釜鍋と伝熱管

Planet_Rana

★釜鍋と伝熱管


 東京では、おおよそ春と秋に分類される時期の最低気温が十度くらいらしい。


 「気温十度の服装」と検索をかければ、薄手のコートやジャケットを身にまとい足元は割と無防備な軽装……そんな画像がヒットする。


 まずはそれを前提にしてほしい。因みに本日は冬の真っただ中だ。


 どうやら東京では雪が降ったらしいけれど、人々は革靴に傘をさして往来している――そんなテレビを眺める私は、毛布にくるまってカタカタとしていたのだった。


 一月も末。雪が降らぬ夏島のこと。

 室内温度計が指すのは、ちょうど十度を下回った程度だ。


 温かいからと購入したはちみつレモンが、帰宅時までにすっかり冷めてしまうほど寒い。熱湯をばらまいたら床が凍るとかそういう次元の話ではないが (この島では地面も水道管も凍らない)、夏島に住まわる私にとって、一日中を通して冷え込みが続くというのはあまり喜ばしいことではなかった。


 私は暑さにも寒さにも強くない。

 夏は熱気と湿気で動けなくなるし、冬は乾燥と寒さで冬眠したくなる。


 本日の気温は「十度」らしいが、室内が「十度 (を少し下回っている)」の時点でお察しである。毛布にくるまったまま動けない私を雨風から守ってくれる我が家はしかし古くて古いので壁に断熱材を忍ばせる概念がなく、また防音工事のついでに取り付けられたエアコンは半年ほど前に死んでいらっしゃるので暖房の概念もない。


 因みに防音工事で必ずしも隙間風がなくなる、という保証があるわけでもないので普通に床に転がっているのも寒いのだ。おまけにスマホが冷たくてかなわない。


 床暖房の前に床板がピンチであり、天井の強度がピンチである。ひび割れた壁は当たり前で、風呂場の床はギンギンに冷えるタイプのタイルである。かくいう私自身も服装で対抗しているのだが、ホッカイロにホッカイロにホッカイロ、長ズボンにタイツにヒートテックにトレーナーにもこもこの上着という重装備である。これでもまだ、冷たい隙間風に震えるしまつだった。部屋に一つでも部屋を暖めるものが備えてあればよかったのだろうが、生憎存在しない。電気代がかかるからとヒーターを買わなかった自分を、エアコンの修理を後回しにしていた自分を散々呪うことになった。


 繰り返すが、本日の気温は十度である。


 十度だから何なのだというと、何でもない。面白い話のネタにすら足りない。話題性を求めるなら一桁まで下がってくれというものである。みぞれなりあられなり雪なりチラチラと降ってくれれば、少しは寒さに対する気が紛れてくれるのではないだろうか――と考えそうになって撤回する。雪が降るということは寒いのだ。これ以上寒くなるのはいただけない。きっと今度こそ冬眠してしまうことになる。


 雪が降る土地でも環境でもなかったので、箪笥には限られた数しか冬服が備わっていない。唯一ヒートテックともこもこの上着があるが、きっと寒い時期に室内着にするべきは半纏かなんかだっただろう。腹巻も湯たんぽも石油ストーブも含めた「そんなもの」は残念ながらないので、私はどうにかこうにか身体を温める方法を考えねばならないのだった。


 ひとり暮らしゆえ、このまま縮こまっていては夕飯が食べられないのである。


 こうも寒いと精神的にもよろしくない。やる気は出ないし行動力が低下する。しかしショウガ湯なんて飲まないし、辛い物は苦手だし、お酒は呑めないし、そうしたものを摂取する為に立ち上がる元気があるかどうかすら怪しい。既に毛布から出られないまま四時間くらい経っているのだから事態は地味に深刻なのだった。


 時計は六時ごろを示している。これから夜が深くなっていけばもっと冷え込んでしまうだろう。

 しかたないので、本当にそれ以外方法がないので、私は観念して立ち上がることにした。


 冷たい空気が身体を冷やすがもうしかたがない。先に風呂にでも入ってしまおうという魂胆だった。


 服を用意してカゴに入れ、蛇腹の薄い戸を横に引く。

 風呂とトイレは別の物件を選んだのだが。ここは夏島だ。


 ……浴槽は存在しない。

 お風呂・・・とは名ばかりである。


 冷たいタイルを湯で温めて、白い湯気がたつ中ぬるい雨に打たれる。手先のしびれは暫くして収まって、ようやく血が温まってきた気配がする。


 まあそうはいってもシャワーを流しっぱなしに浴びる訳にもいかないので一度がらんを閉めて、髪を洗いながら鏡の方を見やった。冬らしい乾燥肌が一時的に潤っており、今だけ雪国の子どもに似た赤い顔になっている。


 曇った硝子を指で拭って、それから固まった。

 鏡に映った風呂場の壁際に、見慣れぬものがあるのだ。


 ゆっくり恐る恐る振り向いてみると、それは両腕で抱えて持つくらい巨大な鉄鍋だった。木製の独特な蓋は米のCMに出たりするかまに似ているが、サイズがサイズである。勿論、私は家にこんなものを買って来た覚えがないし、ましてや調理器具を風呂場に放置する趣味もないのであった。


 何の怪奇現象だろうか。鏡を二度見すると、釜はやはり映ったままである。


 土で作られた竈の内には、ジリジリと木が燃えている。どこの次元からやって来たのか分からない釜がぐつぐつと煮えている。何が煮られているのか分からない以上、蓋を開けることはギャンブルだったが。湯気が充満する風呂場でただでさえ寒くて早く退出したいという焦りと、ほんの少しの好奇心とが私を奇行に走らせた。


 がぱり。ゆげゆげ。


 ……お湯である。


 ちょっと気になったので湯気立つそれを「ちょん」としてみたが普通にお湯だった。経験したことがない熱さだった。温泉とか入ったことがないのでよくわからないが、今の私の体温には釣り合わない熱さであった。


 私は無言で蓋を閉めて、意味が分からない竈の幻覚を振り払うように髪の泡を洗い流した。身体も洗って、流して。

 脱衣所などないので、目の端に竈を認めたまま身体を拭いて服を着る。


 蛇腹を開けたままにして風呂場を乾かして暫くして覗き直すと、竈の幻覚はいつの間にか消えていた。


 なんだったんだ。あれ。


 温まった身体で出したなけなしのやる気で湯を沸かし、今日の夕食はカップラーメンになった。

 何せ寒さで幻覚を見るほどだ。「これは相当に疲れている」と判断してのことである。


 これでもかというほど冷たくなったスマホは、ぬくぬくになった私の指を冷やしにかかる。


 それでも釜鍋は気になったので、食後にそれとなく親に電話をかけて聞いてみる。詳しいことは分からなかったが、デカい窯で湯を沸かして浴びるという習慣は少し前の時代までは実際にあったことらしい。台所の横にある風呂用の竈で釜に水を焚いて桶に組み、肩を流す。これを湯沸かしの代わりにしていたこともあったんだそうだ。


 私はひとりで「五へぇ」くらい頷いて、それでも現代では湯舟を買った方がいいんだろうなと嘆息しながら通話を切った。


 ひとり、毛布にくるまり直す。


 冬は温かい部屋が欲しい。喉が痛くならないように加湿器が欲しい。

 夏は涼しい部屋が欲しい。壁が結露しないように除湿器が欲しい。


 常に頭の隅には欲深い自分がいる。もっと快適になりたいとあがく自分だ。

 それは別に構わないのだが、糖分を消費するべき考察対象は別にあるだろう。


 例えば最近流れ球で割れた窓の修繕方法とか。


 データを抱えたまま無言を貫くパソコンの治し方とか。


 寒さを乗り越えるため、最も効率のいい毛布の被り方とかね。





 ……この数日後、夏島が体感気温三度とかいう信じられない大寒波に見舞われることを。

 その時になって涙目で伝熱管ヒーターを買い求める行列に並ぶはめになることを。私は、知らずにいる。




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