第15話
十月の初頭、小説に没頭していたことで、散々な結果になった中間試験の追試が、ようやく終わったところで、僕は久しぶりに栗花落鳴華の噂を耳にした。
三ヶ月ほど前に出回った『栗花落鳴華の想い人』の噂から続いているもので、すでにそれは、栗花落は誰が好きなのかを突き詰めるような内容になっていた。
おそらく栗花落のファンか、そういう噂好きの連中が、情報的にも恋愛的にもガードの固い栗花落をなんとか解明しようと動き出しているようであった。
しかし、意識しなくても聞こえてくる噂程度のものは、どれも見るからに、いや、聞くからに眉唾もので、あまりに信憑性のないものばかりだった。
「宗介、知ってるか?」
頼親の女子がしそうな話の始め方に、僕は面倒くさそうに応える。
授業合間の休み時間、前の時間が移動教室だったせいで、室内にはまだ他の生徒は殆ど戻ってきていない。
「知らないな。知りたくもない」
「冷たいなぁ。栗花落に関しての情報でも、知りたくないと言えるか?」
一瞬、反応が遅れてしまった。
「……知りたくない」
「嘘つけ」
「知りたくないって言っても、勝手に話すんだろう?」
「まぁ、そうだけどな。今回のはかなり信憑性のある情報だ。なにしろ、栗花落さんとその親友の伊瀬さんとの会話を盗み聞きした女子からのリークだ」
そんな諜報員ばりのことまでして他人の秘密を手に入れたいものだろうか。
「どうにも、栗花落さんに好きな人がいるのは本当らしい」
だろうな。それは僕も知っている。そして、その思い人にラブレターを書いて気持ちを伝えようとしていることまで知っている。
この辺のことは、口が裂けても言えないし、言うつもりもないけどな。
「その好きな人って言うのが……」
無意識的に、その続きに耳を傾けてしまう自分がいる。
「文章が得意な人間らしい。小説家か、脚本家か、とにかく、文章を生業にしようとしている人間のようだ」
「なんだ。随分とざっくりとした情報だな」
「なんでも情報元の、二人の『会話』ってのが、断片的らしくてね。その人と話を合わせる為に頑張って本を読んでいる、とか、その人は小説の賞がどうとか、言っていたってね」
なんだ、結局のところ、不完全な情報じゃないか。
とは言っても、これまでのサッカー部のエースなんかよりは、確かに腑に落ちるというか、信憑性は高い感じにはなるか。
「文章が得意で、小説を沢山読んでいて、賞に応募している……つまり、お前じゃないのか、宗介」
頼親の言葉に、反射的に否定したくなる。
栗花落と多少は長く過ごし、事情をよく知っているからこそ、それだけはないと確信できる。
だがもちろん、それを口にする訳にはいかない。
「小説に詳しくして、賞に応募している人間は他にもいるはずだ」
「そうか? 俺は他に知らないけど」
「僕が小説を書いていて、賞に応募していて、小説家になりたいと知っている人間はどれくらいいる? 東と頼親、栗花落さんと伊瀬さんくらいだ。他は知らないだろう。ってことは、僕たちが知らないだけで、実は小説家を目指して応募してる人間が何人……何十人いても不思議じゃない。その中の誰かってことだろ」
「その中のお前という可能性は残るはずだよ」
だから、それはないんだって。
僕は、教室内を見渡した。
さきほどよりは戻って来た生徒が多いが、まだその数は少ない。
「……頼親、絶対に他言無用だ」
真剣な顔で、僕はそう前おいてから話し始める。
栗花落が僕に声をかけた理由、僕にラブレター代筆を頼んだ件に関して、初めて他人に話した。
頼親は一応信頼できる人間であるし、モテる側ということもあって、その手の人間がどんな苦労を背負っているのかも理解しているはずだ。
ならば、栗花落の事情を知れば、悪戯にそれを言いふらすようなことはない。
「だから、僕からしてみれば、逆にしっくり来たよ。接点がない僕にわざわざ声をかけた理由も、なぜラブレターを書くのに、そこまで文章の『質』を気にするのかも、全部合点がいく」
「う~ん、なるほど……そういう事情があると、確かにまた話は違ってくるね。だけど……だとしても、まだ可能性はゼロではない気はするけど」
頼親は、僕の話を聞いて尚、そんな風に言った。
そうだな、と、僕は内心思った。
頼親の言うように、栗花落の好きな人が、自分であったのなら。
それは確かに、夢のような話だ。何か、巨大な奇跡に遭遇したような、宝くじで一等を当てるような、そんな、自分の力が及ぶ範囲を超えた領域の話だが、それでも、それが事実なら嬉しいだろう。
大抵の人間が、年末ジャンボの一等の数億円を喜ぶように。
特別な思い入れがあろうと無かろうと、とりあえずは嬉しいことで、喜ぶべきことだ。
僕は力いっぱい、冷静に務めた。
なぜなら、僕の心の奥の奥の、更に最深の方では、僅かばかりに浮かれた自分がいたからだ。
まさかの万が一を、否定するまでのコンマ一秒を野放しにしたせいで、随分と愉快に小躍りをしてしまった。
『栗花落鳴華の想い人が、僕だった』なんて――。
そんなあり得ないことを考えて、それが、どれほど幸福で、どれほど僕という人間の自己肯定感を高めてくれるのか、その一瞬だけで思い知った。
「やめてくれよ、頼親。それはあまりに、突拍子もない話だ。僕が彼女の想い人なはずは、世界がひっくり返ってもない」
「はははっ、相変わらずのネガティブ思考だね」
オーバーリアクション気味に笑った後で、頼親はスッと、真面目な顔になる。
「……そんなに怖いのか? 彼女に拒絶されるのが」
「え?」
「本当に諦めているのなら、何も感じないはずだ。だけど、お前はずっと必死で否定している。必死に否定するってことはそうしていないと、気持ちが動いてしまうからだ。否定し続けないと、直ぐに心が傾いて、栗花落さんを好きだと認識してしまうからだ。違うかい?」
「頼親……」
やめてくれ。
やめてくれよ。
諦めていないのなら、何だというのだ。
僕が、自分の中にある栗花落への気持ちを認識して、それで何が変わるのか。
思い人である誰かに近づく為に、多少は役に立つ知人、友人。
どんなに楽観的に考えても、彼女が知りたい分野の話題を話せる友達。決して、それ以上ではない。
そんな僕が、いつしか生まれ、育った恋心を認めて、何が起こる?
フラれておしまい。それだけだ。
よくある『告白してフラれて、友達ですらいられなくなるなら、仲の良い友達のままの方がいい』なんていう、有り勝ちな話でもない。
友達ですら、いてくれなくていい。
近くにいることで、友人でいることで、僕がふとした瞬間に幾度となく勘違いをして、それを打ち消して……そんなことを繰り返すことが決まっているのなら、彼女が声をかけてくる前の、見ず知らずの二人でいいのだ。
「お前はさ、お前の中で色々なものが邪魔をしているんだよ」
頼親の声色が、妙に優しく、哀愁すら漂うような落ち着いたものになる。
「もちろん、根底に掲げている、『自分の価値』を得るまでは、全て勘違いに終わるからその気にならないっていうのがあるのは分かる。でも、それだけじゃなくて……例えば、栗花落さんのことはさ、最初は好きでもなんでもなくて、殆どよく知りもしなかった他のクラスの同級生だったのに、話しかけられたことで、うっかり好きになってしまった事実とか、そういう、『安易な自分』も認めたくないんだろう?」
図星だった。
さすがというか、なんというか、この男は、本当にどうしてこんなにも僕のことを良く知っているのだろうか。
「お前だけだよ。そうやって僕が一番隠したくて、情けないと思っていることを見抜いて、それをズバッというのはさ。マジで、やめてくれよ、心が折れそうになる」
「……楽しいと思ったんだろ?」
「な、なにをだよ」
「栗花落さんと、一緒に出掛けたり、話しかけられたり、さっきの話だと、代筆したり。自分が、『その相手』じゃないことなんて、分かりきっていても、それでも、楽しいって思ったんだろ? 可愛いとか、綺麗だとか、ああ、一緒にいたいなぁ、とか思ったんだろ? ならさ、それはもう……」
そうはもう、恋だ。
それは、『好きだ』ということだ。
そんなことは分かってるんだ。
僕はじっと机を見つめ、何をどう答えたものかと、考えていた。
頼親の言うことは正論で、概ね正解で、事実だ。
だからこそ、僕にはそれに反論する余地がない。
「さて、ここまで追い詰めて、お前の中の気持ちや覚悟が高まって来たところで、追加情報がある」
突然、これまでの真面目なトーンから一気にセリフ染みた口調になって、頼親が話し出す。
「栗花落鳴華と親しいそうな男子の中に、白峰宗介以外に、小説を書いて、応募している男子がいます」
急に丁寧な語尾になり、ますます嫌な感じがする。
「二年三組、松本圭吾。学年トップクラスの秀才で、医大を目指してるイケメンだ。身長百七十六センチ、テニス部の部長だ」
「は?」
「彼の友人関係の話だと、ひと月前に発表があった大きな小説大賞で、二次選考を通過したらしい」
因みに同じ賞に僕も応募していて、同様に二次選考を通過している。ここから三次、最終選考となる訳だが、その二つを突破するのは別次元に難しい。と、それはいいとして、
「頼親、話が見えてこないんだが……」
「ん? ああ、煽っておいてなんだけど、可能性として一番高いのは、栗花落さんの好きな人というのが、その松本先輩だったすると、小説を書いて大賞に応募している松本先輩に少しでも近づこうと、読書を開始し、同じ『文章』という方法で愛を告白しようと、栗花落さんは考えた。その為には、彼に匹敵する……かもしれない文才を持つ人間の協力が必要だった。そこで、お前だ」
最後はパチンッ! と指を鳴らして、僕を指す。
「お前なぁ……それ……ええっ……」
僕はもう何が何だか分からなくて、落胆と呆れでうまく返すことも出来なかった。
「宗介、お前の懸念と予想は正しい。栗花落さんがお前のことを好きだという可能性は限りなくゼロに近い」
「おい頼親、お前は本当に何がしたいんだ? 僕はさっき、一瞬だけだが、お前を良き理解者として認識し、若干感動めいた感情まで抱いたというのに。返してくれよ」
「いやいや、これはある意味、お前が望んだ答えだろ。こうであることを決めつけて、こうであるべきだと思って、お前は可能性を最初から捨ててたじゃないか」
「それは、そう……だけど。でも、こんな持ち上げてから落とすようなやり方は酷くないか?」
「ショックを受けるのは、期待をしてるからだ。最初から、何の希望も持っていない人間は、落胆なんてしないものだろう」
結局、頼親は僕に、栗花落への思いを認識させたいのだ。
何も生まれない恋を自覚させて、それで何か前向きに生きろとか、可能性を捨てるなとか、そういう根性論や精神論が言いたいのだろう。
やればできる、頑張ればなんとかなる、成せば成る。
それで結果が出せるのは、運命的なものに祝福された一部の選ばれし者だけだということを、頼親も含め大抵の人間が分かっていないのだ。
「……結局何がしたくて、何が言いたいんだよ、頼親」
「最近のお前の小説、凄く退屈そうに見える」
「なんだよ、急に。ってか、読んでいるのか、僕の小説」
「一応な。たまにだけど。すげぇ閲覧数稼いでいるし、高評価とか、コメントとかも貰っているけどさ、なんか、文章が生き生きしていないっていうか、そんな感じ」
「お前は僕の小説のファンでもなんでもないだろう。むしろ、僕の作るものに興味なんてないはずだ。それは、なんで今更……」
「確かにファンではないけど、それなりに楽しみに読んではいるんだよ、宗介の作品」
意外な言葉だった。
頼親はそういうことに、良い意味でも悪い意味でも興味がなく、だからこそ僕と友達でいられるのだと思っていた。
「大きなお世話ってやつだとは思うけどな」
付け足すように頼親は言った。
「……同じようなことを、栗花落さんにも言われたよ。だから、僕はまた僕の書きたいもので勝負しようと思った。その為に、ついこの前まで書いていたんだ。サイトに掲載されている小説で、プロになるのはやめたんだ」
そう言えば、小説サイトの計らいでプロになることは話していたが、それを取りやめたことに関しては話していなかった。
「そうなのか。……いやぁ、それはそれで勿体ない気がするけどな」
「おい、なんだよ。今の話の流れだと、そこは『そうするべきだ』とかいうところじゃないのかよ」
「いや、だってさ、書きたいもの書いて、出し続けてダメだった訳なんだから、なら、それで入賞するのは難しいんじゃない? そこは大人しくプロになっておいた方が着実だとは思うけど」
「あのなぁ、もう……本当にお前が何をしたいのか分からないよ」
僕はそこで頼親との会話を打ち切った。
煽って元気づけたいのか、現実を見せて落ち込ませたいのか、小説活動を応援してるのかしてないのか、言動が自由過ぎてさっぱり分からない。
とは言え、それでも頼親がサイトの僕の小説に対して、何を思っているのか聞けただけでも、得たことはあったのかもしれないと、そう思うことにした。
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