UFOと単調なリズム、非テレパス

Sanaghi

残響とアルミホイル、非テレパス

残響とアルミホイル、非テレパス -1

 久遠ひさとおアケミはわたしの名前だった。しかし、「おぉ、その名前こそ、わたしの名前なのだ」としっくりきた経験はない。学校で、その名前を呼ばれたとしても、それが即座にわたしと、ダイレクトに脳髄で接続することはなくて、名前を呼ばれてから返事をするまでのどこかで、「久遠アケミ=わたし」と結びつける操作を完了させる必要があった。もちろん、たとえ学校であろうと、誰かが誰かの名前を呼びかけることは、今となってはありえない話だけれど。学校という存在でさえ、本で読んだものから作り上げた妄想でしかないのだが。


 薄暗い部屋。換気扇が回っているからひどく暑くはない。決して悪い環境ではない。ただ、しばらく使っていなかったから、ややほこりが堆積している。こほり、とわたしは小さなせきをはく——。

 浜辺に打ち上げられた魚みたいに、を巡回清掃する「ボット」が作業台の上に転がっている。わたしはエンジニアではない。エンジニアではないけれど、異常を検知したボットの恢復かいふくは、その敷地の管理者が対応することと周囲の人々と取り決めていた。幸い、今日は休業日だったし、急を要するような業務も任されていない。ボットの横にマニュアルシートを広げながら。さらにマニュアルシートの横にコーヒーを携えながら、わたしはボットの分解作業をはじめた。


 魚の解体作業のように、外装をひとつひとつビスを外して、剥がしていく。内部をさらしていく。ボットとは言うけれど、清掃作業専門のものなど、マニュアルシートがあれば誰でも仕組みの理解ができる単純なつくりだ。さらされた内部から、また内装を剥ぎ取って、さらに内部をさらしていく。まるで玉ねぎやキャベツの皮を剥いているような気分だった——なかに何も入っていなかったら、どうしよう、という不安を覚える。もちろん、そんなことはなかった。飲み込んだゴミの中からこぶし大のアルミホイルを見つける。表面のゴミを手ではらうと、金属はきらきらとした光沢をわたしにあらわにした。こほり、とまた小さなせきをはく。それに反応して、光沢は曇り、それからすこし時間がって、またきらきらとひかりだす。


「久遠アケミ=わたし」と違って……アルミニウムは名が体をあらわしている。その語源は光を表す「alumine」から来ている、はずだ。アルミニウムが含まれている明礬みょうばんにも、やはり「明かり」が伴っている。アルミニウムは輝いている。わたしはそれをリサイクルBOXに落としながら、コーヒーに口をつける。わたしは? わたしはどうだろう? わたしは久遠アケミとして存在しているだろうか。分解したボットを組み立て直しながら、思索を巡らせる。ぽつりと一滴の汗が外装にこぼれ落ちる。久遠アケミが剥離する。

 清掃ボットが汗の一滴で壊れてしまったら、きっとほこりひとつみ込んだだけで故障してしまうだろう。流し台の三角コーナーに、魚の頭が入っているのを見て「この容れ物はひどくけがれている」と指差して非難するようなものだ。きっと誰も、わたしの部屋にずけずけと入り込んで、クレーム染みた指示をすることはないはずだ——とにかく、清掃ボットにゴミや不純物が入り込んでいるのは、光り輝く金属をアルミニウムと呼ぶ程度に自然なことなのだから、当然問題はない。久遠アケミわたしはわたしをそう説得させた。


 バラバラにした外装の、ひとつひとつをつなぎ直しているところで、来客を知らせるインターフォンの電子音が鳴り響いた。あまりに突然のことだから、わたしは思わず、ぶるりと肩を震わせる。今日は誰かに会う約束をしていなかった。そもそも誰かがわたしに会おうとすることでさえ、滅多めったにない話だった。彼らはボットを介してしかコミュニケーションを取らない。ボットはインターフォンを鳴らさない。鳴らさずに堂々と扉を開ける。だからそもそも、自分の家の、びてほとんど朽ちているような機械が、音を出すとは思わなかった——そうなると、それは奇妙な話だ。それでは何故なぜ


 


 かつて、どこかでそれを聞いた覚えがあったのか。それとも失われた生存本能のように、太古から連綿と続く遺伝子情報に「この音は来客を知らせるものである」と刻まれていただろうか——そんなくだらない妄想を繰り返している暇はない。とにかく重要なのは、いま、玄関の扉のも向こう側で、わたしを待っている人がいる。ということだった。

 わたしは廊下をゆっくりと歩いて、玄関へと向かった。ドアの向こうで、なにかが、動いている。すりガラスに乱反射して映る影が、もぞもぞと動いている——本当にひとだろうか? 「人だよー!」と声が聞こえる——本当にひとだろうか? 「人だってば!」たとえばアメーバのような無定形の怪物が、発声器官を模すように形を変えて、空気の振動を震わせて「声」を再現して、わたしを食い殺すために、誘い込もうとしているのではないだろうか。そう考えると、あの来客のインターフォンとその電子音に対して沸いた不信感にも説明がつく。それもやはり模倣された発声器官が造り出した「撒き餌」のようなものなのだ。


「ちょっと!」

 ばたん、とドアが開け放たれた。目の前には、わたしと同じくらいの年齢——つまりは15から17才ほど——の少女が立っていた。肩くらいまでの赤毛を後ろでゆるくまとめて肩前に垂らした少女が立っている。無定形の怪物かもしれないという懸念こそ払拭ふっしょくされていないが、とりあえずアメーバではないことはたしかなようだった。


「ちょっと。ねぇ。さっきから、随分ひどいことを考えてくれるよね。アメーバとか、怪物とか。それにインターフォンだって幻聴でもなければ偽物でもないってのに」 


 そう言って彼女は扉の隣につけられた、あのぼろぼろにびているインターフォンのボタンに触れた。再び、無機質で一定な、あの平べったい電子音が静かな集合住宅地に響き渡る。か細い残響が落下防止の手すりを揺らしているようにみえた。「わ」とわたしが小さな声をあげると、目の前の少女は「ね」と答えた。

 どうやら、わたしは幻聴を聞いていなければ、幻覚を見ていないようだ。やや友好的な態度から、少なくとも不定形のアメーバではないことは確からしい。見ているとぐるぐると目をまわしてしまいそうな二つの眼がわたしをじっとしている。


「ねぇ、キミ。キミってさ——」


 彼女はわたしに一枚の封筒を差し出した。特別飾りのない。業務用として大量購入可能な。長辺23.5センチメートル、短辺12.0センチメートルの一般的に使われるものだった。


「——“非”テレパスって、ほんとうなの?」

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