21. 敵
1日だけの参加だったが、健診は受けなければいけないらしい。だから健診を受け、再び許可が出るまでバイトして、金銭的に余裕があるときは、バッティングセンターで特訓する日々に戻った。
バッティングセンターに行くと、「おお、来たか」と師匠が柔和な笑みを浮かべた。
「どうも」
「今日は、バッティングか?」
「はい。ここはバッティングセンターなので」
「まぁ、それはそうだが……」
口ごもる師匠を見て、俺は不思議に思う。バッティングセンターに、バッティング以外の理由で来ることなんてあるのだろうか。
「あの、すみません。この店で一番速いのってどれですか?」
「120が最速だが、思っている以上に速いぞ?」
「構いません」
「そうか。でも、どうして?」
「速い方が、バットで打ったときに、嫌いな奴の顔面をより潰せるじゃないですか」
「そ、そうだな」
俺はその店で最速の打席に立ち、1ゲーム目に挑戦する。ピッチングマシーンが動いたかと思うと、ボールは一瞬で飛んできた。師匠の言う通り、思っていた以上に速い。でも、打てない速さではないから、バットを握りなおし、構えた。
(ボールを嫌いな奴だと思え)
ピッチングマシーンが動き、上司の顔が放たれる。あれがただのボールだったら、俺はまた見送ることしかできなかっただろう。しかし、マシーンから放たれたのは、上司の顔である。それを意識した瞬間、世界の流れるスピードが遅くなる。
(絶対に叩き潰す)
その意識が俺に格別の集中力をもたらしているんだと思う。だから俺は、上司の顔を潰せる場所を狙って、バットを振った。
カン、と鈍い音を鳴らして、ボールは転がる。うまく当てたつもりだが、ゴロになってしまった。
「振るタイミングが少し遅かったな。だから、手詰まりになってしまった」と師匠。
「なるほど。ありがとうございます」
俺は次の上司の顔に備え、バットを構え直す。次こそは、絶対に潰す。
そして、続けているうちに、タイミングが合ってきた。徐々に鋭い打球ができるようになって、最後にはバックネットまで飛ばせるようになった。
その感覚を忘れたくないから、すぐに2ゲーム目を始め、上司の顔を潰し続ける。完全にコツをつかみ、意識しなくとも、バックネットまで飛ばせるようになった。
「こいつ、天才か?」という師匠の呟きすら聞き取る余裕がある。
「彼、すごいですね」と店員の声も聞こえた。
「あ、ああ。確かにすごい。ただ、わしは不安になる。あいつには、野球以外のことを教えた方がいいかもしれん」
「どういう意味ですか?」
確かに、どういう意味だろう。しかし、師匠は答えなかった。
2ゲーム目が終わったところで、俺は振り返る。
「あの、どうですか? 俺のバッティング」
「ん。あぁ。もう少し腰を落として、振りをコンパクトにした方がいいかもしれん」
「なるほど。ありがとうございます」
3ゲーム目を始めようとしたところで、師匠は言う。
「な、なぁ。そういえば、まだお前さんの名前を聞いていなかったな」
「宿須です」
「宿須は、最近、うまいもん食べたか?」
「いや、食べてないですね」
「そうか。なら、終わったらウナギでも食べに行こう。もちろん、わしのおごりだ」
「……わかりました」
よくわからないが、ただでうまいものが食えそうなので良しとする。
(それにしても、師匠は意外と良い人なんだよな)
頑固そうな見た目をしているが、ちゃんと指導してくれるし、ご飯にも連れて行ってくれる。師匠となら、ダンジョン攻略も楽しくできるかもしれない。
(でも、あいつらが邪魔するんだよな)
杭打たちの顔が過り、ふつふつと殺意が芽生えた。
(いかん、忘れろ)
頭を振って、奴らの顔を払う。今は彼らについて考える気分じゃない。
金を入れて、3ゲーム目に入る。ピッチングマシーンが動いて、顔が放たれた。その顔を見て、俺は違和感を覚える。上司の顔ではなかった。ダンディな顔つき。それが杭打であることに気づくのに、時間を要した。だから、反応が遅れてしまい、ゴロになってしまった。
(今のは……)
考えている時間はあまりなかった。ピッチングマシーンから顔が放たれる。杭打の取り巻きの顔だった。顔面を潰し、ネットまで飛ばす。
(なるほどな)
バットを構え、次の顔に備える。飛んできたのは、杭打の顔だった。今度はちゃんと振りぬいて、バックネットまで飛ばす。
そして、確信した。
俺が殴りたいと思っているということは、杭打は俺の敵だ。
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