ようこそ妖精の里へ Ⅱ

 ちらり、俺はもう一人の妖精を見た。

 長ったらしい前髪のせいでよくわからなかったが、どうやら俺と目が合ったらしい。ささっと、その妖精は顔をうつむかせてしまった。


 しんなり垂れた三角帽子に、クルミ色の髪。背丈や体型は、ウェンディとほとんど変わりない。反面、性格はずいぶんおとなしいようで、さっきから一言も発してない。


 この妖精が、彼女の片割れなのだろう。さっき名をカールと呼ばれていた。


「捜していた仲間は見つかったんだな」


 こいつだろ?

 と俺が指させば、カールはびくりと肩を震わせた。

 おどおどしているカールとは対照的に、ウェンディは「ええ、そうよ」とはっきりとした声で答えた。


「よかったな、仲間が見つかって」


 俺は明るく言ったつもりだったのだが、やっぱり妖精カールは人間を前に明らかに怯えているふうであった。俺は思った、きっとこのカールのように人間を避けるのが、妖精として当たり前の態度なのだと。


「アタシたちのことはいいから。さぁ、早く!」


 一方で、妖精ウェンディはじれったく叫ぶ。彼女は俺の背後にまわって、ぐいぐい背中を押して追い立てはじめた。


(やっぱり、こっちの勝ち気なのは普通じゃないっぽいな……)


 と、しみじみ思う俺であった。


「あ、ちょっとだけ待ってくれよ」

「なに?」


 振り向けば、ウェンディがジト目でにらんでくる。そんな彼女は無視して、俺は腕を上げてある方向へと指をさした。


「外に出る前にさ――あのでっかい樹を近くで見てもいいか?」


 俺の指さした方向には、天高くそびえる大樹の姿があった。


 トンネルを抜けた時、真っ先に視界に飛び込んできた壮大な構図に俺は声も出なかった。

 遠目でも十分にわかる、息をのむ巨大さ。空を覆い尽くすほど伸びた枝葉に、地面をうねる根っこの群れ。


 こんなもの、俺の読んできた本のなかにも載っていなかった。まさしく、閉ざされた秘境のなかに息づく神秘の光景……といったところだろうか


「ほかの仲間たちに見つからなきゃいいんだろ? もうここへは二度と立ち入らないって約束する。もちろん、誰にも教えない。だから――」

 

 片目を閉じ、俺は妖精たちに頼み込んだ。両手を擦り合わせながら、俺はもう一度大樹を眺める。見開いたアイスブルーの瞳は、きっと俺の人生でなかでも一番強く輝いていたにちがいない。


 高鳴る胸、好奇心は重い吐息に変わった……ああ、感動をうまく表現する言葉が出てこないというのは、このことだ。


「なっ、頼むよ。俺を、あの樹のそばまで――」

「ぜぇったいに、ダメッ!」


 ウェンディの叫びが、俺の声をかき消した。小さい体から出た声量の迫力に、俺も、その隣にいたカールも思わずびくっと震えた。


「いいから、あんたは帰るのッ!」


 と、彼女は再び、俺の背を押しはじめる。


「み、見るだけだって……そんなに、まずいことなのか?」

「……あんたには、関係のないことなんだから!」

 

 振り返れど、背を押すウェンディは下を向いているため、表情が見えない。ただ心なしか、彼女の声は震えているようにも聞こえた。


「これ以上、妙なことに巻き込まれたくなかったら……おとなしく、自分の世界に帰るのよ……」

「…………」


 ぐいぐい、押し続けるウェンディ。

 しかし、その時。カールが突然「ウェンディ!」と声を張って、彼女の名を呼んだ。

 

「なによ?」

 

 イラ立ちをあらわにした声音で、ウェンディはカールのほうへ顔を向けた――その瞬間だった。


「キャッ!」

「!」


 バスン。ウェンディの頭に突如、青灰色のチリが弾けた。

 悲鳴を上げた彼女は、俺の背中から離れて、引っかぶったチリを払おうと右往左往うおうさおうに飛んでいる。


「な、なんだ?」


 妖精の小さな頭に直撃したソレは、どうやら上空から降ってきたようだ。

 俺が視線を天上へと向けると、思ったとおり、ちりちりとなにかが落ちてきている。


 葉っぱだ。大樹の枝葉で覆われた天上から、葉っぱが落ちてくる。


 俺の近くにも、その葉っぱが落ちてこようとしていたので、手を伸ばして捕まえようとする。が、葉っぱは俺の指先に触れただけで、もろりと形を崩してしまった。


 皮のグローブに残ったのは、くすんだ青灰色のチリだけだ。


(この青灰色――)


 俺は木こりのおじいさんが切り倒した木のことを思い出す。あの時も、木の芯が同じような血の気の失せた色をしていた。

 指で触れれば木片はあっけなく欠けて、灰のようなチリと化して……。


 はっと、いまさらながら俺は周囲の様子に気づいた。この青灰色のくすんだ葉っぱが、地面の至る所に目についたことを。


「ひどいな。なんなんだよ、これは……」


 ぼそり、俺はつぶやいた。

 また天上を仰いで、広がる枝葉をじっと観察する。月明かりを浴びて青々と生い茂る葉っぱの空に、所々、青灰色に変色している部位が見つかった。


「あれは、枯れているのか?」

「……誰のせいよ」


 暗い声が応えた。頭をチリで汚したまま、妖精は苦々しく表情を歪めている。

 ただその目だけは横にそらされていた。俺はあえて平静な声で彼女に問いかける。


「俺のせいか?」

「…………」


 ウェンディは黙った。少ししてから「ちがうけど……ちがわない」と、よくわからない言葉を口にする。

 彼女は力なく肩を落とした。勝ち気さがすっかり失せ、しょげた姿を見せる妖精を前に、部外者の俺はそれ以上なにも言えなかった。


「?」


 ふと、服が引っぱられる。振り向けば、もう一人の妖精、カールが俺の服の裾をつかんでいた。ウェンディもそれに気づいて、きょとんと顔を上げる。


「カール?」

「……こっちに来て」


 そう言って、カールはひとり、ふよふよ飛んでいった。

 置いていかれたウェンディも、慌てて自身の羽を動かす。


「ちょっとカール! どこにいくのよ!」


 飛んでいったカールを、ウェンディは追いかける。

 そのあとを、俺も続いていった。妖精たちの事情はまだよくわからない。しかし、カールの飛んでいった方向には――あの大樹がそびえていた。

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