第35話 世界のはぐれものたち



 ソフィアの元気がなくなってしまって、魔王は憑き物が落ちたような顔をしているので、昨夜の作戦会議はそのままお開きとなった。

 だがこうして一晩経ってみると、修道院を壊して呪いの効力を弱めることが、最も効果的な対策かも知れないと思えた。

 朝の光の中で、髪を丁寧にとかしながら考える。


「お兄様も聖女には不信感を抱いていたはず。少なくともこれ以上新しい修道院を建てないよう、依頼してみましょう」


 私はすぐに手紙を書き、転移魔術でお兄様の所へ飛ばした。

 すると、返事は半日後に返って来た。内容はこんなところだ。


『聖女が何か魔術的な意味合いを込めて修道院を建てているのではないかという疑惑は以前からあった。

 ゆえに新しい修道院の建設は一旦止めている。ただし聖女からはひっきりなしに、次の修道院を建てるための費用をよこせという督促が来ている。

 もし魔族を滅ぼすことができる魔術ならば、それに賛同する貴族も多く、聖女にとっては後押しになるだろう。

 だからこれは自分とアマリリスの秘密にしておく。秘密とは甘美な響きだ。なぜならばそれは秘められた二人だけの……』


 手紙の後半は益体もない内容だったので割愛する。

 とにかく修道院が新しく建つことは、今のところはなさそうだ。


「魔術陣を無効化する術はないのかしら。あったとしてもかなり難易度が高そうですわね」


 私は知っている図書館の司書や魔術師、修道士に手紙を出して確認してみたが、誰も分かる者はいなかった。

 そもそも、大陸に展開された魔術陣など規格外すぎて、人間の知恵の及ぶ範囲ではない。


「……人間がだめなら、ここはあの人の出番かしら?」


 私は引き出しからあの方位磁石を取り出す。

 そう、サキの店に行くための方位磁石だ。

 そもそもあのラヴィーノの魔力が込められた玉をくれたのは、サキだ。

 彼なら何か知っているかも――そんな期待を込めて、磁石の導くままに足を進めれば。


「おうアマリリス。今日は客として来たわけじゃあなさそうだな」


 赤毛の男が、ゆったりとソファに腰かけてコーヒーをすすっている。

 私はサキの対面に座った。コーヒー? と問われて首を振る。


「サキ。あなた、レオナルド・ラヴィーノに詳しい?」

「詳しい。あいつには楽しませてもらったからなぁ」

「楽しませてもらった?」

「ああ。あいつの魔族狩りはそれは見事だった。この店から覗き見しかできないことが悔やまれるほどに」


 六十年前に死んだ人間とのことを、いかにも懐かしそうに言うあたり、サキも得体が知れない。

 楽しそうに目元を緩ませるサキの表情が一変する。


「だがそれも、部下の精神を操るまでだったな」

「精神を操る?」

「戦争において最も邪魔なものは、人間の心だ。魔族を殺したくない、疲れてるんだからこれ以上重い剣なんか振り上げたくない、怖いから逃げ出したい。それらを全て耕し尽くして、人の心を無にならし、ただの殺戮人形へと変化せしめる」


 歌うような言葉だけれど、その内容はぞっとしない。

 要するにラヴィーノは、兵士から人間らしさを全て取り除いたわけだ。

 命令に従順な兵士は、きっちりと魔族を殺し尽くした。サキはそれが面白くなかったという。

 恐ろしいのはラヴィーノもサキも、どっちもだ。


「どうして面白くなくなったのかしら。魔族を前に剣を振り下ろすのをためらう方が、よほど興ざめではなくて?」

「でもそこにはストーリーがある。変化がある。魔族をジャガイモでも切るみたいに攻撃されちゃ、すぐ見飽きちまうよ」


 そう言ってサキは、ねっとりと私の顔を眺めた。


「ラヴィーノについて聞いてきたってことは――俺がくれてやった玉の正体が分かったんだな?」

「ええ、あれにはラヴィーノの魔力が込められていましたわ。おかげさまで読みたかった本の内容が分かるようになりましたの」

「――そうか! それで、ここへ何を聞きに来た」

「大地に魔術陣を――」


 言いかけて私は、ふと、聖女がラヴィーノの手帳を読めるようになった理由を考える。

 サキからもらった玉がなければ、手帳を判読することはできなかった。

 では、聖女もまた、あの玉を手に入れたのではないだろうか?


「……あなた、聖女様にお会いしたことはありますの?」

「……ふはっ。あっははははははは! いやはや、さすがの勘だぜアマリリス。お前をお前たらしめているのはその動物的な直観だ。冷静に、けれど直感的に、お前は荒野を歩いてくんだろう。何なら一番王に向いてると思うぞ」


 サキは聖女に会ったことがある。

 私はソファの上で身を強張らせた。ここではサキの方が、転移魔術が上手い。


「おっと、俺は聖女の味方じゃないし、お前に危害を加える気はない。ただあいつもまた、ここへ迷い込んできた客だったんだ」

「それであの玉を渡したとおっしゃるの」

「この店は何かを切望する者のみがたどり着ける。知ってるだろ? あの玉は聖女にこそふさわしい。あれはラヴィーノの手帳にとりつかれていたから」

「とりつかれていた……?」


 サキはふっと笑った。


「ラヴィーノは執念深い。あの野郎は魔族を滅ぼすために生きていたが、それは敵わなかった。だから――そうだな、幽霊みたいなものが、あの手帳にこびりついていたんだ。聖女はそれに当てられた。あれを読みたくて読みたくて仕方がなくなった」

「だから聖女はあの手帳を資料室から無理やり持ち出したのですわね」


 そして聖女は手帳の中身を判読し、ラヴィーノの遺志を継ぐことを決めた。

 魔族を追い詰めるための魔術陣を、修道院を用いて大地に刻み込んだのだ。


「ラヴィーノが計画していたのは、矢の魔術を大地に転記するという壮大なものだ。大地の上に魔術陣を描き、莫大な魔力を浪費して魔術を展開する」

「その莫大な魔力はどこから調達するつもりなのかしら」

「修道院は宝石だのプラチナだのでできているんだろ? じゃあそれが媒体となる。大地から吸い上げた魔力や、聖女や人々の祈りによって生まれた魔力が、そこに蓄えられて増幅されるんだ」


 聖女はただ国庫を圧迫するためだけに、あるいは自分の虚栄心を満たすためだけに、宝石だらけの修道院を建てさせたわけではなかったようだ。


「シンプルな仕組みだが、その分魔術陣に干渉することは難しい」

「では聖女の邪魔をすることはできない、ということですの?」


 尋ねると、サキは少し唇をかんだ。いつも飄々としている彼には珍しい、ちょっと子どもっぽい仕草だった。


「――できる」

「どうやって!?」

「だが、……ああいや、ここまで来て教えないのは最悪だよな」

「そうですわよ。出たものを引っ込めるには遅すぎましてよ!」

「だよな。だから教える。これができるのはお前だけで、やり方は――」


 そうしてサキは私に、聖女の邪魔をし、魔族を守る方法を教えてくれた。

 呆然とする私に、サキは切なそうに笑う。


「お前しかできないが、お前がしなければならないことじゃない」

「何をおっしゃっているの。やりますわよ私は! 方法があるならそれを選ばない道はありませんわ~!」

「アマリリス。別にお前がそこまでする必要はないんだぜ」

「それ、慈善活動をする中で耳にタコができるほど聞きましたわよ。もっと面白いことを言って下さいまし」


 私は立ち上がる。こうしてはいられない、できることがあるのだから。

 去ろうとする私に、サキが小さく呟く。


「ごめんな」


 いつになく気弱な声に振り返ってみれば、赤毛の男はうつむいていた。

 先程私を笑い飛ばしたサキが、眉根を寄せて苦しんだ表情を浮かべている。

 こんな顔をするのだ、と思った。まるで寄る辺ない子どもみたいだ。


「俺はもしかして、自分のためにそれを教えたのかもしれない。――こうしてどこにもたどり着けず、誰かが迷い込むのを待つしかない存在を、増やしたかっただけなんだ」


 多くを語らない言葉には苦しみが滲んでいる。

 私はサキの本当の姿を知らない。きっと人間ではないのだろうと思うが、悪人であるとも思えない。

 ただ、彼には彼なりの苦しみがある、それだけだ。


「別にあなたの気持ちはどうでもよくてよ」

「どうでもいい?」

「あなたがどんな気持ちだったにせよ、あなたは私が最も求めていたことを教えてくれた。それが全て、それで十分でしてよ」


 私は振り返り、ドレスの裾をつまんで、丁寧にお辞儀をした。


「私がすべきことを教えてくれたあなたに、感謝申し上げますわ。またどこかで会いましょう!」

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