」

「くっ……くそ、美味しいぐぐぐ……」

「良かったぁ。ふふ……あ、大樹君、口元汚れてるよ? 拭いてあげるね?」

「じ、自分でできる! これ以上俺のお世話をするな! やめ、やめろぉおおおお!!」


******


「もう、お婿にいけない……」

 大樹はからあげの食べ(させられ)過ぎで撃沈し床に寝転がっていた。

 優里香は幸せそうに大樹の頭を撫でて、自然にその頭を自分の膝の上にのせると耳元でささやく。

「大樹君は私のお婿さんになるんだからお婿にいけるよ?」

 脳髄をとろけさせるような甘い声音に、大樹は一瞬にして顔を真っ赤にしてあたふたと立ち上がって距離を取った。

 このまま流されてはいけない。駄目になる!

「や、やめろぉ! これ以上俺を甘やかすんじゃねえ! お世話するんじゃねえ!」

 半狂乱で叫びながら、大樹は後悔していた。

 本当は不法侵入された日に警察に相談するべきだった。

 でも彼女は可愛かった。クッキーもお弁当も美味しかった。

 なあなあで流してしまったのがよくなかったのだ。

 今更彼女をストーカーですと警察に突き出すことなど大樹にはできやしない。

 それに、彼女はストーカーでありながら大樹に好意を向けてくれたただ一人の女性なのだ。

 優里香は距離を取った大樹に伸ばした手を引っ込めて胸の前でぎゅっと握った。

「大樹君……私の事嫌いになっちゃったの?」

 威嚇する小動物のように臨戦態勢だった大樹は赤面し、うつむいた。

 だめだ、同情するな。確かに可愛いけど……こいつ勝手に家の中に入るし、お弁当作るし、家事するし、模様替えするし、ストーカーだ!

 ぎゅっと拳を握りしめ、決意を固めた大樹は顔を上げる。

「お、俺は……お前のことが、き、」

「き?」

 優里香の顔が悲しげに歪む。胸の内をチクチクと突き刺されるような罪悪感が、大樹の喉から言葉を絞り出させないようにとせき止める。

「き、きき、き――」

 言え、嫌いって言うんだ! お世話されることがどれほどつらいか! ダメ人間になりそうな自分にどれほど苦悩したか、このストーカーに教えてやれ!!

 大樹はぽんと手を叩いた。

「……そうだ」

 突如大樹が険しい表情から憑き物が落ちたように手を叩いたので、優里香は目を見開く。

「大樹君?」

 大樹は優里香を指さして、睨みつけた。

「わかったぞ優里香、お前も俺と同じ苦悩を味わえばいいんだ。そうすりゃストーカーなんてやめるはずだ」

「え?え? い、いま大樹君私の名前を……」

 真っ赤になって顔を抑える優里香の手を大樹は強引に引っ張った。

「うるせぇ、そんなことはいいんだよ! ほら、優里香お前の家行くぞ! 案内しろ!!」

「大樹くん!? な、なんでそんな結論にいたったの? わ、わからないけど……大樹君がそういうならわかったよ!!」

 2人は夜の町へと繰り出した。


******


 世話を焼かれると言うのは、自分では何もできないことに近い。

 ランナーがある日突然走れなくなったらどうだろうか?

 絵描きが絵をかけなくなったらどうだろうか?

 昨日まで見えていたのに今日、目が見えなくなったらどうだろうか?

 今までできていたことがある日を境にできなくなる。

 人はそれだけで心が不安定になり、ストレスが溜まっていく生き物だ。

 もともと何もできなければそうではないかもしれないが、大樹は今まで一人暮らしをして、一人で家事炊事すべてを切り盛りしていた。

 そのすべてが短期間に奪われてしまった。

 勿論、大樹に落ち度がなかったわけではない。

 ストーカーだと分かっていながら可愛いと放置したり、お世話されることに甘えていた部分がある。

 そのうえ傷つけたくないからという理由で彼女に「嫌いだ! 近づくな!」とは言えない。

 大樹はどうしようもなく小心者だった。

 だからこそ彼は、思い付いた。

 ――世話を焼かれる方の気持ちを知ってもらおう。つきまとわれる恐ろしさを知ればストーカーを止めるかもしれない。お世話されるのが嫌になって、嫌いになってくれるかもしれない……。

 これが、20年間彼女ができなかった男にできるせめてもの抵抗だった。

 大樹は優里香に案内されるままに、電車を乗り継ぎ、星と月の瞬く田舎の住宅街を歩いて、優里香の住む一軒家にたどり着いた。

 建売のどこにでもあるような普通の家だ。

「あ……今両親は一緒に住んでいなくて……わ、私一人だけなの」

 何故今そんな情報を出すのか。 

 大樹は緊張しながら周囲を見回した。

「ふ、普通の家なんだな……もっとなんか拷問器具とかおいてるかと」

「そ、それはないよ! だいたい庭に置いていたら警察に通報されちゃうでしょ? ふふ、大樹君たら」

「そうだよな、ははは」

 笑いながら玄関を通った。

 よく考えるまでもなく、大樹は女の子の家に上がるのは初めてだった。


******


「くそ!!」

 大樹はよく掃除されたフローリングを叩く。

 ピンク色を基調にした優里香の部屋は実に女の子らしく、その上整理されていた。

掃除のしようがない。

 更に、洗濯も終わっているということで大樹のお世話をして付きまとわれる側の気持ちを知ってもらう作戦は出鼻をくじかれたのである。

「ごめんね大樹君。せっかく大樹君が私のお世話をしたいって言ってくれたのに……」

 優里香は上目遣いにもじもじと落ち着かない様子で言った。

「いや、まだだ、お世話は一日にしてならず。何も家事だけがお世話じゃない……。ちょっと台所借りるぞ!」

「あっ、大樹君!」

 呼び止める声を背に大樹は台所に向かった。

 紅茶とポットを見つけると、お湯を沸かして紅茶を作る。

 あと、チョコレートなどのお茶菓子を見つけた彼はそれも一緒にお盆に乗せて優里香の部屋へ運んだ。

「おまちどうさま……紅茶持ってきたぞ」

 大樹は優里香の前に入れたての紅茶を差し出す。

 勝手に台所を使った上に紅茶を作ってきたのだ。

 余計なお世話もお世話のうち。さぞ不快な気分になったことだろう。

「わ! ありがとう大樹君!」

 だが、優里香は嬉しそうに微笑み、まるでこたえていなかった。

 美味しそうに紅茶をたしなむ優里香を見ながら大樹は焦る。

 あとは、あとは何をされたっけ? 

 頬を叩かれた時のことを思い出して、大樹は思わず優里香の頬を両手で挟む。叩くのは気が引けた。

「ふえ!?」

 優里香は顔を真っ赤にしてあたふたと手足を動かした。

「こ、こら! じっとしろって、危ないから!」

 これは失敗だとすぐに悟る。何故ならテーブルの上にお茶菓子があるからだ

「だ、だって! だって!!」

 優里香は部屋の隅に後ずさりして逃げた。

 大樹は少しこぼれてしまった紅茶をフキンでふき取りながら、にやりと笑った。

 どうやら効果は思ったほどあるみたいだ。

 優里香の方から大樹に距離を取ったのがその証拠。

 大樹はダメ押しで優里香を手招いた。

「ちょっと」

「え……な、なに?」

「いいから」

 優里香は緊張気味におずおずと大樹の傍に近寄る。

 大樹は優里香の頭を優しく倒すように外側から押して、彼女の頭を自分の膝の上に乗せた。

「~~~~~!?」

 優里香の声にならない声が上がった。

 大樹も正直これはかなり気まずく、恥ずかしかった。

 が、全てはお世話される恐怖を味合わせるため。

 付きまとい、ストーカーをやめさせるため。そして、彼女に嫌われるためだ。

 自分の膝の上に乗った優里香の頭をぎこちなく撫でながら、おごそかに告げる。

「こ、これにこりたらもう二度と俺のお世話をしようとかするんじゃないぞ! わかったか?」

 優里香の震えは止まらない。

 さすがにいきなり家に上がり込んで、勝手にお茶を入れ、膝枕までかまされればそれは怖いだろう。

 やりすぎたかと心配になって優里香の顔をのぞき込もうとした大樹だったが、すっと優里香が起き上がり、その全体重が彼を押し倒していた。

「なっ!?」

 大樹は驚くが、馬乗りになった優里香は頬を真っ赤に染めながら、大樹を熱いまなざしで見おろしていた。

「だ、だだ、大樹君!? はあはあ! うれしぃいいいいい! りょ、両想いなのね? 大樹君がやっと私のモノに!! 結婚、結婚しなきゃ!」

 抱き着いてくる優里香。

 大樹は慌てて優里香を引き離そうとする。

「ち、ちがっ! なに言ってんだおま、膝枕は別にそういう意味じゃない! お前が俺の家でやったことの意趣返しで――甘やかされることの恐怖を!!」

 プス……。

 大樹の首筋に鋭い痛みが走り、空気が抜けるような小さい音が聞こえた。

「え……」

 大樹の体から力が抜けていく。

 ろれつが回らない。視界が黒く狭まっていく。

「……な、……を……?」

 優里香は片手に細い注射器を持っていた。

「ふふふ、これから楽しい家庭を築いていこうね、大樹君」

 白い指先を差し伸べるように大樹の頬に充てて、優しく目を細めた。

「ふ……ざ…………け」

 大樹の意識が黒く途切れる寸前、彼女は恥ずかしそうに大樹に口づけをする。

「ずーっと、お世話してあげるね大樹君? ふふ」

 大樹が最後に見たのは、優里香の幸せそうな笑みだった。

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