第5話
僕が、僕という存在を本当の意味で理解したのは、実は随分と最近のことだった。
少なくとも、中学三年生くらいになって初めて僕は、自分が本当に理想とするあり方や、どういう状態が『楽』であるかを理解した。
『多くの人間に好かれなくてはいけない』。
『社交的で、人気者で、みんなを引っ張っていく存在でなくてはいけない』。
いつの間にか出来上がっていたそんな理想像を掲げて、僕は悪戦苦闘していた。
そうなりたかった訳でもないのに、そんな理想に向けて頑張っていたおかげで、僕は酷く苦しかったのだ。
そして、その理想に、一歩どころか、十歩もニ十歩も追いつけない自分がいやで、さらに精神的に追い込まれもした。
たまたま少し努力が実っただけの勘違い剣道少年は、そうやって歪んだ理想を抱いて、ただただ苦しんでいた。
中学になかった剣道部を設立して、自ら部長になって、ちゃんと指導できる顧問教師がいなかったから、僕が率先して指導し、部員を引っ張って中体連(全国中学校体育大会)で勝てるように練習を組んだ。
生徒会にも入って、僕は副会長になった。
生徒会の業務をこなしながら、部も監督して、出来る限りのことは全部やった。
副会長は立派に……かどうかは分からないけど、それなりに勤めあげて、剣道部は結局、地区大会突破することはできなかった。
部長という立場だったから、副会長という役職だったから、僕はそれなりに慕われたけど、それは多分、『白峰 宗介』という人間を慕っていたり、信頼していたのではなく、『部長』あるいは『副会長』であった白峰 宗介だから、それなりの人間関係が築けたに過ぎない。
道場では一番の実力があって、運動部の部長で、成績だって悪く無くて、生徒会の副会長で、自分で言うのもナンだけど、イケメンではないにしろ、容姿だって悪くはなく、それなりに社交的に振舞っていたというのに、僕は根本から、人間的な魅力がなかったのだ。
その証拠に、これだけ頑張っていても、僕には上辺だけではない、本当に信頼できる友人はいない。
きっと僕が本気で困っていても、手を差し伸べてくれる人間など存在しないだろう。
なんとなく好きになった女子に、アプローチをかけたら、きっぱりと拒絶されて、その時の周りの反応で、自分が実はクラスでの立ち位置は、底辺から数えた方が早い存在であることを再認識した。
日々過酷になる道場の稽古と、好きだったかもしれない女子にフラれたのと、迫りくる受験と、学校祭を終えてひと段落ついた生徒会と、その辺がいい具合に、または悪い具合に重なって、僕は全てに嫌気がさした。燃え尽き症候群のようなものだったかもしれない。
あらゆることをかなぐり捨てて、僕に残ったのは創作物を読み漁るという地味な趣味と、送辞やら、集会でのあいさつやらを会長の代わりに代筆した僅かばかりの文章力だけだった。
そこからは、すでに話した通りだ。
そしてそこから、僕は素の自分でいることに決めた。
そうすると、色々なことがわかって、今までいかに僕が無理をしてきたかを実感した。
僕は、『そんな人間』ではなかったのだ。
運動部で部長になるような人間ではない。
生徒会副会長になるような人間ではない。
人気者になるような人間ではない。
友達が沢山いるような人間ではない。
女子と普通に話せるような人間ではない。
なにもかもが無い無いづくしの人間だったのだ。
自分の小説の世界に逃げ込んで、ただただ一人遊びを繰り返す、暗い人間。
他人と関わるのか怖くて面倒くさくて、上手くできない。
半ば本気で、現実の世界なんかに期待などしていない、陰鬱で後ろ向きな人間。
それこそが、本当の白峰 宗介であり、僕が一番楽で、傷つかずにいられる生き方だったのだ。
実をいうと、頼親と親しくなったのは、丁度その頃だった。
僕は全てを投げ捨てたことで、それまで行っていた『こまめな連絡』や『毎日の挨拶と日常会話』を自分からはしなくなったわけだが、そうするとどうだろう。
誰も向こうからは声をかけてくることはなくなった。
この瞬間に、僕はこれまで築き上げてきたはずの人間関係というものが、実は何一つ存在しなかったのだと改めて確信して凹みに凹んだものだが、それは置いておいて。
こうして、こっそりと完全なボッチになった僕に、頼親は声をかけてきた。
『白峰、なんか急激に雰囲気変わったな』
確か、そんな感じの言葉が、きっかけだったと思う。
もちろんクラスメイトだったから、これまでにもそれなりになんでもない会話はあっただろうけど、しっかりと話した記憶などなかった頼親が、急激に距離を詰めてきたことに、僕は少し引いていたのだが、話してみると、彼もまた、周りが思っているイメージや、僕が抱いてきた人間象とは異なるキャラクターを持つ男だった。
「……なぁ、宗介」
僕の部屋で漫画の新刊を読んでいた頼親が、不意に呼びかける。
「なんだ」
「お前、実は栗花落鳴華のこと、好きだろ?」
「…………は?」
僕はノートPCに文字を打ち込む手を止めて、そう呟く。
「あのな、頼親。貴重な部活の休み日に、僕の部屋にきてダラダラと漫画を読んで、おそらく初めて発したまともな会話がそれってどうなんだよ」
今日はバスケ部の練習がない日であったわけだが、こいつはなぜか僕の部屋に来たがった。
確かに高校に入ってからは、ほぼ毎日部活があるので、僕の部屋で遊ぶなんてことはなかったわけだが、それでも中学の頃には何回も来ていたし、来たところでなにか面白いことがある訳でもないのになぜわざわざきたのだろうか。
「いやさ、東がいると話しにくいかと思ってな。お前、まだそこまで東に心開いていないだろ?」
「お前は僕のカウンセラーか何かなのか? 勝手に精密な精神分析をするな」
「東はいい奴だし、全然信頼していいと思うけど、宗介はそのあたり、慎重すぎるくらいに慎重だし、なにより殻に閉じこもるの大好きだからな」
はははっと何が楽しいのか、軽快に笑いながら頼親が言った。
「一ヵ月で親友名乗れるほど、僕は軽薄な人間じゃないものでね。悪しからず」
「だから、一先ず東は抜きで聞いてみたんだよ。それで、どうなの? 栗花落さんのこと、好きなの?」
「あのなぁ、何をどうしたら、そんな突拍子もない話が出てくるんだ?」
「そうか? だって、顔は好みだろう?」
「そんな話をしたか?」
「いや。でも、お前の好みくらいは、知ってるさ。ほら、俺、お前の親友だし」
「気持ちが悪いな。色々と」
「で? どーなのよ? ぶっちゃけ好みだろ?」
答える代わりに、僕は大きなため息をついた。
綺麗に手入れされた長い髪に、ほんの少しだけ釣り目気味の、ぱっちり二重の大きな瞳。高すぎない鼻と、小さな口と、細い輪郭は実に二次元的で、素直に美少女であると思う。
穏やかだけど、決して媚びた話し方をせず、使う単語も言葉も、それなりに教養があることを思わせるセンスのあるチョイスで、会話の距離感も実に絶妙だった。
「そう言う話をすれば、好みではあるけど、だからどうということはない」
「なんだよ、それ。どこかの赤い人みたいな言い方をして。いいじゃん、恋バナしよーぜ」
「やかましい」
僕はまた小説を打ち込み始める。
「一緒に出掛けたんだろ? 彼女と」
「……なんでそれを知ってるんだよ」
「栗花落さんの友達の友達の、クラスメイトの彼氏が、バスケ部員なんだよ」
その最早無関係に近い知り合いがなんだっていうのか。
「栗花落さんは有名人だからな。しかも異性関係の浮いた話がないのも特徴だ。そんな彼女が、特定の男子と出かけたとなれば、一部では噂にもなるさ」
「ああ……」
僕はそれだけで、だいたいの事情を察した。
つまりは、その栗花落鳴華の友達が、友達の友達に話しているところを、友達の友達のクラスメイトが偶然聞いてしまって、それを彼氏に話した、と、そういう話だ。
「その噂というのは、僕の名前が出ていたのか?」
「いや。『栗花落さんが、男子と二人きりで出かけたみたい』程度だったけど、そこはほら、俺だから」
ニヤっと笑って、頼親は言った。
「丁度お前が、俺を無視して帰った日あたりの話っぽかったたし、この前、わざわざお前に声かけていただろう、彼女。その辺の情報をつなぎ合わせて推理すれば、お前以外の可能性は極めて低い」
頼親は得意げにそう言った。
「頭の良さをいらないところで使うなよ」
僕はあきれながら言って、
「勘が鋭いのも考えものだな」
と続けた。
「俺の推理力の話はどうでもいいんだよ。で、どうだったんだ?」
「どうもこうもないよ。神保町まで行って、書店巡っておしまい。お前が期待するような、面白い話も展開もない」
「なんだよ。お前が女子と……いや、男子ともか。俺や東以外と出かけること自体、珍しいから、なにか思うところがあったのかと思ったのに」
「珍しい行動だったことは認めるよ。なにせ僕は女子から誘われることなんてないし、僕が誘うこともない。誘われても行かないし、仮に血迷って僕が誰かを誘ったとしても、それを受ける女子はいない」
「いやさ、それだよ。誘われても、お前は行かない。普通ならな。でも、行った。それはなぜか?」
一度思わせぶりに言葉を止めて、頼親は人差指ピンと立ててから、僕の方を指した。
「それは『気になる』からだよ。どの段階かは別としても、何かしら、お前は栗花落さんが気になっているんだ。だから、誘いに乗って出かけた。違うか?」
僕はまた、手を止めた。
少し考えてみると、確かにいつもの僕なら、誰かに『本を勧めてくれ』なんて言われたとしても、一緒に本を探しに行ったりはしない。話を聞いて、そこから推測できる好みであろう本を数冊教えて、あとは勝手にどうぞ、とそうするはずだ。
どうして僕は、彼女にそうしなかったのか。
「…………」
ふっと落ちる息を殺して、僕は眉を顰めた。
そんな自問自答、改めてするまでもない。
答えは、『単なるきまぐれ』だ。
そう言ってしまえば、それで終わるレベルのイレギュラーではある。
だけど、僕はそんな『きまぐれ』で、女子と二人で出かけたりはしない。増してや、学校でも有名な美少女なんかとは、絶対にあり得ない。
あれほど知名度の高い女子と関わると、ろくなことがないのは、重々承知しているからだ。
では、やはり頼親の言うように、何か特別な理由があるのだろうか。
「いや、ないな。ありえない」
まるで言い聞かせるように、僕は言った。
頼親が、やや目を細めて呆れたような表情を作る。
「『現実世界を諦めた』、か」
一言呟いて、彼は再度漫画を読み始めた。
それはいつだったか、僕が頼親に言った言葉だった。
きっとその時の僕は、何一つ上手く行かない現実に打ちのめされていて、同時に何もかもを投げ出した直後であり、一番空っぽで、虚無感と無力感に打ち拉がれていたのだ。
「宗介は、ちょっと潔癖すぎるんだよな」
漫画を読みながら、頼親はそんなことを言う。
「自分にも他人にも、そして自分が抱く理想に対しても。上手くできないことが、酷くダメなことだって思っているだろ?」
「ああ。その通りだ」
僕は答えた。
元々、精神的に強くなるために、自分に自信を持つ為に習い始めたのが、剣道だった。
それまで、いじめられっ子だった僕が自分の居場所を見つけて、自分の存在意義を見つけて、ただがむしゃらに頑張った。それなりの結果が出て、そこに自信が生まれたのは、事実だ。
だけど、その自信も、中学校の公式大会で結果が出せなかったことと、それが恋愛には全く通じなかったことで、僕はそれを一度全部捨てることにした。
小説を書き始めたのは、これまで頑張ってきた剣道とか、勉強とか、そういうものよりももっと確かな『何か』が欲しくてのことだ。
だから。
だからこそ、僕は誰が見てもわかる、圧倒的な結果を残さなくてはいけない。
それは小説大賞で上位に入選することであり、自分の小説が製本化されることであり、それが多くの人に読まれ、評価されることである。
それが出来ない間は、僕は現実世界を諦めることにしている。
高校生活が困らない最低限の人間関係があれば、他は何も望まないし、例えチャンスらしきものがあっても、リスクを負ってまでそれを追い求めることは絶対にしない。
僕は、この小さな世界だけで生きることに、満足しているのだ。
「でもさ。期待とか願いとか、無意識にさ、してしまうものだから。人間ってさ。それを無理やり否定するのは、あんまりよくない気がする訳よ、俺はね」
頼親はもう漫画を読んではいなかった。読む体勢をしてるが、パラパラと雑にページをめくっているだけで、その実頭に入っていないに違いない。
「頼親のいうことは、理解できるし、納得もできる。だけど……」
思い浮かんだのは、栗花落の顔だった。
あの美少女とどうこう、というのは、あまりにも突飛すぎやしないだろうか。
接点も済む世界も違い過ぎて、まともに思考するのも難しい。
「やっぱり、ないな。多分、あれっきりの何か……。そう、事故だよ。もしくは天災とか。そういうのだったんだ、きっと」
であれば、そうそう『次』は起こらない。
雷に打たれるのと、同類の出来事だと思えば、一度当たった僕は、ほぼ確実に二度目はないだろう。
これも、高校生になって序盤にありがちな、特殊なイベントであって、この期間を勘違いせずにやり過ごせば、きっと無難で地味な高校生活が待っているはずなのだ。
そうでなければ困る。
高校生活は小説に費やすのだと、すでに決めているのだ。
補修を受けない程度の成績をとる為の勉強と、学校行事で不便しない程度の人間関係を保つこと、あとは、もしかしたら、これからするかもしれないアルバイトの時間以外を全て小説にあてる。
天才でない僕は、出来る限りの時間と労力を全て費やすことでしか、才能がある人間に太刀打ちできない。
小説家だったか、あるいは編集者だったか、はたまた小説指南書をかいている誰かだったかは忘れてしまったが、その人曰く、小説を書き始めることは容易く、終わらせることは難しいそうだ。
書こうと思う人間が千人いたら、実際に書き始めるのは五百人程度。思いついた時だけではなく、続けて書けるのは百人くらいで、その中でちゃんと終わりまで書けるのは、一人、二人なのだそうだ。
書こうと思うのが千人~というのは、正直分からないが、小説を書き始めた百人のうち、エンドマークを打てるのは一、二人というのは、妙に説得力があり、納得できる数字だった。
僕の周りにも何人か小説のネタのようなものを思いつき、書き始めた人間はいたが、大抵が途中でやめてしまっていた。
ただ物語を『終わらせる』だけで百分の一であって、それがきちんとオチているのか、面白いのか、そもそも成立しているのかは、また別の話なのだ。
その話を聞いて、僕は自分の書きかけの小説を見直してみると、確かには百近くの書きかけがあって、小説大賞に応募できたのは、その中で一、二本。つまり、そういうことなのだ。
凡人たる僕は、百のアイデアや情熱や想いや、『かけそうな何か』を思いつき、そこから最低限モノになりそうな一つや二つを完成させる……という方法でしか、小説をかき上げられない。
少なくとも、自分が納得できて、それでいて他人にも面白いと思われるであろう小説は、そうしないと出来上がらないことを、僕は知っている。
そういうこともあって、高校生である自分には、可能な限り最大の犠牲を払うことくらいしか、他に努力の方法を思いつかないのだ。
そんなことを思いながら、サイト投稿用の小説の誤字脱字チェックをしていて、ふと思う。
この物語の中には、僕の書きたいものはない。
面白いとも思わない。
サイト内に溢れ返る人気のある擦られ続けた枠組みを、なんとなく踏襲して別のもののような視点と設定を加えて、誤魔化して、誤魔化して書き綴る。
異世界に転生して、意味もなくチート能力を持って、好き勝手活躍する。
そこには魅力的なキャラクター像も、考え込まれた描写表現も、高度な言葉遊びも必要なく、ただ読みやすさだけを追求した、娯楽的な文章の羅列。
でも、これをかき続けることで、閲覧ポイントを稼ぎ、出版権を得られれば、それで僕はプロの作家になれる。
プロの作家になって人気と知名度が上がれば、少し書きたいものもかけるだろう。
それまでは、我慢するしかない。
僕の、さして面白くもない『作業』は続いていく。
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