感熱

宵街 桜

感熱

 今日の学校も憂鬱だった。

 

「これからカラオケ行く奴ー!」

「はーい!」

 放課後。クラスカースト上位の男子が提案すると、教室内に居た生徒のほとんどが手を挙げる。

「キャハハ! またあ?」

「んだよお。文句言うなら連れてかないぜ〜?」

「もお! やだやだあ! 行くう!」

 居心地の悪い空気に急かされ、僕は急いで荷物をまとめた。そして音を立てないように椅子を引き、教室を出ようと廊下を目指して歩き出した。すると、突然前方の床に影が差す。

「お〜い。稲村くぅん? 何帰ろうとしてんの?」

 顔を上げると、先程クラスメイトをカラオケに誘っていた男子生徒が行く先を塞いでいた。

「……えっ」

「『え?』じゃねえよ。折角俺様が誘ってやってるのにさあ。無視して即帰宅って人としてナクない?」

 目を覆い隠すように伸ばした前髪を掴まれる。

「いたっ!」

「ちょっと〜、やめたげなよお。稲村くんかわいそうじゃん」

 何か言いたくて口を開くが、スカートの短い女子が口を挟む方が先だった。

「かわいそう」という言葉とは裏腹に、声色は楽しそうに弾んでいる。

「てか、うちらのカラオケに来るとか無理っしょ! 稲村くん陰キャだしい」

「ハハッ! そーだったわ。休み時間にいっつもゴミ見てニヤニヤしてるキモ陰キャだもんな!」

「……っ!」

 ゴミ。

 誰も彼もが、僕の好きなものをそう評する。

 周りもそれに同調するように、僕を見てクスクス笑っていた。

 

「はあ……」

 その後散々言葉で嬲られ、突き飛ばされるようにして教室を出た。

「レシートはゴミなんかじゃ……」

 店ごとに違うロゴは集め甲斐があるし、両端が赤いレシートに出会うとタイミングが良かったと一日ラッキーな気分で過ごせる。加えて感熱紙という特殊な材質で出来ていて、熱を受けると黒く染まるのだ。幼稚園の頃はそれでばかり遊んでいたな。

 ぼう……と歩いていると、周りの景色が見ないものに変わっていた。掠れた「一年七組」のプレート、外され壁に立てかけられたドア、荒れ果てた教室。いつの間にか、もう使われていない旧校舎に足を踏み入れてしまっていたようだ。

「は、早く戻らなきゃ」

 彼らと昇降口で鉢合わせてしまうかもしれない。

 キュッと上履きを鳴らすと同時、校舎の奥から冷たい風と何かが僕に叩きつけられた。

「うわっ……!?」

 紙吹雪のような小さくて白いもの。それらは重力に従って床に落ちていく。

「何だこれ……」

 しゃがみ込んでそれを一つ拾い上げる。それは、僕の大好きなレシートだった。

「うわあああ……! これ、もしかして全部レシート? 埼玉、青森、沖縄まで……!」

 自らの周りに落ちているレシートを、夢中で拾い上げる。持ち主が、その様子をじっと見ていることに気付かないまま。


♦︎


「全部拾ってくれたの? ありがとう」

 飛んできたレシートを全て集めて胸に抱え、ほくほくした気持ちで立ち上がったところで知らない声が聞こえた。

「え……?」

 顔を上げた先には、見たことのない美青年が立っていた。色素の薄い茶色の髪に、日本人離れした緑色の瞳。

 彼は制服の上からエプロンを纏い、脇にバスケットを抱えていた。

「レシート、好き?」

 彼は軽やかな足取りで僕に近づいて、そう言った。

「っ……!」

 答えは、決まってる。

 でも、本当のことを言ったら、きっと。

「違います! ただ落ちてたので、拾ったまでです!」

 ゴミが好きなんて気持ち悪いって、そう言われるに決まってる。

「……ふうん」

 彼は眉を顰め、それから僕にバスケットを差し出してきた。

「レシート、この中に入れてくれる?」

「あ……はい」

 バスケットを受け取り、抱えていたレシートを再度落とさないように丁寧に入れていると、彼は何も言わずに校舎の奥へと足を進めていた。

「え、ちょ、これは!?」

 僕の困惑の声にも立ち止まることなく、彼の背はどんどん小さくなっていく。

 ここに置き去りにすれば、レシートはまた空へ舞ってどこかへ行ってしまうかもしれない。

 僕は意を決し、彼が消えていった旧校舎の奥に踏み出した。


♦︎


 バスケットを抱えて彼を追った先。綺麗に片付けられた教室から、大きな顔がこちらを見ていた。

「うっわああああ!?」

 思わずバスケットを強く抱え込み、逃げなければと急いで退行する。

「いったあ!」

「鈍臭いね、キミ」

 ドアレールに足を引っ掛けて転んだ僕を見て、彼は笑った。あいつらみたいな下品な笑い方じゃなく、なんだか儚げな笑い方だった。

「こ、これ、絵ですか?」

 美青年の笑顔がくすぐったくて、意識をあちらに向けようと顔を指す。

「……うん。まあ、そう」

「すす凄いですね。今にも動き出しそう……」

 男の苦悶の表情には、鬼気迫るものを感じる。

「ありがとう」

「黒の絵の具だけで描いたんですか?」

「違うよ」

「? 絵の具以外で絵が描けるんですか?」

「近付いて見てごらんよ。何で出来ているか」

 ハンドサインで促され、恐る恐る顔に近づく。

 でも、顔の圧力が強くて立ち止まりそうになる。

「もっと」

 声に背を押される。

「もっと」

 顔に細かい模様が見えてきた。

「もっと」

 目の前に、企業のロゴマーク。

「わかった?」

 これは。

「……レシートだ」

「正解」

 いつの間にか、彼が横に立っていた。

「レシートアートって言ってね。感熱紙であるレシートの、熱すると黒く変色する特性を利用して描いてるんだ」

「だからこんなにレシートが……」

 バスケットの中に視線を落とす。大量のレシート、これらは作品作りに必要だったんだ。

「これ作るのに……何枚だったかな。まだ一万はいってない気がするけど」

「い、いちまん!?」

 男の顔を描くだけで、そんなにレシートが要るのか。

 僕のコレクションじゃ一つも作れないな……。

「ねえ、キミもやらない?」

「え?」

「周りに私以外やる人がいないんだよね。『レシートはゴミ』みたいな考えの人が多くてさ」

 レシートはゴミ。

 ばくん、と心臓が跳ねた。

「レシートはさ、その人の買い物の記録でしょ? いわば小さな人生録。ゴミなんかじゃない。レシートアートは、人生録をかき集めて人生をカタチにする。これって素敵なことだと思わない?」

 集めたレシートは、僕の小さな人生録。

 レシートアートは、人生をカタチにすること。

「え。なんか今まずいこと言った……? ティ、ティッシュ。ティッシュどこ」

 焦っている声はするのに、彼の顔が見えない。

 頬を伝ってきた液体が口に入ると、塩のようにしょっぱかった。


「落ち着いた? 颯太くん」

 キコキコと、彼の座った椅子が鳴る。

「ごめんなさい……」

 呼応するように、僕の座った椅子もギィと鳴った。

「謝らなくていいけど……。泣かせたの私だし……」

「貴方は悪くないです。僕がただ、勝手にその言葉に救われた、だけで……」

「救われた」なんて単語、日常生活で使うと思わなかった。恥ずかしくって、最後の方は声が掠れた。

「そっか……」

 またくすぐったい笑いを浮かべているのかと横目で見ると、彼は耳を赤くして俯いていた。

「花村さ……」

 思わず声を漏らすと、彼と目が合う。

「あー! もう!」

 目が合った途端、彼が勢いよく立ち上がる。

「で、キミはあれやるの!? やってくれないの!?」

 ビシッと指をさされて詰め寄られ、捲し立てられる。

「その言い方、狡いですよ」

 ふっ。口から、息が漏れた。

 久しぶりに、僕は呼吸した。


♦︎


「これからカラオケ行く奴ー!」

「はーい!」

 放課後。クラスカースト上位の男子が提案すると、教室内に居た生徒のほとんどが手を挙げる。

「頻度高!」

「じゃ今日はゲーセンにしちゃう? それともファミレス?」

「いんじゃね?」

 手早く荷物を纏めた僕は、彼らの間を縫うようにして廊下を目指す。

「おいおい稲村くぅん。またシカト?」

 また、男子生徒が僕の行き先を塞ぐ。

「俺様傷ついちゃったなあ〜。でもキモ陰キャには俺様のご機嫌は取れないだろ? しょうがねえから、今日遊んでくれたら許してやるよ」

「……行かない」

「は?」

「僕にはやることがあるんだ」

 それだけ言って、男子生徒の横を通り抜けた。

「っ! ゴミが好きな陰キャにやることなんてねえだろ!」

 廊下に一歩踏み出した時、背後から怒鳴られた。

 クスクス、クスクス。あちこちから笑い声が聞こえる。

 少し前まで、この空気が恐ろしかった。怖くて、何も言えなかった。

 でも今は。

「レシートはゴミなんかじゃない。小さな人生録だ」

 

「やあ。今日も来てくれたんだ」

 旧校舎の一階、一番奥の教室。

 僕と彼の人生のかき集め。

「早く完成させたくて。……人間の顔に見えます?」

「だんだん輪郭がわかってきたねえ」

「見えないんですね分かりました」

 鞄を床に投げ捨て、熱を帯びたアイロンを握る。

「朝陽くん。どこを直せば……って、何で笑ってるんですか?」

 さっきまで寄付されたレシートを仕分けていた朝陽くんが、儚げな笑い方をしていた人と同一人物とは思えない激しさで笑っていた。

 床を転げ回っているけれど、危ないんじゃ……。

「『朝陽くん』だなんて初めて呼ばれたものでね!」

「な、馴れ馴れしかった!?」

「いや、違う! そうじゃない!」

 苗字呼びから昇格できたのは嬉しいんだけどさ。

 彼はそう言って、涙を拭いながら立ち上がる。

「私、『あさひちゃん』って呼ばれた方が嬉しい女の子なんだけどな」

「ああ、そういう……」


「え!?」

 アイロンが、手から滑り落ちた。

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