第18話


 ☆ ☆ ☆


「はぁ~~・・・・・・あづい゛・・・・・・」


 休日を挟んでの再びの補習日。研は裕手製の朝食を取って、太陽の照る中高校へと向かっていた。

 太陽は朝なのにギラギラと光線を発しているし、木々にいるであろう蝉たちの合唱は耳の中まで焼く。彼らはそれが仕事なため仕方のないことなのだが、その爆音で頭がガンガンと痛い。

 鈴音が来てもう早数日が経った。当然その間裕とキスを含めた過度なふれ合いはできていなかった。夜などは、ベッドで寝ていてもムラムラしてきてあまり眠れない。

今までは最後までしないものの、裕と触れ合うことで精欲が収まっていた部分もあったのだろう。昨夜も、下半身に熱が溜まり眠ろうにも寝付けなかったのだ。

 ダメだと思うと、余計に欲しくなるものだと心底理解できる。あの幸福な金曜日が懐かしい。この夏休みが終わる頃には、聖人になっているかもしれないな・・・・・・と自嘲気味に笑い、肩からずり下がっていた鞄の紐をかけ直した。



『ふへー・・・面倒くさ・・・・・・』

 研は冷房の効いた部屋で、机の上にあるプリントを眺めながら顔を顰めた。今日は数学の補習だ。前回は英語だった。

 研は勉強が苦手な訳ではない。むしろ出来る方だった。しかし、人と付き合うことに苦手意識を持ち始めた頃から一切目立つような行動は控えるようになり、また自分に対する全ての自信もなくしていった。どうせダメな自分が何をしてもダメなのだ。

 何もかもが完璧な裕とは違う。

 裕だとて完璧ではない。それは、今はわかっていることだった。皆は裕が完璧な生徒会長だと勘違いをしているようだが、裕にだって苦手なことはある。そのことを自分だけが知っていると思うと、研は気分が良かった。


 研が裕の気持ちに応えたのは、研もまた裕に恋心を抱いていたからだった。

 気がつけば、というのがしっくりくる。裕と一緒にいると、心が落ち着くのだ。『ああ、自分の居場所はここだ』と思える。

 元から臆病で引っ込み思案だった研は、小学校で好意を持っていた女子に思いきり拒絶されたことをきっかけに、人と距離を置くようになった。研の母親と父親の仲が悪く、さらに母親が再婚しても両親どちらも仕事で忙しかったため、昔から研は『心の拠り所』となる場所がなかった。どこに身を置いても安心できない、そんな状態だった。

 そんな研に居場所を作ってくれたのが、裕だ。

 引っ込み思案の研に丁度良い距離で接してくれ、皆に距離を置かれて自分の容姿に絶望しても『みんな、研が格好良すぎるから、逃げるんだよ』なんて冗談まで言って慰めてくれた。目尻から零れる涙の粒をすくい取る親指がすごく優しくて、柔らかくて、気持ちがよかった。

 あるときから、女子生徒が裕にベタベタとくっついているのを見て心がざわつくようになった。胸がムカムカして、もやもやして、苛つく。かと思うと、風呂上がりの蒸気を纏った裕の姿を見て、下半身が暴走したこともあった。

 そして考えに考え抜いて、自分は裕のことが好きなのだとわかったのだ。

 彼も同じ気持ちだとわかったときは、まさに天にも昇る気持ちだった。初めてキスしたときの恥じらう裕の姿も、その裕の柔らかな唇も、記憶に深く刻まれるほど素晴らしく、今でもすぐに思い出すことができる。

 ・・・と、いかんいかん。研は、熱が溜まってきた下半身に慌てて頭を机上にあるプリントに切り替えた。

 プリントは半分から左側に基本問題、そして右側に応用問題という風に並んで載っている。前の教卓には教師が船を漕いでおり、周りではやる気のない奴らが携帯を盗み見てはメールを打つ動きをしていた。

 ああ・・・面倒だ・・・・・・。研は再び顔を歪める。

 プリントなど家でもできる。わざわざ学校にまで出向く必要はないだろう・・・・・・と、補習を受ける分際でそう偉そうに大声を上げてしまいたい衝動に駆られた。ああ、早く帰って裕に会いたい。裕の顔を見たい・・・・・・そう思っていると、机の中に入っていた研の携帯が震えた。

 なんだろうと画面を覗くとメールが届いたようで、なんと相手は鈴音だった。そういえば、『研治』として連絡先の交換をしたのだった。

 ちらりと教師の様子を窺い、すらりと机の中に手を滑り込ませて携帯のロック画面を開く。すると鈴音からのメールと、その後に可愛らしいスタンプが送られてきていた。

『研治さん、今日会える?』

 その簡単な問いかけに、どう返そうかと逡巡する。というよりか、焦った。今の研はあの『ダサくて』『底辺』の研だ。そんな研が研治だと名乗って鈴音に会えるはずがない。一瞬で彼の目から出る視線に凍り付いてしまいそうである。『お前は呼んでいない』と。

 さてさて、どうしたものか。既読をつけてしまったため、このまま見なかったフリなど出来るはずもない。

 どうしようかとあわあわしていると、続けてメールが送られてきた。

『研治さんに話したいことがあるんだ。研治さん、忙しい?』

 それと共に送られてくる、可愛らしい羊が涙を溜めた瞳で懇願するような顔のスタンプ。

 人との付き合いに気を遣うようになってから人の心情に敏感な研は、人の眉を寄せる仕草などのちょっとした動作に弱い。しかも、涙を目に堪えているでもしたら、すぐにでもその人物の言うことを聞いてしまうだろう。こんな風に懇願されたら、断るなんていう選択肢は研にはなかった。

 すぐさま送ってしまった『大丈夫。今学校なんだけど、終わってからでもいいかな?』という文章を眺め、はぁっと溜息を吐いた。

 本当に自分は、何をやっているのだろうか・・・・・・。


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