8.膨れ上がる、異変

《これより本艦はワープ航行に入る! 繰り返す! これより本艦は―――》


「!?」


 艦内放送から信じられない言葉が一坂の耳に飛び込んできた。


「なんでだ!? そんなことしたって―――」


 一坂の意識がブレた。

 記憶を失っている間も、ずっと彼の体内を巡っていたナノマシン。

 それがスリープモードに切り替わったのだ。


「……やべ」


 急速な眠気が一坂の意識を強制的に飲み込んでいく。


 これがワープ航法のジレンマ。

 生物の脳は光の速度レベルの速さの概念、距離の概念、時間の概念、それらを何とか理解できても、実際に体験し処理することにはまったく向いていないのだ。

 本能的なブレーキがかかると言ってもいいかもしれない。


 では、そんな許容を超えた領域に、意識を保ったまま足を踏み入れればどうなるか。

 結論から言うと、脳、もしくは精神のどこかが壊れてしまう。


 だからこそ対策が取られた。

 それがナノマシンによるスリープモード。

 ワープを検知した極小の機械が脳に働きかけ、意識を深い昏睡状態にする。

 これによって脳がワープを認識できないようにするのだ。

 なのでワープ航行中はすべての生物が強制的に眠ることになり、宇宙船の操縦はすべてコンピュータによる自動操縦に切り替わる。

 そうした安全性を確保した上で、宇宙のワープ航法は現在に成り立っていた。



「―――――っ」


 一坂は目を覚ました。

 倒れた体を起こし、ぼんやりとした意識を覚醒させる。


(こうなったってことは、マジでワープしやがったのか……)


 今は宇宙のどのへんだ? というか、なぜだ?

 そんなことしたところで、ユニオンから逃げることなどできないのに。


「実はオレはおにごっこも得意でな」


 一坂は反射的に振り返った。

 だが、そこに倒れていたはずの声の主の姿はない。


「お前、記憶を失っていたらしいな? その間にオレたちのやり方も巧妙になったのさ。ユニオンの犬どもの鼻をちょっと狂わせるくらいにはな。あてが外れたなイッサ」


 どこだ!? どこにいる!?


「!?」


 一坂の背筋に、なにか冷たいものが触れた。

 イヌ型宇宙人が、ぼうっと立っていた。

 心臓を貫いた傷跡もそのまま。

 音もなく、一坂の身長を優に超える巨体が風でなびくカーテンのように揺れている。

 さっきまであった獣然とした迫力が消えていた。

 生気はあまりに希薄で、本当にそこにいるのかどうかさえ疑いたくなる。

 まるで幽霊のようだった。


「おいおい……」


 一坂は冗談のような光景に引きつった笑みをこぼした。

 異常が部屋中に膨れ上がり、その変貌に目が見開かれる。

 ワッチワンは今まさに、生物としての一線を越えようとしていたのだ。


「あ……ああ。ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、………


 なんとも色のない、無機質な発声だった。

 同じ数値のニュートラル音域を機械的に繰り返し、生物としての呼吸を感じない。

 口角が発芽するように肩口まで開き、耐えきれなかった口輪が破裂した。

 筋繊維がブチブチと千切れ、体の至る所で再生と肥大が繰り返し、増大していく。






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