その6 同  上   5

  六 老い


八○四 ああ、短いかな、人の生命よ。百歳に達せずして死す。たといそれより長く生きたとしても、また老衰のために死ぬ。


八○五 人々は「わがものである」と執着したもののために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまっていてはならない。


八○六 人が「これはわがものである」と考える物、――それは(その人の)死によって失われる。われに従う人は、賢明にこの理を知って、わがものという観念に屈してはならない。


八○七 夢の中で会った人でも、目がさめたならば、もはや彼を見ることができない。それと同じく、愛した人でも死んでこの世を去ったならば、もはや再び見ることができない。


八○八 「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば、ただ名が残って伝えられるだけである。


八○九 わがものとして執着したものを貪り求める人々は、憂いと悲しみとものおしみとを捨てることがない。それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行なって安穏を見たのである。


八一〇 遠ざかり退いて行ずる修行者は、独り離れた座所に親しみ近づく。迷いの生存の領域のうちに自己を現さないのが、かれにふさわしいことであるといわれる。


八一一 聖者はなにものにもとどこおることなく、愛することもなく、憎むこともない。悲しみも慳みもかれを汚すことがない。譬えば(蓮の)葉の上の水が汚されないようなものである。


八一二 たとえば蓮の葉の上の水滴、あるいは蓮華の上の水が汚されないように、それと同じく聖者は、見たり学んだり思索したどんなことについても、汚されることがない。


八一三 邪悪を掃い除いた人は、見たり学んだり思索したどんなことでも特に執着して考えることがない。かれは他のものによって清らかになろうとは望まない。かれは貪らず、また嫌うこともない。

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