第16話

 頼親から『松本圭吾』先輩のことを聞いてから、僕は彼に関して、情報を集めた。集めてしまったのだ。

 栗花落鳴華の好きな人。

 僕のような、こんな陰キャのコミュ障にわざわざ声をかけて、何回も一緒に出掛けるというリスクを負ってまで、本と文章に詳しくなろうとするほど、熱を上げている相手。

 学年が違えば、当然生徒の情報は入手しにくくなるが、学年でトップの秀才で人気のイケメンともなれば、比較的誰でも松本先輩に関して教えてくれた。

 理系でありながら、論述の分野でも高い評価を得ている、本当に頭の良い人間だ。

 聞くところによると、性格も明るくて爽やかで誠実。

 医学部を目指している都合上、委員会には属さず、テニス部で部長を務めるも、普通の部活よりも早いタイミングで部長を後輩に引き継いだらしい。

 勉強に専念しつつも、気分転換に小説を書いているようで、その小説を読んだ友人が『これは面白い』と言って、大賞への応募を勧めたのだとか。

 人づての噂ではあるが、万が一医者への道を断念せざるを得なくなった場合には、作家という道を残しておこうという、ある意味保険的な感じで大賞へ応募しているようだ。

 なんだ、それ、と僕は思った。

 確かに初応募で二次選考通過は凄いことだと思うが、それですでに入選した気持ちになっているとは、あまりに傲慢が過ぎるのではあるまいか。

 それに、医者になれなかった時の保険として作家になる為に、大賞に応募しておくだって?

 ふざけるなよ。

 僕は、その『保険』の職業になる為に、人生の全部をつぎ込んでいるんだ。

 そんな簡単に受賞されてたまるか。

 なんてことを考えた直後に、またお得意の自己嫌悪と自己否定が始まる。

 逆を言えば、成績も良くて、医大に入れるような頭を持っていて、僕が欲しくて欲しくてたまらない小説大賞すら、簡単に取ってしまえるような人間だからこそ、栗花落は彼を好きになったのではないだろうか。

 つまり……そういうことなのだ。

 僕ではどうやったって勝てない相手を、栗花落は好きになる。

 世界はそういう風に出来ていると、知っていたはずなのに。

 ただ普通に頑張って生きていたところで、何者にもなれず、主役が自分に回ってくることはない。

 いや、舞台にすら上がれないのだ。

 だから僕は、揺るがない他者からの価値が欲しかった。

 そうすることで、ようやく自分にも、主要人物になれるチャンスが回ってくるからだ。

 小説を書いていると、物語を作っていると、よくわかる。

 主役や主要な自分物たちと、それらと関わる脇役、関わることすらできないエキストラ。

 なんでもない僕たちが、その他大勢のエキストラ以外の何として主役たちと関われるのか。

 栗花落鳴華は、明らかに主役級の人間だ。

 頼親や、もしかすると、松本先輩も。相良先輩だって、そっちの部類だろう。

 でも、僕は違う。

 そんなこと、二年前から分かりきっていることなのに。

 辛いと思った。

 苦しいと思った。

 主役級ではない僕は、これから先も、人生の転機がない限り、もしくは絶対的な価値をもぎ取らない限り、幾度もこんな思いをしなければいけないのだ。

 踏みにじられ、虐げられ、否定され続けて、興味や、期待や、栄光や、羨むべきそれらが全て、自分の目の前を通り過ぎていくのを見送り続けなくてはいけない。

 これが地獄でなくて、なんだろうか。

 地獄であることが想像できたところで、いっそ自ら終わらせてしまおうと思えるほど、エリートでも潔癖でもない自分に、更に嫌気がさす。

 ああ、なんて俗で、なんて醜い。

 惨めて、みすぼらしく、みっともない。

 それが生きるということなら、人生などクソではないか。

 そこまでして書き続けて、否定され続けることに、何の意味があるのか。

 でも、仕方がない。

 なぜなら、僕には、他に出来ることなどないからだ。

 小説を書くことしか、人より少しばかりでも優れたところがない。

 ならば、書き続ける他、選択肢などない。

 書いても地獄、書かなくても地獄。

 認められ、その価値を得るまで、この道は延々と続く地獄でしかないのだ。

 栗花落。

 なんで君は、僕に関わったんだ。

 君が話しかけなければ、僕はもっと穏やかに、執筆活動を続けられたのに。

 君が小さな希望を見せるから、それに期待を寄せてしまう。

 僕は断り続けたはずだ。拒絶し続けた。だけど君は、一歩、また一歩と踏み込んできた。それが、どれだけ残酷な結果をもたらすのか、分かっていないんだ。

 君は自分の魅力を理解しているようで、実は全く理解していないのだ。君と関われば、誰だって深刻な恋愛感情を抱く。

 拒絶しても、否定しても、まるで感染力の強いウイルスのように、いつの間にやら体に侵入し、心を蝕む。

 恋の病とはよく言ったものだ。

 その疾患は、どう足掻いても誤魔化せない。

 僕はとっくに、病気にかかっていたのだ。疾病なら、どうしようもない。半分以上は、僕のせいではなく、僕自身がどう対策したところで、どうにもならなかったのだ。恋に効くワクチンも予防接種もないなら、なす術はない。

 熱に浮かされた僕は、まともな思考なんて出来ずに、常に栗花落のことを考えて、気にして、判断力すら鈍って落ちていく。やるべきことも優先するべきことも、何もかもが後回しになって、なんともお粗末だが、悲しいかなやめられない。

 今はただ、漠然と栗花落鳴華に想われる、松本圭吾が恨めしく、羨ましい。

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