ゴールデンウィーク -2-
東條は白石に連れられ、薔薇の迷宮に来ていた。
薔薇の迷宮とは、先日お茶会が行われた、校内の中央にあるイングリッシュガーデンとは別のガーデンだ。
男子寮の裏手に位置し、背の高さを超える薔薇の生垣で文字通り迷宮が作られている。普段から青々とした生垣の迷宮で壮観なのだが、今の時期は、そのすべての薔薇が咲き誇り、幻想的な美しさになる。
この時期の通常時であれば、生徒で溢れる人気のスポットだ。休暇中の今は他に人がおらず、のんびりと薔薇を楽しむことができた。
満開の薔薇が咲き乱れる中を歩いていると、風が吹くたびに濃厚な薔薇の香りが鼻腔をくすぐる。五月の麗らかな日差しが少し冷えた空気に暖かい。
「いい天気だなー、実に散歩日和だ」
「ああ、そうだな」
白石がのどかに太陽へ顔を向けると、東條もまた頷いて両手を頭上にあげ伸びをした。
二人とも、すでに二年間をこの学校で過ごしている。だがバトラーにとって、こうして校内を自由気ままに散策する時間は貴重だ。
執事科のカリキュラムは厳しく、高い合格点が設定されている試験を突破し続けなければ、三年になることすら許されなかったのだ。毎日違うマスターの担当をするという新たな仕事はできたが、三年になってから彼らのストレスは格段に減っていた。
濃い緑の葉を飾る、深紅の薔薇の花。幻想的な薔薇の生垣に視線を奪われながら、二人は迷宮の奥へと進んでいく。迷宮の道は入り組んではいるものの、実際には分岐はなく、奥までは一本道になっている。
しばらく歩いていくと、高い生垣がなくなり、芝生が敷き詰められた、やや広めの空間に東屋が現れた。太陽の日差しに眩く輝く白い石造の東屋は、この場所にあるというのも相まって、神秘的な雰囲気を漂わせている。
東屋の周囲には、ここだけ膝丈の高さに揃えられた白薔薇が植っていた。目の前に広がった光景に見惚れ、東條は思わず足を止める。
「やっぱり、来て良かっただろ」
白石が問いかけると、東條は素直に頷く。白石は優しく微笑んだ。
「少し休憩するか」
「紅茶でも運んでくれば良かったな」
「自分たちだけだから良いかと思ったんだよな」
二人は会話しながら再度足を進めて、共に東屋の方へと向かっていく。
そして白薔薇の植え込みを回り込んだ、その時。
東條は何かとても柔らかいものを踏んだ。柔らかい、といってもふわふわとした感触ではなく、擬態語で表すとするなら、グニュ、という感触。バランスを崩して倒れかけたところを、白石が受け止めてくれる。
「っすまない、ありがとう」
東條は白石に礼を言って、いったい何を踏んだのかと振り向く。そして息を飲んだ。
そこに人が倒れていた。薔薇の植え込みに隠れていて、回り込むまで全く見えていなかったのだ。
「アルバート様!」
仰向けに倒れている者の顔を見て、東條は思わず叫んだ。
肩の辺りまであるブロンドの髪。白い肌に整然と配置された美しい顔立ち。明らかに西洋の血を感じる彼の名を、アルバート・ブラウンという。生まれも育ちも生粋の日本人だが、名前と見た目の通り、ブラウン家はイギリス系の流れを汲む貴族だ。
ジャケットは見当たらないが、アルバートは帝王科の制服を着ていた。この連休中は制服着用の義務はないので、もしかしたら連休に入る前からここに倒れていたのでは、という最悪な想像までできた。
「アルバート様、どうなさったのですか、お気を確かに」
東條はすぐにアルバートの横に膝をついてしゃがみ込み、その肩を揺らした。
「待て東條、頭を打たれているかもしれない、今救急車を呼ぶから」
白石がすぐに冷静になり、スマホを取り出し緊急通報をする。繋がった電話の相手へと状況説明を始めた。
ふと話し声に気がついたように、アルバートの目がゆっくりと開いた。金の睫毛に縁取られた、今日の青空のような透き通った瞳が東條を見る。
「あっ、気が付かれたのですね。ご気分はいかがですか、ここがどこだかわかりますか」
東條がすかさず質問をたたみ掛けると、アルバートは怪訝そうに眉を寄せた。
「んー……? どうかしたの」
「ここで倒れていらっしゃったのですよ。今救急車をお呼びしておりますから」
体を起こさないでくださいと制する東條の忠告をよそに、アルバートはマイペースに上体を起こし、目を擦る。彼の動きに合わせて、さらりと肩から落ちていく金の髪が美しい。その仕草に、東條も思わず見惚れそうになった。
アルバートは総一郎と同じくらいには背も高く、決して女性的ではない。だが見る者がはっと息を飲むような、現実離れした存在感があった。
「倒れたんじゃないよ、寝てたんだよ」
「は?」
形の良い唇から発せられた言葉に、東條と白石はほぼ同時に同じような反応をした。
「ここで眠られて……いたのですか?」
「そうだよ」
「すみません、なんか大丈夫みたいです」
東條が再度確認し、白石は通話を切る。
そして白石はそのまま芝の上に膝をつくと、失礼しますと断ってからアルバートの額に手を触れさせた。アルバートは人に仕えられることには慣れている様子で、そうして触れられることになんの抵抗感も覚えていない。
「本当に眠られていただけなのですね?」
「うん。君たちは?」
「このような身なりで失礼いたしました。私たちは執事科三年の白石と、東條と申します……本当に熱はなさそうですね。意識もはっきりしている」
そのままじっと瞳を覗き込み、体調を確認してから、白石は手を下ろす。
「ああ、バトラーか。どおりで丁寧だと思った」
「なぜ今日も制服を召してらっしゃるのですか?」
「服を選ぶのが面倒だから」
アルバートはふんわりと微笑んだ。会話のテンポも少し遅く、ぼんやりしているが、これは体調がどうとかいう問題ではなく、アルバートの元からの性質だ。
「どうしてこのような所で眠られていたのですか?」
すっかり力の抜けた東條が問いかける。
「日差しがとっても気持ちいいからさ。しかもこの芝生だよ」
芝生に腰を下ろしたままのアルバートが、見てくれと言わんばかりに芝生を撫でる。
「な、なるほど……しかし、本当に驚きました。お休みになる時は、どうかお部屋にお戻りくださいませ」
東條が軽く苦言を呈する。と、アルバートは何かを考えるような仕草を見せた後、東條の腕を掴むと体重をかけて引いた。そのまま再度芝生の上に横になる。
「うわっ」
不意に腕を引かれて身構えることもできず、東條もまたアルバートと一緒に芝生の上に寝転がった。東條はすぐに起きあがろうとしたが、少しばかりチクチクとする柔らかな芝生に頭を預けると、体から力が抜けていくような感覚がした。
東條は、その今まで感じたことのないような心地よい感覚が不思議で目を瞬く。目の前には高い青空が広がっていて、思わず胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「ね、気持ちいいでしょ」
「はい」
隣に寝転んだアルバートに問いかけられ、東條は素直に頷く。先ほども白石と似たようなやりとりをしたなと思いながら、東條は白石に向けても呼びかけた。
「白石も横になってみな」
「え、いや、俺はいいかな」
様子を見ていた白石は戸惑う。と、アルバートが一人立ったままの白石に向けて腕を伸ばした。
「おいで」
太陽の光を正面から受けて、アルバートの瞳がいっそう輝いて見えた。
その隣の東條は目を閉じて、すっかりリラックスする体勢に入っている。二人の様子を見比べてから、白石は観念したように吐息を漏らし、アルバートの横に寝そべった。
優しく暖かい風が吹き抜けた。薔薇の香りを運んだ風は芝生を撫で、川の字になった三人の髪をそよそよと揺らす。
芝生もまた暖められていて、じんわりとした熱が背に伝わってくるのも心地よい。まるで大地のエネルギーをお裾分けしてもらっているかのようだ。
「あー……」
白石は、思わずといった様子で腹の底から声を漏らした。
「気持ちいい」
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