14.伝統の、オチ


「ぎゃあああああああああああああああああああ――――――――――っ!!」


 ワッチワンには、わからなかった。

 自分が今、なにをされたのか。

 当然だ。勝利を確信したことに呆けて、さっさと息の根を止めることもなく、のうのうとヤツに時間稼ぎを許したのだから。


「………へへ」


 一坂は、ざまあみろとほくそ笑む。

 右手には割れた食器の破片が握られていた。

 それは先ほど床に落下した際に右の腿に突き刺さったもの。

 一坂は感傷に耽った演説にワッチワンが耳を傾けている間に密かにそれを忍ばせ、隙を突いて思いっきり彼の左目に刺したのだ。


 ワッチワンは、舐めていた。

 自分のことなど秤にかけない。

 自分の命すら平然と捨てる狂った怪物を。

 この世の何よりも大切な我が子を人質に取られ、あろうことか命の危険にまで晒された〝親〟という、エゴと執念の塊を。


 良心や良識。

 人としてやってはいけない、という美しき人間愛歌。

 そんなルールなど時と場合でいくらでも踏み潰す、我執の鬼を。


 ―――知れ。

 泣いて請い、ひれ伏し、泥を舐め、辱めの玩具にされていることが、彼らが最後に残してくれた、たった一滴の慈悲であることを。


 ワッチワンは、知らなかった。

 この秋山一坂もまた、そんな悪魔たちと同じ姿をしていたことを。


 ミカンを傷つけるヤツは殺す。

 ミカンを泣かせるヤツは殺す。

 俺からミカンを奪うヤツは、絶対に殺す。

 許さない。許せるわけがない。

 意地でも這い上がって、必ず殺す。


 そんなタガが外れた悪鬼羅刹の纏うどす黒い炎。

 自家発電がせいぜいなイヌ畜生の復讐心など、容易く飲み込む。食らい尽くす!


「――――っ! くそお! てめぇ! くそっ!」


 ワッチワンは錯乱していた。

 植え付けられたばかりの恐怖がそうさせたのか、まるで危険な虫を遠ざけるように、せっかく掴んでいた獲物を力任せに放り投げた。


「どこだ! どこいきやがった!」


 委縮しかけた憎悪は最後に残ったプライドのおかげで、どうにか持ちこたえることができた。しかし、闇雲だったせいで標的を見失ってしまう。

 視力を完全に失ったことで、その捜索は難航した。


「!」


 ワッチワンは自分がイヌ型宇宙人であることに心底感謝した。

 嗅覚が獲物の臭いを捉えたのだ。

 方向からして、おそらくはオレの椅子か?

 ヤツめ! 偉そうにそこでふんぞり返ってやがる!


「そ、こ、かあああああああああああああああああああああああ―――――っ!」


 恐らく最後にして、極限の殺意が踏み出す足に力を込める。


「最後にチャンスをやるよ。ワッチワン、おもしろいことをやれ」


 あの男が何か言っているが、聞こえなかった。


「なんでもいい。とにかくミカンが見て、すぐマネしたくなるやつだ」


 ワッチワンはもうその男を、この手でズタズタに切り裂くことしか頭にない。

 そうしなければ……そうしなければ………っ!


「そうだな。手始めに伝統の、一番簡単なやつをやってもらおうか」


 一坂の左手が、差し出された。


「こおおおおおろおおおおすうううううううううぅぅぅ―――――――――っ!」


 鬼気迫る勢いのワッチワンに、一坂はガッカリした風にため息を吐いた。


「つまんね」


 そんな台詞の後。

 あと数歩だと蹴った床が、ワッチワンにとって最後に立ったステージとなった。


「んなっ!?」


 ワッチワンの足が空を蹴った。もう少しで届きそうだった爪が、差し出された左手に触れることなく重力に飲み込まれていく。

 この宴会場の床全体が、下向きにガバッと開いたのだ。

 それはこの宇宙船の各部屋に備え付けられたダストシュート。

 もとい、〝落とし穴〟。


 そして今、その椅子にふてぶてしく腰掛ける一坂の手が、肘掛けにあるスイッチを楽しそうに押していた。


「まだだ!」


 落下しながらワッチワンは叫んだ。


「この下はゴミ捨て場だってことを忘れたか! あそこには俺しか知らない出口がある! 待ってろ! すぐにそこから脱出して、お前とあのメスガキをズタズタに―――」

「そんなもん、とっくに捨ててるに決まってんだろバーカ」

「はあ!?」


 驚愕の事実に面食らうワッチワン。


「あそこはコンテナ状になっててゴミが溜まったら丸ごと宇宙にポイなんだろ?」


 ナマズ男、ウェイローがそんなことを言っていた。

 一坂はワッチワンの部屋を探す中、たまたま入った制御ルームで嫌がらせ目的で装置をいじくりまわし、たまたまゴミコンテナを切り離すスイッチを押していたのだ。

 なので今、この穴は宇宙空間へ直通状態。

 一坂もこの状況を予期していたわけでは全くなかったが、


「こんなこともあろうかと、ってやつだな! あーっはっはっはぁ!」


 そういうことにしておいた。

 頭悪そうに高笑いし、中指をおっ立てる。


 こんな都合の良い〝偶然〟の連続。

 もしかしたら、彼には何か憑いているのだろうか。

 しかし一坂は神信心はおろか、ガチで金に困ったらカブトムシを賽銭箱に降下させて、中身をサルベージするくらいには罰当たり者である。

 だから、もし神様仏様に類する存在がいたとしても、ステゴロでぶん殴り屁をひっていくことはあっても、御利益を与えることは絶対にないだろう。


 だがまあ、もしかしたら……


 そんな一坂に苦笑いでも微笑んでしまう〝女神〟が、


 たった一人だけいる。


                        ………かもしれない(?)


 少なくとも、ワッチワンは落下の最中。

 真新しい傷で塞がった視界の闇で、憎たらしく笑う男。

 その横で、なんだかなー、と苦笑する〝女〟の幻覚を見た気がした。


 いや、ワッチワンにとっては、死神だったのかもしれない。





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