好きな人にして欲しいこと
旅人旅行
①
「
「……、えっ?」
体育館裏、夕立、秋風、紅葉。
こんなコンディションでの、彼の言葉。
私は告白を予想してた。
眠気、足音、靴箱、手紙。
人生初めての靴箱の手紙。
心臓をバクバクさせて手紙を大事そうに持った私。
あのかっこいい先輩からかもと浮かれた私。
頬杖ついて、いつも通り黒板を写した私。
二人だけのデートを想像した私。
でも、目の前にはメガネをかけた気狂い。
名前は
ボタンを間違えて、ベルトを緩めたままのだらしない男だ。
鋭い目は誰かを傷つけるよう、逆立つ髪はライオンのよう。
そんな彼にまっすぐ見つめられているこの状況は何なのか。
「な、な、なんで?」
何が目的でそんなことを言うのか。勉強? そんなことより遊び、化粧、洋服、友達。そっちの方が重要なの。勉強なんて要らないの。国語の読解力は、数学の公式は、英語の単語は、物理の難解さは、化学の知識は、歴史の長さは、地理の大きさは、全部どこで役にたつの? 考えても頭が痛くなるだけじゃない。全部意味のない事なのよ。将来には必要ないのよ。
「……、僕は、僕は、もっと賢くなりたい」
「……、は?」
いつも全教科100点、学校始まって以来の天才が? まだ賢くなりたいの? 何がしたいの?
「ほら、学校の先生が言ってたろ? 他人に教えると定着するって。だから全教科赤点の君を成長させることができれば」
目を逸らしながら言う彼を
私の目は熱かった。
「ふざけないでよ! 利用する気⁈」
彼はムカつくことに、目を合わせなかった。
「二度と関わらないで!」
人間として終わってるのよこいつ。
「……、ごめん……」
気持ち悪い人間が帰ろうとした私の手を掴んだ。
「触らないでよ!」
「……」
もっとデリカシーを持ってよ。わざわざ呼び出しておいて、こんなこと言うなんて。それならこいつでも、まだ告白された方が嬉しかった。まだ好きだって言われた方がマシだった。
「……、頼む!」
振り返ると彼は土下座をしていた。でも好感度最底辺の男に何やられても響かなかった。このまま帰ろうとした。
でも、ここ最近のみんなの言葉を思い出した。
『……』
『せめて大学行かないと』
『……、頑張りましょうね』
『あはははは、ひどぉー』
塾、親、副担、友達、全員私を諦めてる。目から、抑揚から、態度から、接し方から丸わかりだった。そいつら全員にもムカついていた。何よりこのままだと私の人生に逃げ道がないのも確かだった。ならばいっそこいつを利用すれば、一応こいつは学年トップだし、それなりに使えるはず。
「……」
でもあんなことを言ってきた奴を許せるの?
こいつじゃなくても良いんじゃないの?
友達に、先生に頼めば、楽に勉強できるんじゃ?
その方が納得できるんじゃないの?
わざわざこいつじゃなくても良いでしょ?
「……」
わざ……、わざ、こいつ以外じゃなくても……?
その方が、結果が生まれるんじゃないの?
こいつなら、上手く教えることができるんじゃ?
こいつでも良いんじゃないの?
土下座までしたんだし、許しても良いんじゃないの?
「……」
本当にムカついてるなら、勉強がわからないなら、教えてもらうのもありじゃないの?
「……」
「……」
「……、はぁ〜……。もうやめなよ」
まだ土下座を続けていた彼に言った。
彼は額に泥をつけたまま、子犬のように純粋な目で見上げてきた。
「い、良いのかい?」
「ん、特別。じゃあ、今日から教えてよね」
そして金を稼いで、たくさん趣味に使うんだ。
ライブに、雑誌に、化粧に、料理に。
気ままに最高の未来のために。
「わかったよ!」
はぁ、告白されたかったな〜。
「で、どこで勉強?」
教室か、はたまた図書室か、それともまさかのファミレス。まぁ、どこでもいいか。
「あぁ、理科実験室でやろう」
「ん? 実験室?」
「もう先生から鍵を借りてるんだ」
こ、こいつ、失敗した時どうする気だったのよ⁈ てか失敗一歩手前だったのよ⁈ 呆れた……。
「そ、そう……」
それから靴を履き替えて、廊下を歩き、実験室に着いた。
実験室は薬品というか、独特の匂いがした。
オレンジの日差しは雰囲気を異質にしていた。
「じゃあ、始めるか!」
彼は意気揚々と教卓について言葉を吐いた。
でも一つ、言っておかなければいけない気がした。
「ねぇ」
「なんだ?」
「私さ、今の授業にカスもついていけないのよね〜。微積とかさ、何それって感じで」
昔はわかったのに、今じゃ頭が痛いだけでさ、前回なんて全教科赤点だし。私に勉強は、もう無理なのよ……。
「あぁ、でも問題はないよ」
「……、勇気付けならやめてよね。私にはもう勉強ができないのよ」
「問題ないし、覚えてる。君が小学校、中学校では天才に属していたことを」
「……」
そんな過去の話出されても、今できてないんじゃ意味ないのよ。昔の栄光なんて、今の惨めを照らすだけなのよ。
「……、それが、なんなのよ」
少し棘を持って言った。
「君が高校の授業をわからないのは、小学校中学校の知識を生かせてないからだ。この二年間1/2×(底辺)×(高さ)とか思い出したことないだろ」
「そりゃねえ。いつ使うのよあれ」
高校にしわ寄せしすぎなのよ。三角関数、整数、条件付き確率、二次関数、ベクトル、複素数、微積、思いついた高校からの数学でもこれだけよ。これらを少しでも小学校、中学校でも教えれば、高校生の負担が少なくなるのに……。
「いつでもだよ、高校であろうとあの基礎は変わってないんだよ」
「は? 何言ってんのよ」
「そうだな、今日は君が1/2×ab×
「ちっ」
バカにしてる。高校生にもなって小学校の知識を学び直すなんて……。
「そもそも三角比というのは、直角三角形のそれぞれの長さの比なんだよ。わからなかったり、頭が痛かったら、この言葉を何回も咀嚼して大丈夫にする。あれだったら斜辺の長さを1にしてみるといいよ」
■
「あっ、あれ?」
なんで? これまでと全くの別物に見える。嘘。お、おかしいよ!
「な、なんで一緒なのよ!」
今まで、ろくに見えなかったじゃない!
「そもそも、数学も言葉を使ってるんだ」
「は、は?」
「高校の教科書じゃ、
「え?」
「わかりやすいのだと
「理由としては、
「あっ、それの頭文字を取ってってこと?」
「そういうことだ」
「あっ、だから
「そ」
「教科書はもっとわかりやすく書いてよ!」
ど、どこに書いてあったのよそんなこと!
「教科書の公式の下に書いてあるはずだ」
「えっ?」
私は教科書をペラペラめくって、とりあえず
……、確かに書いてある。ほっそい、嫌がらせのように小さく書いてある。こんなの、エロサイトと同じじゃないの!
「な、な、なんでもっとわかりやすく書かないのよ!」
「たぶん、ページの関係だ」
「は?」
「いちいちそれを書いてると、教科書がコンパクトにならなかったり、材料費が高くついたり、
「で、でもわからなきゃ意味ないじゃない!」
「そうかもしれない」
そ、そうよ! もっと丁寧に教えてくれれば、もっと優しく教えてくれれば、もっと楽しく教えてくれれば、もっとわかりやすく教えてくれれば! な、なんでしてくれないのよ!
「だから多分、大人は細かいところまで読めって言うし、小学校の頃から基礎基本をしっかりやらせるんだと思う」
「あっ」
じゃ、じゃあ私の、私のせい? ち、違う! 私は頑張ってるし、私は努力したし、私は汗水垂らしたし、私は苦しんだ! だから私のせいじゃない、世の中のせいなのよ!
「そう、そうでも、みんな公式覚えるじゃない!」
「あぁ、覚える人の方が多いよ。でも、最悪公式なんて一つも要らないんだよ。公式なんて作れば良い」
「作る?」
「ちゃんと問題文を読んで、理解すれば、自ずとすべきことが見つかる、問題の作者がどんなことを語って欲しいのかがわかれば、自ずと書くべきことがわかるんだ」
「そ、そんなのわかるわけも、できるわけもないじゃない⁈」
な、何言ってんの⁈
「そんなことないさ。みんな努力しないだけ、勉強を必要ないと適当を言って遠ざけるだけ、馬鹿と自虐しているだけ、捉え方やら効率を間違えているだけ。馬鹿なんてのは医者が言わない限り僕は認めないよ。それに、公式を覚えれば数学は解けるとか、そんなの、数学に対して偏見やらを持って敬遠してた人のセリフだよ。学問は突き詰めれば公式なんぞ基本頼れない」
「そ、そんな解き方、できるわけないじゃない!」
「できるさ」
彼の目はやけに自信に溢れていた。
「なんで?」
「君には僕がついてる。僕が、君のわからないところは小学校の教科書を持ってきてでも教えて見せる!」
「……」
少し、ムカつく言い方だった。わざわざ小学校の教科書って言うところとかさ。でも、それで実際に賢くなれる気がしたから、少しだけしかムカつかなかった。
「……、ねぇ?」
「なんだ?」
「どうして、そんなに教えてくれるの?」
彼のあの言葉が本当か知りたかった。
「……、変わらないよ。僕は君に勉強を教えて、高みに立ちたい」
「だって! あなたの勉強になるのこれ⁈」
こんなの、全然じゃん! これで
「そんなことは」
「ある!」
「……、東京大学の入試問題で」
「何よ」
「三角関数の定義を述べなさいってあった」
「……、えっ?」
「数学の問題で、定義を述べなさいという問題があったんだ」
「えっ、えっ、えぇ⁈」
て、定義⁈ 定義って、定義って、えっ何よ、入試問題で、定義? ど、ど、どうしろと? 証明みたいなことすれば良いの? えっ?
「流石の僕もそれを自信満々に答えられる気はしないんだ」
「そりゃ、そうね……」
よ、良かった。こいつも人間の範疇だ。
「だから、君に一から教えて、定義から見直したい」
「ま、待って、そんなの、東大くらいでしか出ないでしょ?」
そんな、そんな難しいのがホイホイ出てるなら学校の先生は教え方が悪すぎるわよ……。
「まぁ、旧帝大くらいだと思うよ。確証はないけど」
「なら別にそこまでしなくても」
「僕は東大を受ける」
「えっ?」
「僕は東大を合格するよ」
「ひぇ⁈」
真面目な目だ。真っ直ぐに、何の迷いもなく、貫くような視線だった。
いや確かにこいつは学校始まって以来の天才だし、そんくらいやってもいいけど、なんかこう幼馴染がこんなまっすぐ言うなんて、私のそばにそんなすごい奴がいるなんて思ってなかった。
「一応……、どうして?」
何か、高尚な理由があるのだろうか……。どうしてそんなにまっすぐ勉強ができるのだろうか……。
「この国で一番の大学がそこだからだ」
「えっ?」
「東大はこの国一番の大学だろ?」
「え、えぇ……」
「だから僕は東大に行く」
「ま、待って! 理由になってない!」
「……、僕はただ登り詰めようとしてるだけなんだ。上があるなら上に行く、強くなれるなら強くなる、凄くなれるなら凄くなる。本当にそんな感じなんだ」
「だから、一番があるなら、一番を目指すと?」
「そんな感じ」
「……」
絶句、静寂、夕陽、眼差。
私は、彼のようになれるだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます