女王様のお言葉 Ⅱ

 それを皮切りに、場に集った妖精たちの時間が動きはじめる。しごく当然のことであるが――どわっと、集会はハチの巣を突いたような大パニックになった。


「な、なんで? どういうことなの!」


 それはアタシもおなじこと。

 オリーブ色の髪を振り乱して、となりにいるカールに詰め寄った。彼に女王様の言葉の意味をたずねるも、当然向こうも顔を真っ青にして固まっている。


「妖精の里が滅びるって、そんな……そんなこと……」


 みんないっせいに、壇上の前へ駆け寄った。衝撃の一言に目をうるませながら、壇上の女王様に訳を聞こうと押し合いへし合いしている。

 大混乱のさなか、アタシの目はふと宙にとまった。また一つ、千年樹の枝葉から、はらはらと落ちてきたのだ――あの青灰色の葉っぱが。


「お静かに!」


 妖精族の長の一声が、場にとどろく。

 カーンッ! 手にしていた杖で、女王様が木の床を強く突いた。小さな妖精たちはたちまち、びくりと体を震わせてその場に縮こまる。


 同時に、いったいなんの皮肉だろうか。

 大声を上げたせいか、はたまた床を突いた振動のせいか――はるか高い枝葉の天上から、例の青灰色の葉っぱがどっさり降ってきた。


「!」


 小さな妖精たちの悲鳴の大合唱。みんなの頭に落ちてきた葉っぱは、灰のようなチリと化して舞った。降ってきた量が量だけに……女王の間は、たちまち青灰色の粉塵ふんじんの煙に包まれてしまった。


 ゲホゲホと、あっちこっち煙のなかで咳が上がる。妖精たちの災難は続いた……。

 モクモクとした煙のなかで、ただ一人だけ、女王様の声だけがりんとその場に響き渡った。


「みなさんも、もうご存じのことでしょうが……この妖精の里からマーナの力が失われつつあります」


 これもみな、あの恐ろしい呪いのせいです。

 と、女王様は重々しく言った。


 呪いという言葉に、アタシは思わずぎくりと震えた。

 青灰色の煙に包まれているおかげで、誰にも表情を見られなかったのは幸いだ。アタシはこっそり、頭のなかでさっき千年樹の根元で見てきた十字の遺物を思い浮かべる。


「呪いに蝕まれて、おそらくはあと幾年もしないうちに……ワタクシたちの里を守ってくれている千年樹は、枯れ果ててしまうでしょう」

「そ、そんなぁ……」


 煙のなかから聞こえてきた誰かの悲痛な声に、女王様はていねいに「ええ、そうです」と応えた。


「千年樹と命がつながっている、妖精族の長であるワタクシが言うのです。まことに残念ですが、間違えようがありません」


 煙で目が痛い。視界がほとんど見えないなか、今度は「女王様ぁ」と次々に情けない声が聞こえてきた。その声をなだめるように、女王様は静かな口調で自身の話を続ける。


「ごめんなさい……これは、妖精族の運命なのです」


 運命。

 その言葉に、アタシはぐっと唇をかみしめた。


「かつては大きな国を築き上げた妖精族も、いまでは数える程度まで数が減少してしまいました。

 この小さな集落でひっそり暮らすようになっても、なおワタクシのことを女王と慕ってくれるみなを思うと……ああっ、胸がはりさけてしまいそうです!」


 しかし……もう、すべがありません。

 と、ようやく晴れてきた煙の向こうで、すべてをあきらめて肩を落とす女王様の姿が浮かんできた。杖を持っていない片方の手をぎゅっと握りしめて、悲しげにまぶたを伏せている。


 そのお姿を見て――さすがのアタシも、なにも言葉が出てこなかった。


「女王様のせいではありません!」


 ひときわ大きな声が、集会所に響いた。

 すいっと、うなだれる女王様の前に飛び出た一人の妖精がいた。青灰色のチリで汚れているものの、目にあざやかなコケモモ色の長い髪を振り乱しながら、その妖精は言った。


「すべては忌まわしい人間たちのせいではありませんか!」


 人間。

 その異種族の名に、妖精たちはみな背中の羽をピンと立てた。


「彼らが遠い昔に……この地に、妖精族に、あの恐ろしい呪いを突き刺したせいで――」

「……ええ、おっしゃるとおりです」


 女王様は杖に身を寄せて、まぶたを薄く伏せたまま語りはじめた。


「みなに何度も語ってきたとおり……かつて、妖精族と異種族である人間たちとは、互いに争う関係にありました」


 大昔に起きたという、妖精と人間との戦いのお話。

 それはじつに百年以上にもさかのぼる歴史で……まだアタシやカールといった、いま生き残っている妖精たちが生まれる前の出来事である。


「昔こそ、妖精族の繁栄はとてもすばらしいものでした。ところが、それを妬む人間たちが戦いを仕掛けてきたのです。

 争う年月が過ぎるなか、妖精族の数そのものも減っていってしまいました。それから妖精族は衰退の一途をたどり、やがて人間たちに敗北した我々は悲しいかな……この辺境の森まで追いやられてしまったのです」


 妖精は、もうこの土地にしかいない。

 この小さな集落こそが、妖精族の最後の楽園なのだ。


 幾度と言われてきた言葉を、女王様はアタシたちにくり返し伝える。里のまわりに広がる森の外、外界にいる人間たちに見つかってしまったらおしまいだ。今度こそ……長い歴史を紡いだ妖精族の種は途絶えてしまうだろう、と。


 女王様の話に、いつしかみんな静まり返っていた。


「――ですが」


 と、女王様はすっとまぶたを開く。

 握りしめていた手をほどいて、ピンと立てた人差し指を顎に当てる。なにやら思案するように小首を傾げた。


「たった一つだけ――もしかすると、ひょっとすると、まだ我々妖精族が救われる手段が……」


 碧色の瞳がぐるっと、小さな妖精たちを見渡した。


「あるのかもしれません」

「!」


 女王様の驚きの言葉に、当然ざわっと空気が波立った。

 アタシも両目を目いっぱい開かせて、まっすぐ女王様のかおを見つめた。


「しかし、ワタクシのいとしい子たちに……ああ、そんな危険なことをさせるのは、忍びありません」


 ほうっとため息をついて、悲しげに眉を寄せる女王様。

 そんな我らが長の気持ちを明るくさせようと、小さな妖精たちはいっせいに手を上げる。我も我もとぐっと腕を伸ばし、高らかに声を上げた。

 もちろんアタシも。となりのカールは怖気おじけづいているけれど、垣根の席から女王様に向かって大きく手を振る。


(危険なんて、なんのその!)


 ほんのわずかな可能性でも、アタシたちの未来を救える道があるのなら。どんな危ないことだって、アタシはいとわないと千年樹に誓える。

 たとえ、この身が犠牲ぎせいになろうとも――。


「人間をつれてくるのです」


 この妖精の里に。

 と、女王様は妖精全員をまっすぐ見すえて、言った。


「人間の手ならば、あの呪いを解くことができるでしょう。千年樹の根から引き抜いてごらんなさい……あの剣を」


 再び、場はしんと静まり返ってしまった。

 やわらかな女王様のほほ笑みに、応えることのできる妖精は――誰一人といなかったのである。

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