13.その目に見えているもの
「……ぐっっ」
一坂はガクンと膝をつく。
ミカンを庇うことで頭がいっぱいになった彼は、ただ盾となるためにその身を凶刃の前に無理矢理ねじ込んだのだ。
握力の消えた右手からセイバーが落ち、軽い音を立てて床を転がった。
「堪らねぇ……たまらねぇなあ、おい……」
ワッチワンが小刻みに身震いする。ようやくコレをぶち込めたのだ。爪の先から肉を貫く感触が、まるでオーガズムに似た快感の電気信号を脳に送っていた。
「最高だ! まるで童貞の頃に戻ったかのようだぜ!」
歓喜し、女を悦ばせるように突き刺した爪を動かす。ぐじゅぐじゅと粘着質な水音と共に傷口から血が噴き出し、激痛が一坂の意識を焼いた。
「フ! フっ! ふぐ……ぅっ!」
一坂は歯を食いしばり、悲鳴を上げそうになる口を必死に閉じる。
「……き、気色悪いことほざいてんなよ発情期かてめぇ……教育に悪いんだよ……」
「おっと、これは失礼した」
詫びを述べたワッチワンが無造作に腕を振るった。
爪が抜け、遠心力に引っ張れた一坂の体が宙へと放り出される。
散らかった床に叩きつけられた一坂の首をワッチワンが片手で掴んだ。
まるで宝物のように、大事そうに掲げた。
体が床から切り離され、万力のような力が一坂の首を絞めつける。
(あ、やべ……)
一坂はもがくよりも酸素を求めた。
しかし穴の開いたポンプで空気を送るような徒労感。さらに血を流し過ぎた。
元々薄い勝率をどうにか誤魔化してきたが、最後の最後で秋山一坂が足を引っ張った。
止めを刺さないまま、ワッチワンに背を向けるという愚行を犯したのだ。
ここまで何とかできたのも、ワッチワンが人質を利用した戦いではなく、決闘という形に拘っていたから。
しかし、そんなゲームめいたお遊びは、終わった。
だから、〝もういい〟だ。
「期待以上だった、イッサ。……いや、アキヤマイサカだったかな? 恐れ入ったよ。まさかこんな姿になったお前にまで敗北するとは」
「あガっ……がぁ………」
「だが弱くなった。明確な弱点ができて、挙句このザマだ!」
ワッチワンの腕が震えている。興奮が自我の制御を越えつつあるのだ。
あと少し力を入れるだけで、一坂の首はトマトのように握り潰されることだろう。
「後悔しているだろうな。親という弱者になったことを。親とガキの繋がりなど、生物の本能に染みついた呪いみたいなものだからな。大抵のやつはその呪縛に捕らわれ、金も時間も奪われる。そして、たまに死ぬ」
その言葉には同情すらあった。
自分が求めたあの男が、こんなにも弱く。
情けなく変わってしまったことが憐れで、残念で仕方ないという風に。
「……そう、だな。お前の言う通りかも、しれねぇな……」
もはや抵抗する力もなく、それでも一坂はかすれた声で言った。
「……俺だって、不思議だよ。自分のことで手一杯だってのに、ガキの面倒まで見るなんて、どうかしてらあ。正直、これからのことを思うと不安しかねえ……」
一坂は目を瞑り、血の足りなくなった頭で想像する。
ミカンと詩織と一緒に過ごす一年後、十年後、百年後。
もっともっと先を。
何よりも、明日を。
そして、笑えてきた。
やっぱりどう考えたって無理がある。
金の問題だったら何とかなるかもしれない。
だけど、どうだ?
ミカンが何するかなんて、どう予想ができるってんだ。
この三日間だって振り回されっぱなしだってのに、それをこれからずっと。
少なくともミカンが成長するまでは、こんなのが毎日だ。
あいつ自分の能力もろくに制御できてないし、マジでうっかり尻尾で串刺しにされかねん。その上すぐ泣くから油断してると速攻で床のシミだし、何となくおふざけでぶっ放したビームで消し炭になってるオチがリアルに想像できる。
ぶっちゃけ生きていられるかすら自信がない。
それに飯食わせたり夜寝かしたり遊びに付き合ったりで、自分の時間なんてあったもんじゃないだろう。
それはこの忙殺された三日間が証明している。
つまりそれは、もう自分の人生が自分のものでなくなると同義だ。
勝手も自由もない。
今後すべての判断や決断にミカンが絡んでくる。
ワッチワンの言う通り、これが呪いだというなら返す言葉もない。
「……でもな。俺は今……幸せだ」
今にも途切れそうな声は、笑っていた。
それはこれからの自分の人生に、ミカンがいる。
たったそれだけのことから無尽蔵に湧いてくる満たされた感情だった。
「しんどい時だってあるだろうな。現実は寝顔とか見ただけじゃ疲れなんて吹っ飛びっこねーだろうし、金が無くなりゃそっから不安になって、冷静な考えもできなくなっちまうかもしれない。後悔だって、きっとたくさんするだろうよ……」
………でも、―――
「……だけど俺の未来にはミカンがいる。ミカンがいれば今みたいな幸せだって、いくらでも想像できる。……少なくともこれは、〝そっち〟にはなかったよ………」
一坂は目を細め、見つめる。
華やかな灯りで満たされたこの宴会場から、何もない虚空。
無限に広がる真っ暗闇から、尊い小さな輝きを。
まるで宇宙が星の光に焦がれるように。
「……………………」
ワッチワンにはわからない。
今、この男に見えているものが。
そして、気付かない。
黒い瞳。
深い闇のその奥に、未だ消えない光があることに。
その小さな灯りが今まさに、熱く輝き―――流れたことに!
次の瞬間、ワッチワンの左目を焼けるような激痛が襲った。
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おきな
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