第2話

「おはようエレンさん」

「おはようございます!」

「あ、シリウスさん。それにククルちゃんも。おはようございます」


 他のカウンターは大慌てで他の冒険者たちの依頼を捌いている中、シリウスの担当であるエレンは穏やかに微笑んでくれる。


 というのも彼女、今日はシリウスに来ている特別依頼の案内ということで、通常業務を一時的に外されていたからだ。


 他の受付嬢たちからは若干恨めしい目で見られているが、それなりに長くこの仕事をしている彼女はどこ吹く風。


 さっとククルのための依頼書を用意すると、いつものように説明に入る。


「それじゃあククルちゃんは終わったら、依頼者からサインを貰ってきてね」

「はーい。それじゃあお父さん、行ってくるね!」

「なにかあったら周りの人を頼るんだよ」

「うん!」 


 依頼の紙を持って、ククルは外へと出て行く。

 最初は一人で街を歩かせることに不安があったシリウスだが、今はそれも杞憂だとわかっていた。


 ガーランドは決して治安の良い街とは言えないが、この街に長年住んでいるシリウスには友人も多く、ククルの存在も周知となっていた。


 もし彼女をどうこうしようとするような者がいたら、住民たちから一斉に袋叩きにされることだろう。


「ふふ……ククルちゃんも、もう立派な冒険者ですね」

「エレンさんが色々と教えてくれたおかげだよ」


 笑顔を見せるシリウスに、エレンはカウンターの下でガッツポーズをする。


 彼は冒険者としての地位が高いわけでもない。お金をたくさん稼げているわけでもなければ、誰もが目を張る美形というわけでもない。


 だがその優しさに惹かれている女性が多く、エレンもその一人だった。

 侯爵令嬢まで好意を持っていると知ったときは驚いたが、さすがに地位が違いすぎる。


 ライバルが多いとはいえ立ち位置的に自分が一番親しく、チャンスがあると思っていた。


 ――あとはククルちゃんに認めて貰えれば……。


 あの天使のような少女はシリウスにべったりだ。そして年齢に似合わず、彼の幸せを第一に願っていることはわかっていた。


 近づいてくる女性にかなり厳しい目を向けて警戒しているのは、同じ女ならみんな気付いている。


 だが同時に、これは逆にチャンスだった。

 これまではエレンはシリウスにとって姉のような存在としてしか見て貰えず、恋愛対象にすら入っていなかったが、上手く行けばククルが後押しをしてくれる。


 ――そうなれば今まで踏み込めなかった一歩を超えて、ゆくゆくは彼とあんな関係に……。


「エレンさん?」

「なんでもありませんよ」


 散々脳内で妄想をしていたことをおくびにも出さず、にっこりと受付嬢らしい笑みを浮かべる。


「それではシリウスさんはこちらの部屋でお待ちください。私はギルド長を呼んできますので」


 案内された部屋に入ってしばらくすると、ギルド長のヘクトルが入ってくる。


 鋭い眼光に刈り上げられた白髪と同じ色の髭。焼けた肌をしたクマのような巨漢で、冒険者を引退して長いはずだが鍛え続けている肉体に衰えは見えない。

彼は気さくな様子で手を上げると、正面のソファに座る。


「いきなり呼び出してすまねぇな」

「昔からギルド長にはお世話になってますから、気にしないでください」


 ヘクトルがギルド長になる前、一介の冒険者だった頃に知り合ったシリウスは、彼から冒険者のイロハを教わった。


 そんな関係だからか、ただの冒険者とギルド長という立場の差がありながら、二人の間には緊張らしい雰囲気はまったくなかった。


「どうよ最近。あのチビを拾ってからなんか変わったか?」

「うーん……」


 改めてククルを拾ってからこれまでのことを思い出す。

 正直、自分ではそう変わったと言えるような気はしなかった。


 ――あえて言うなら、長期で宿を空けるような依頼は極力避けるようになったくらいかなぁ……。


 悩んでいるのがわかったのか、ヘクトルは苦笑する。


「自分じゃわかんねぇか。でもお前、前よりもいい顔してるぜ」

「そうですか?」

「おうよ。まあ俺ら冒険者ギルドからすりゃ、お前みたいに優秀なやつはもっと働いて貰いたいもんだがな!」

「優秀って、グラッドみたいなのを言うと思うんですけど……」

「そりゃお前、見解の相違ってやつだよ!」


 がっはっは、とヘクトルは豪快に笑うが、これはギルドの総意でもあった。


 剣に関しては大した才能がなかったとはいえ、冒険者というのは腕っ節が強ければそれだけで成り立つものではない。


 経験だけならすでにベテランと言って差し支えはないし、死亡率が高い職業の中でシリウスのような立場の人間は貴重だ。


 ――つっても、実力的にはC級以上には上げられねぇしなぁ。


 この街の指名依頼率でダントツのトップなのは伊達ではない。

 二人は戦友とも兄弟分とも思える間柄だが、そこに贔屓などは存在しないし、指名依頼を融通したことなど今まで一度も無く、今回の依頼は彼が実力で取ったものだ。


 もっとも、それが良い物かどうかは、ヘクトルにも判断がつかないものだったが……。


「それで、今日の依頼のことなんですけど……」

「おう、もうちょっと待ってくれや。多分そろそろ来る頃だからよ」


 住民からの信頼度が高く、ギルドとしても重宝する存在だとしても、今回の依頼は外部の人間。


 内容をまだ聞かされていないこともあり、さすがのシリウスも少し緊張する。

 経緯が気になる状況の中でしばらく待つと、廊下から足音が聞こえてきた。


「来たか……よっと」


 テーブルを挟んで話すのかと思ったが、ヘクトルが立ち上がって隣に来る。

 そのせいで正面のソファが空くのだが、どうやら正面には別の人が来るということだろう。


「ギルド長もこっち側なんですか?」

「まあな。さすがにこいつを普通の担当者に任せるわけにはいかねぇからよ……いや、本音を言えば俺も勘弁して欲しいんだが……」

「……?」


 ヘクトルが緊張気味にそう言うと同時に扉が開く。


「おいシリウス、お前も立て――」


 と言おうとしたときにはすでにシリウスは立っていた。


 普通の冒険者なら座ったまま偉そうに待っているだろうが、シリウスはアリアから礼儀作法を叩き込まれている。


 目上の人間が来るときに座ったまま迎えるような礼儀知らずではなく、扉が開く前に立ちあがっていたのだ。

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