全く見たことのない男
風が収まって、すこししてから信号が青になる。渡り終えたぐらいで、藤垣の名前を呼ぶ声が聞こえた。咄嗟に振り返る藤垣につられて、オレも自然と振り返る。居たのは、どっかで見たことのあるような男と、全く見たことのない男だった。
見たことのある方が、「あれ、お前何組だっけ」とか「また美術部に入ったんでしょ」と言った具合にいろいろ訊いてる。淡々とそれに答えていくばかりだが、暫くして藤垣はこんなことを訊いた。
「なんで美術部に入んないで水泳部なんか入ったの?」
それに対して、「中高ずっと文化部ってのはダサいじゃん」なんて返している。それで思い出したが、こいつは中二の時に同じクラスだった
すると、間を埋めるように見たことのない方が、
「え、この人が藤垣さん?」
と隣の畑田に訊いた。え、お前知ってんの、と畑田は少し驚いたが、続けて見たことのない方は、
「原田と
と、藤垣に言った。知らないところで自分の噂がされるのを案外楽しんでしまう藤垣は、やっぱり興味があるらしく、さっきと全然顔が違う。話す方も、面白おかしく話を続ける。
ところで、河本? ああそういえば、うちのクラスの文化祭で出し物の動画を編集したのが河本だった。河本も生徒会なんだろうな、と思っていると、藤垣は「原田と河本と、それから岩間が生徒会なんだよ?」とオレに振ってきた。そうらしいな、と返しておく。それからふと、「あれ、そういえば岩間とは喋んないの?」と藤垣は目の前の見たことのないやつに訊いた。
「え、俺あいつのこと嫌いだもん」
・・・・大分はっきり言うな。
まあ、確かに、岩間と言えば色んな話を聞く。三宅の宿題を盗んで、自分の名前に書き換えて提出したなんてのがその筆頭で、藤垣もその話は知ってるようだが、重ねて、学級委員の話を持ち出した。
入学した次の日の係決めで一番最初に候補者が募られたのが学級委員会だ。藤垣は少し考えてから勢いよく手を挙げた。担任の砂川先生が一言二言言ってから、やや間が空いて手を挙げたのが岩間だった。そのすぐ後の休み時間で、二人のどちらが前期、後期をやるのか決めることになり、藤垣が岩間の席を訪ねた。両者が名前を述べるとすぐ、岩間はこう言った。
「え、俺前期やってい? え、やりたいの?」
そこで、藤垣の中の岩間という人間は、一定の形を持った。
その一時間後だ。聞き慣れた通る声で、やれ「体育委員男女各二名づつ。さっきの新入生歓迎会の資料にある通り、毎授業の・・・・」とか、「やりたい人居ないのでまだどこにも属してない人、廊下に出て話合いましょう」などと言ってまとめ、藤垣はその授業の間に全ての役割を決め終えた。前には、他に板書をする書記が二人居ただけだ。これについて、担任は「見事な、円滑な進行で」と評した。それから、「い、岩間君の姿も見たかった」とも。
帰り道、藤垣の中の岩間は明確になっていた。これと同時に、一年F組の藤垣はこういう印象というのも明確になった。オレみたく、「藤垣煕衣と言えば滬乃紅楼館」などと思っている人は居ない。
さて、岩間と言えばこの件について何とも思わなかったらしく、その授業が終わってから書記の女子二人とラインを交換してはしゃいでたというから節操ない。その後も、岩間は前期学級委員と指定のある朝会の点呼などはしていたが、教壇に立つところは見たことがない。それから、席が近かった一学期後半などは、藤垣によく話し掛けていたようだ。文化祭の藤垣の絵も、聞けば岩間が部活中の藤垣を呼びつけて手伝ってもらったそうだ。もともと藤垣は、河本の動画班で動画の内容を計画したり、撮影現場の管理などをしていて、特に岩間の装飾班とは関係ないのだが。
こんな風に、オレは頭の中で藤垣の話を補足しながら聞いていた。まあ、相変わらずの一言である。藤垣はひとしきり話した後にこんなことを訊いている。
「そういえば、今週の頭に原田から生徒総会の絵を描けって頼まれたんだけど、なんか聞いてない?」
相手はポカンとする。藤垣は続けて、
「A4の藁半紙を渡されたんだけど、あれってB5じゃない?」
これについての返しは、おおよそ原田と同じようなものだった。
「おれは生徒会誌の担当で、生徒総会の担当じゃないから分からないよ。
でも、先生が渡してきたんだからそれでいいんじゃない?」
藤垣は、そういえば君じゃないかな、裏表紙の方を描けって言われたのは? と訊くが、
「あれは山口先輩に頼んだ」
とすぐに返してきた。
それきり、藤垣は生徒総会の話を諦めて、生徒会役員選挙の話を出した。
河本曰く、「岩間は屑だけど、仕事はやるから副会長になるんじゃない?」と言っていたそうだが、これについてははっきり返してきた。
「岩間は出ないよ、俺が出るから。なんで一年の中で一番最後に入ってきたあいつに指図されなきゃいけないだよ」
「ほお、そうなの。でも、必ず一年が副会長に出なきゃいけないの?」
これには極めて事務的に、二年の先輩が二人しか居なくて、会長が一人と、副会長が二人出なきゃいけないから、だそうである。
ここで畑田が久方ぶりに、「俺ら、家向こうだからこの辺で」と言ってきた。
そう言われて、オレは駅前への商店街と別れる横断歩道の前に居ることに気づいた。
畑田は、踏切の方へ行く道を指差す。この二人と帰ったところで話すことは無いので、オレは適当に思いついた言葉を投げてみる。
「そうか、オレはちょっと商店街の・・・・滝間屋にでも用事があるんでここで」
すると真横で一瞬だけ射すように目を細めた藤垣も続けて、
「私も電車乗るんで、じゃっ」
そして、畑田達は踏切の方へ歩いて行った。
青になった信号を渡って、商店街のアーケードに入ると藤垣はすぐに言った。
「ほぅーお、横淵君よーぉ、・・・・滝間屋さんだったら一口羊羹が好きだよ?」
「なんで今川焼きの名店滝間屋で一口羊羹なんだ。しかも無茶苦茶高いやつを」
無邪気に笑う藤垣は、もっと無邪気なことを言いやがった。
「さっきまで、畑田の隣に居たのって誰?」
コミュニケーション能力が高いってのも、それはそれでいいことなんだがな。
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