9.とっておきのかくし芸
「あああああああああああああああああああああ――――――――――――っ!」
悲鳴のような高音域の遠吠え。
全身の毛が抜け落ち、薄ピンクの皮膚が露出。体中に膿の溜まった水膨れのようなものが密集し、まるで臓器のように一定のリズムで躍動している。
「……これがオレのとっておきの芸だ。お気に召していただけたかな?」
意外にも声色はそのまま。
しかし、変態を終えたワッチワンに、もはやイヌ型宇宙人の原型はほとんどない。鱗のないぶよぶよの薄い皮膚と、水膨れで全身覆われた奇形の巨大ワニといったところか。
「やはり今日のオレは運がいい! まさか潰れた右目が再び開き、その目で最初に見たのが貴様のマヌケ面だとはな!」
ワッチワンは感動極まる咆哮を上げた。
これまでサングラスの下に隠れていた、丸くキラキラした愛らしい瞳。小型の愛玩動物ならさぞ庇護欲をそそるのだろうが、こうなってしまってはただグロいだけだ。
「……ワッチワン。お前、何やった?」
一坂は醜く巨大になった元ワンちゃんを見上げながら、こんな姿になっても消えなかった右目の傷跡に問い質す。
「なに、お前の期待に応えるためにちょっとな」
ワッチワンはいきなり種明かしを要求する無粋な客の質問に快く応じた。しゃべるたびに大きな口が開閉し、肉を突き破った変形した骨がガチガチと鳴った。
「オレはお前をぶっ殺したかったんだよ。だが、どうにも勝てる気がしなかった。種族としてもこちらが優れているというのに、立っている場所があまりにも違い過ぎた」
大きく開いた口から、細長い舌が伸びる。その先端が開いた右目を撫でるように舐めた。まるでレンズの曇りを拭き取るかのように。
その丸い目が見上げた先で何を映しているのか。
一坂は夢見がちなファンの妄想に嘆くしかなかった。
「だから混ざることにしたのさ。エイリアンというこの宇宙でも最強の化け物とな!」
最後の種明かしは咆哮に掻き消え、一坂には聞き取ることができなかった。
醜いクリーチャーと化したワッチワンが大口を開けて突進してきた。
まるで
「うひーっ!」
一坂は体ごと飛び退き、ギリギリ回避に成功した。
巨大クリーチャーはそのまま壁に激突。金属の壁がひしゃげ、強靭な牙が高そうなインテリアを焼き菓子のように砕いた。
「あっぶねーなあっらぁ!」
一坂はスパークルセイバーで、醜い肉戦車を切り付けた。
途端にその切り口の水膨れから、膿がスプリンクラーのように飛散する。
「なんとなくだったけど、やっぱりかちくしょったれ!」
こんなシーンを映画で見たことがあった。もともと身構えていたおかげで、一坂はすぐに羽織っていた上着を広げて盾替わりにすることができた。
案の定、飛び散った薄黄色の液体は上着とその他周辺を問答無用で溶解する。
「結構気に入ってたんだけどなー、もったいねー」
一坂は雑巾にもならないほど小さくなった上着だったものを、名残惜しそうに、フッと息を吹いて飛ばした。
「それは悪いことをした。代わりにオレが上等なものをプレゼントしよう。シミ一つない、真っ白なやつをな」
「……それって葬式で仏さんが着せられるやつかしら?」
宇宙の葬儀様式も随分と和風テイストに様変わりしたものである。
「い、いいよいいよ気にすんな。誕生日にはまだ早いし……」
「遠慮するな。何なら一緒に花も贈ろう。貴様の好みに合わせた盛大な供花をな」
ワッチワンが会話を楽しみながら、もぞもぞと窮屈そうに方向転換。
こちらに狙いを定めた。
「貴様の葬式の芳名帳の一番最初にオレの名前を書いてやるぜっ!」
「香典は多めに包めよ―――――――――――――――――――――――っ!」
一坂は逃げた。
部屋から飛び出し、廊下を一目散に遁走する。
「楽しもうぜえええええイッサあああああああああああああああああああっ!」
壁を破壊したワッチワンが肉で廊下を埋め尽くしながら追走してくる。
その悍ましさたるや、しばらく夢に出そうである。
「ボスっ!?」「なんで!?」
変わり果てた船長の姿に、廊下にいた船員たちが愕然としている。
一坂は立ち尽くすそれらを無視し、駆け抜けた。
背後で彼らの断末魔が聞こえてくる。
「ひいいいいナンマンダブ~~~~~~~~っ!」
無残にも行われる無差別行為に振り返る余裕もない。
幸いしたのはワッチワンの動きが幾分鈍くなっていること。
廊下の狭さのおかげだろうが、とにかく策を練るための時間稼ぎには成功した。
「…………………おろ?」
走りながら気が付いた。
今の今まで迫ってきていたあの巨大な気配が消えていた。
この長い廊下を動くのは自分だけ。
そんな気がしてならない。
一応走る速度は落とさないまま、横目で後ろを確認する。
何もいなかった。
「………………………」
少しずつ速度を緩めつつ警戒を厳に。
ついに足を止めてちゃんと確かめる。
やはり、何もいない。
辺りはシンと静まり返り、息を整えようとする自分の呼吸音さえ嫌に耳に着く。
おかしい。あんな巨体が一瞬で?
止めを刺すんじゃないのか? というかどこに?
様々な疑問が脳内を駆け巡る。どんな方法かは知らないが、身を隠した以上はこちらが油断した隙を狙ってくるのは間違いない。
一坂は呼吸の音にすら気を遣いながら、視界を広く、肌の感覚を鋭敏にした。
そして暫しの時が流れた。一分か? それとも十分?
一坂は廊下の真ん中で一秒一秒を噛み締める。
しかし、ワッチワンは一向に姿を見せる気配がない。
「……………………………ちっ」
事態は最悪だった。
どこかに潜んでいても、ちょっとした隙に釣られてくれれば、まだギリギリだった。
見えてさえいれば少ない勝率を多少は上げることができた。
しかしワッチワンが選んだのは、まさかの長期戦。
これは非常にまずい。
どんな方法であんな怪物が姿を眩ましたのか。
そんなことはもはやどうでもよく、あの巨体を瞬時に消せる事実が絶望的すぎた。
しかも持久戦ともなれば、こちらは常に警戒し続けなくてはならない。
今この瞬間にも壁を突き破って襲ってくるかもしれない。
……でも、来ない。
どこか見えない位置から遠距離攻撃が飛んでくるかもしれない。
……でも、来ない。
こんなことを繰り返していてはこちらの精神が参ってしまう。
そして、その瞬間をワッチワンは舌なめずりをしながら待っているというわけだ。
「やっぱおにごっこより、かくれんぼのほうが得意だろ……クソ」
とにかく移動しよう。
一坂は元ワンちゃんの気配を探りながら、ゆっくりと歩き出した。
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おきな
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