墜落 / Side A


     ◇


 何処にあったのか、ソレすらも分からない、曖昧な世界の曖昧な存在だ。

 〝神様〟。

 アリスにとっての信仰の対象であり、同時に、ユキトにとっては憎き仇と言える存在。


「――――」


 言葉を放つコトが、アリスは、できなかった。

 彼らを目の当たりにした、ユキトの顔が、恐ろしく、そう、怖ろしかったのだ。

 激情、あるいは、憎悪という言葉すら生温い、〝歯を砕く〟と、そう表現するのが正しいだろうか。

 アリスとは違う、狂気、その形を見ている。

 愉しみとは、違う、狂気の形である。


「やあ――。ずっと。会いたかったよ。ボクはね」

『〝人の子如きが。我らを前に。不躾であるぞ〟』

「敬意を払う必要がないからね。ボクは。アンタらを絶対に赦さない」

『〝――――〟』


 その激情を、彼は、光の形をしたに向けてぶつける。

 視線は、刺す、そのような眼光だった。

 黒い、昏い、そんな眼。


 淡く光を放つ、最奥の場にいる神の一つが、唯一、光をすぼめている。


 だが、そんなコトには構わず、他の神々は意に介さない。

 まるで、ユキトのコトなど、大した存在ではないと。

 そう、暗に、主張するかのように。


『〝正しき子。アリスよ。――神の名を汚した愚かな子よ〟』

「……はい」

『〝汝も自分で分かっていよう。己の行く末を。その未来を〟』

「…………」


 神の子として、〝失敗〟という行為が、なにを意味するのかはアリス自身も理解をしている。

 自分がどういう道を辿るのか。

 理解をできていた。

 言葉をなくし、ただ、目を伏せて下を向く。

 今のアリスをたとえるなら、そう、親に叱られる子どものようであった。

 そして、親は、彼女を執拗に責め続ける。


『〝我らの意思に反し。神の遣いともあろう者が。情けない〟』

『〝罪を犯した者には。そう。罰を〟』

『〝死は。一時の物〟』

『〝永遠に続く。闇の底で時間を過ごす。それが――。という場所だ〟』

『〝終わりのない永遠。その中を。生き続けるが良い〟』


 形状を持たない存在。

 形容できない。

 不明瞭な概念である、光、〝神々〟はアリスを一様に責め続ける。


 〝地獄〟。


 そこは、失敗したアリスたちが送られるという、色も形も時間も方向もない、深淵虚空の世界だと言われている。

 どのような事情であれ――仮に神の計画の内であったとしても――失敗したという事実は、そう、間違いようのない現実だった。

 覚悟を決め、そして、アリスは言葉を発しようとする。

 だが――。


「よく言うよ。アンタら」


 アリスの隣に立つ、青年、ユキトが真っ直ぐに声を発した。

 強い口調である。

 アリスの手を取り、そして、アリスの心に温かな光が差し込む。


 ユキトは、抑えきれないほどの、激情を抱いている。


 紛れもなく、アリスのために、ユキトは激怒しているのだ。

 そう思えば――。

 不謹慎ながら、アリスは、とても嬉しい気持ちで満たされていた。


『〝――――〟』


 沈黙して、座する、神の一つ。

 そして。

 意に介せず、他の神々は、アリスとユキトを囲うようにして、光――神々の姿――が集まってくる。


『〝虚無を見たいか。愚かな。人の子よ〟』

『〝汝は我らの計画を邪魔せし者〟』

『〝アリスを誑かし者〟』

『〝罪深き者〟』


 ただ、ソレでも、ユキトは一切動じない。

 ふっ、と、小さく鼻で風を鳴らす。

 堂々たる出で立ちで、光のすべてに対し、明確な敵意を向けるのだ。


「アリスを。駒のように使って。必要がなくなれば棄てる。ソレが。神の成す大業って訳か?」

『〝分をわきまえろ。矮小な人の子風情が〟』

「その人の子風情に。計画を滅茶苦茶にされた。そんな気分はどうだい?」


 にやり、と、嗤う。

 その姿は、アリスを以てしても、正気とは思えない態度であった。

 目の前にいるのは、紛れもなく、この世を統べる〝神様〟なのだから。

 それでも、彼は、嗤っている。

 冷笑わらっている。


『〝貴様――。その存在ごと。この世界から消されたいか?〟』

「やれるものならやってみろ。ボクは神の遣いじゃない。人の子なんだよ」


 今のボクを、どうにかできるのであれば、そもそも、アリスたちという存在が必要にはならなかった。


 ソレが、事実、神の存在の無力さを証明する。

 アリスという手先に頼る、自らの手先すらもない、身体を持たない偶像の形だ。

 神、単体で、その力を世界に及ぼすコトができない。


「はっはっは……。ああ――。愚かだねえ?」


 嘲笑う。

 

 彼は、神々を、そう呼称したのだ。


『〝……――貴様は。この世界の構造について。理解をしているのか?〟』

「さぁてね。ボクは死を通じて。先に逝った彼らから情報を貰った。ソレだけだよ」

「……?」


 アリスは小さく首を傾げる。

 死を通じて、アリスは、特になにかを感じるコトはなかった。

 ただ、身体を光に戻し、故郷へ戻ってきた。


 ユキトは、違う、別のなにかを見てきたのか。


 目が違う。

 心が。

 違う。


『〝貴様は――。いったい。何者なのだ?〟』

「分からない。けど。一つの答えは知っている」

「〝答え?〟」

「そう。ボクはアリスを絶対に救い出す。どれだけの刻が経とうと。絶対にね」


 瞬間、ユキトの身体の周りから、黒い煙――穴の中から――が吹き出してくる。

 光の、対極、黒い闇。

 下から伸びる、手の形をしている、ソレは、ユキトの身体を呑み込もうとしているのか。


『〝――……!!〟』

「そうだ。ボクはお前らの言いなりにはならない。自分の意思で〝冥府〟の底へ堕ちるのさ」


 嘲笑う、ユキト、その瞳の色は昏く悍ましい。

 もはや、その姿は、アリスの知るユキトではなかった。

 それでも――。


「ユキト――……。貴方は。やっぱり私のために」


 痛みを、苦しみを、乗り越えようとしている。

 先の道は、分からない、きっと、アリスよりも酷い目に遭うのだろう。

 〝〟とは、そういう、悪意が集まった場所なのだ。

 そう。

 悪いモノが集まる、そんな、穢れの地である。


「大丈夫だよ。アリス――……」


 黒い闇を、身体に纏い、そのままの姿でユキトはアリスの唇に小さく口づける。

 〝必ず。迎えに行く。〟

 そう、ユキトは、アリスにだけ聞こえる声で呟いたのだ。


『〝待てッ。人の子よ――!!〟』

「必ず。ボクは戻ってくる。その時こそ。ボクはアンタらの期待に応えられるだろう」


 今のユキトは、もはや、人の形をした怪物である。

 アリスには、そう、見えていた。

 否、ソレこそが、人という存在なのかも知れない。


『〝……――ッ!!〟』

『〝汝は。汝は――。我らをッ!!〟』

『〝××して。くれると。言うのかッ!!〟』


 〝神様〟の言葉に、一瞬、アリスの聴覚にはノイズが走ったような感覚が走った。

 肝心な部分は、聞こえなかった、否、聴かせないように、なんらかの作用が働いたと言えるかも知れない。

 アリスは、そう、都合の良い道具に過ぎないのだから。

 ただ。

 その直後の、ユキトの言葉は、あまりにも鮮烈である。


「……――人間を。あまり舐めるなよ。信仰なき神々が」


 嗤う。

 それから、彼は、闇の手が伸びる奈落の底――昏い穴――へ、堕ちていくのだ。

 その姿は、一切の躊躇いがなく、それでいて、強い決意を感じさせるものだった。


 堕ちる刹那、ユキトは確かに、アリスの目を見ていた。


 いつものように、優しい、普段通りのユキトの瞳である。

 ソレが。

 最期、アリスの心を、酷く締め付けた。


「ユキト――……ッ!!!」


 闇は消え去り、地に開いた昏い穴は、一瞬にして無となっている。

 ソレは、つまり、際限の見えない〝別れ〟を意味する。

 彼は、それでも、選んだのだ。


 世界のすべてを呑み込む。そのために。彼は。


 地獄よりも、辛い、闇の領域に堕ちていった。

 冥府魔道。

 彼は、ただ、一人の少女アリスのために。

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