第02話 退魔師一家、敷地ごと消失する(1)

 その日、いつもどおり一番に次女の菖蒲あやめは目を醒ました。


 今日は大型連休の最終日であるが、大学を卒業してから家業を手伝っている菖蒲にとって、連休などと言われてもいまいちピンと来ない。


 連休初日から祖父の友人三名と、何故か姉の研究仲間になっちゃっている地元の名士なじいさまが、休みの間中宴会をしていたために、なんとなーく「ああ、世の中は休みなんだ」程度には感じていたが。


 宴会といってもバカ騒ぎなどせず、酔って絡んだりせず、ましてやクダを巻いて鬱陶しくも煩わしいことなど一切しない、実に素晴らしいものであった。


 そんな益体もないことを考えつつ、菖蒲は簡単に身支度を整えてから台所に入る。


 黒地に昇龍がプリントされたエプロンを着け、ガス炊飯器のスイッチを入れてから大鍋に水を張って強火に掛けた。

 それが沸くまでの間にガスオーブンを予熱して、塩ワカメを水に浸す。

 そして昨夜のうちに下処理を終えている鮭の切り身を出して塩を振り、余分な水分を拭き取ってから温まったオーブンに入れてタイマーをセットした。


 湯が沸いたら一旦止め、大袋の鰹節を二つ投入して二分ほどそのままおく。その間に絹ごし豆腐を小さく賽の目に切ってボウルに取り置き、塩抜きが終わって戻しておいたワカメも適当な大きさに切って別のボウルに入れた。


 そうしているうちに投入した鰹節が鍋底に沈み、それをして一番出汁を作る。


 出来上がったそれをすすいだ鍋に戻して切っておいた豆腐とワカメを投入して、沸騰しないようにとろ火に掛けておく。


 その頃には弟で長男の龍惺りゅうせいが、白地にアヤメの花がプリントされたエプロンを着けて合流する。そして菖蒲が用意しているものを一通り見て、おもむろに卵を取り出しボウルに割り入れて溶き卵を作り、薄口醤油と砂糖、塩を入れ、それが滑らかになるまで撹拌し始める。


 その作業を横目に、菖蒲は程よく温まった一番出汁に麹白味噌を溶き入れて少し置き、小皿に取って味見をすると頷いた。


 更にもう一度それを小皿に取り、隣で玉子焼き器の粗熱を取っている龍惺に差し出す。

 彼はそれを受け取らず、僅かに身を屈めて菖蒲が持っているままのそれに口を付けた。そして問題無かったのか、横目で菖蒲を見て口元を綻ばせてから、同じように頷いた。


 ちなみにこの間、二人は一言も発していない。


「既に熟年夫婦みたいになってるなぁ。なあばあさま」

「そうですねぇじいさま。早く曾孫の顔が見たいわぁ」


 そんな二人を台所の入口で眺めていた祖父の勇檣ゆうしょうと祖母の京瑚みやこが、互いに頷きながらそんな会話をしていたりする。


 ちなみに丸聞こえであるため二人は互いに見詰め合ってから頬を染め、居心地が悪そうに在らぬ方へ視線を泳がせる――などという若い二人にありがちなな反応など一切せず、代わりに「また言ってる」とでも言いたげに、同時に溜息を吐いた。更にその手元はとどまることなどなく、流れるように作業を続けている。


 その祖父母も別に揶揄からかっているわけでもなく本心からそう言っているため、その反応を詰まらなさそうに眺めたりしない。


 そもそも本人たちがそれぞれ高校一年生と中学三年生のときに許嫁いいなずけとして決めたことであるから、六年以上経った現在ではそんなにいちいち反応などしていられない。


 それに言ってしまえば、幼児どころかほぼ新生児の頃から一緒だったし、今でも一緒に風呂にも入っていた。

 大家族だから入浴時間が限られるため、入れるときに入らないと順番待ちが酷いから。

 更に言うなら長女で姉の芙蓉ふようもそうしていたし、次男で末弟のしげあきの沐浴も三人交代でしていた。

 場合によっては一家全員で代わる代わる流れ作業のように入浴したりもするし、背中を交代で流し合うこともざらにある。


 そんな事実を他所様が聞いたなら、きっと血涙を流す勢いで羨ましがる変態的な紳士淑女が確実にいるであろうが、家の家族にとってそれは当たり前の日常であり、だがそれと同時にいわゆる一般的でもないことも知っていた。


 だからといってそれでどうこう思うわけでもなく、ぶっちゃけると「他所と違う? だからどうした」程度の認識でしかない。


 他所は他所。ウチはウチ。なのだから。


 そんな風習(?)がある家ではあるが、実は最近、具体的には菖蒲が大学を卒業して帰省した辺りから、家族全員の差金だろうが、妙に龍惺と一緒に行動する時間が増えた――というか両親と祖父母のが凄い。というか、酷い。


 理由は推して知るべしだし、当人達も嫌い合っているわけでもないために、あからさまな羞恥のリアクションは、当たり前にしないなが常である。


 結果的に「仲の良い夫婦だねー。あれ? 籍入れてたっけ?」とかいう感想しか返ってこない事態になっていた。


 そんな既に熟年夫婦然としている二人は、台所の入口で孫夫婦を見るようにっている祖父母へとジト目を送り、それを受けた二人は方々の体でその場を後にする。


 具体的には、祖父の勇檣は居間で高いびきをかいているじいさま二人とおっさんを叩き起こし、完徹でまだ呑んでいる生臭坊主なじいさまから一升瓶を、やっぱり一緒になってまだ呑んでいる秋田犬あきたいぬのアスターから並々と酒が注がれている上等な漆器の酒盃をそれぞれ取り上げ、祖母の京瑚は割烹着を着て台所に入った。


 先程も述べたが、この酔っ払いたちは酔っても脱いだり絡んだりは絶対にしないという紳士である。


 もっともうっかり脱いじゃったり絡んだりすると、情け容赦無く璃芭あきばタイガー・スープレックス(投げっぱなし)が炸裂し、物理的に叩き出されるハメになる。


 鳳凰寺家には酒呑みは誰もおらず、そして「呑む」という発想すら無いのだから。


 そんな紳士な酔っ払いどもは意外に――というか年齢相応に目覚めが良く、京瑚が持って来た玄米茶を啜って、やっぱり年齢相応にホッと息を吐く。


 その頃になると父親のひでひとと母親の璃芭あきば、そして次男で末弟のしげあきも居間に集まって来た。


 ただ長女の芙蓉だけは来ないため、あらかた朝食を作り終えた菖蒲が残りを龍惺と京瑚に任せて呼びに行く。


 それをするのは、いつも菖蒲の仕事だった。


 高校生の頃は起こされなくても起きて、朝食の準備も手伝っていた芙蓉なのだが、〝世界統合〟以来その研究に没頭してしまい、時間を忘れてなにやら色々やっている。

 よって就寝時間が物の見事にバラバラで、ときには二徹三徹はおろか五徹も当たり前になっていた。

 更に悪いことに、着替えるのが面倒なのか素肌に白衣コートとか通報待ったなしな服装でその辺を平気で出歩くこともある。


 どうしてこうなった。


 そんな回想をしてそんな独白をして、だがそれは今更感が酷いと自己完結する菖蒲であった。


 その研究室になっている、いつの間に作ったのか謎が深まる地下室のドアを開け、なにやら不可解な物体が綺麗に収納された戸棚の奥の机で作業中の芙蓉に声を掛ける。


 すると芙蓉は、待ってましたとばかりに採血針と注射器シリンジを取り出して、


「ねえアヤメ。二角獣バイコーンを召喚したいから血をちょうだい」


 唐突におかしなコトを口走る。


 ちなみに芙蓉は医師免許も取得済みなのだが、研修医期間もそこそこに、サクッと辞めてしまっていた。どうやら医者会という組織が性に合わなかったらしい。

 は好きだし上手だったようだが、指導医とか部長とか教授のセクハラが酷くて辟易したそうだ。


 どんな理由があったにせよそれは良くないことで、そうされたら嫌気が差すのも充分理解出来る。

 そして芙蓉のように、儚げな超絶美人が傍にいたとして、実は下半身で思考する人種が多い医者連中が我慢出来る筈もなく、手を出そうとしてあえなく撃退され、物理的社会的に痛い目に遭うのがオチだった。


 そう、綺麗な花には棘があるのだ。


 もっとも芙蓉にあるのは、極細で矢鱈やたらと数が多く折れ易い鋼鉄製な毒の棘だが。

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