05_彼女のニヒリズム(前)

京浜東北線と横浜線を乗り継いで40分程。電車を降りて階段を上がると改札があるが、そこから更に十分ほど歩く。すると前方に同名の駅が現れた。


「結構歩くのにどうして同じ駅名なんだろう? 初めての人は迷わないのかな」

私は隣を歩いているレンテに聞いた。

彼女は今日、チェックのシャツにブルーのロングスカートを併せて、背中にはリュックを背負っていた。いつもの制服とは違った雰囲気に、私は少し背中がくすぐったくなる。


「見たとおり、ここは元々別の駅だったそうだ。小田急線周辺の開発が進んだ際に駅の移転話も出たそうだが、地域商店街との折り合いが付かず、離れてはいるものの駅名を同じとすることで決着したという」

駅と駅をつなぐ通路には駅ビルのテナントが並び、休日の繁華街らしく人通りがとても多かった。初めて来る場所に慣れていない私は、反対方向へ向かう人たちの勢いに流されそうになるが、すかさずレンテが手を引いて助けてくれた。


リュックを背負ったレンテは途端に幼く見える。しかし、人混みの中で前を見つめる瞳は力強く、時折彼女を大人に見せていた。

「不便な物には、大抵そうなるべき歴史がある。一見して不自然で不合理なものにこそ、そこに生きてきた人たちの在り方が宿るものだ」

「不便な方が良い世の中だと言うこと?」

「便利さの中で失うものもあるということだよ」



間もなく小田急線側の駅に到着し、私たちはそのまま駅を通過し進んだ。

先ほどまでの繁華街のような雰囲気とは異なり、周囲には閑静な住宅が並んだ。

また五分ほど歩くと、十字路の左側にその建物が見えた。

私たちが目指していたのはその建物だ。


それはまるでビルでありながら怪しげな魔術を取り扱う洞窟のようでもあった。

入り口の脇はレンガ調の壁になっており、外にも関わらず壁には本棚が設置され、隙間まで所狭しと本で埋まっていた。整理され棚に収納された本の上にも、カバーの無い本が横向きに差し込まれており、棚板は重量で中心に向かって撓んでいた。

棚に収まりきらなかったのであろうか、その前にはワゴンが置かれているが、そこにも平積みされたハードカバーや文庫が文字通り溢れていた。

本の背には鉛筆で『100』等と書かれている物もあり、後でレンテに聞いたところそれはは本の値段だった。


本棚に狭められたかわいそうな入り口からは店内が見えるが、中はよりすさまじい状況だった。

入り口すぐ脇にレジらしきカウンターが見えるが、平積みにされた本の山で覆い隠されていた。申し訳程度、現金の受け渡しができる程度の空間が残されてはいるものの、店員さんがカウンターの内と外をどうやって行き来しているのか、一目見ただけでは分からなかった。

看板には店の名前と共に一階から四階までの案内が書かれていた。一階は絵本・児童書・マンガとあり、二階は文学・美術・思想・哲学など取り扱っているだろう本のジャンルが書かれていた。最上階は四階とある。


置かれている本はすべてが古本だった。一体何冊の本があるのだろう。この建物の主役は、人ではなく本だ。


「ここは日本でも有数の古本屋なんだ。特に哲学や思想、美術など、人文科学の本が揃っている。関東では神田の古書街が日本最大級だが、ここも引けを取らないと私は思っている」

通路なのか陳列スペースなのか分からない道を、本の山を崩さないように進みながら、レンテが教えてくれた。

通路は一人歩く程度の広さしかない。

反対側から人が来たらどうするのだろうかと思っていたが、散策者は脇に避難したり道を戻ったり、上手にすれ違っていた。どちらが声をかけるわけでも無く、しかし滞りなく人が行き来しており、店内は不思議と秩序立っていた。



「読書子はもちろん、大学生や教授、研究者も利用しているそうだよ」

「どこ情報なの、それ?」

「私の父は大学の教授なんだ」

初耳だった。通りで賢そうに見えるはずだと納得した。

「父はあまり自分の仕事については教えてくれないけれど、お弟子さんたちが私に良くしてくれるんだ。時々、こっそりと論文の読み合わせや翻訳に紛れ込ませてくれたり、読書会にも参加させてもらっているんだ」

レンテの家族について、私はもっと話を聞いてみたかった。しかし今はそういうタイミングでは無い気がした。『父』と口にするときの彼女の表情が、ほんの少し寂しそうに見えたからだ。


その代わり私は自分の家族について話すことにした。

「うちのお父さんとお母さんは市役所で働いているんだ」

「そうだったのか。立派なご両親なんだね」

「立派なのかな。お母さんは厳しいかも。勉強しなさいとか、漫画じゃ無くて本を読みなさいとか、将来のために資格を取りなさいとか、口うるさいよ」

レンテは少し微笑んだ。

「心配してくれているんだろう」

「それは分かるんだけど……だからって、どんな本を読んだら良いかは教えてくれないし。うちは二人姉弟なんだけど、弟にはそんなこと全然言わない。弟の青磁は私と違って頭が良いから、本もたくさん読んでるのかも」

「うちには年の離れた兄がいるけど、私が小学生の頃に一人暮らしに出ていってしまった。あんまり一緒にいた記憶がないな。歳が近いのはうらやましいよ。一緒に遊んだりしゃべったりできるだろう」

「私はお兄ちゃんが欲しかったな。弟はかわいいけど大変だよ。出来が良すぎて、周りから比べられちゃうから」



私たちはたわいも無い会話をしながら、一階から順番に本の迷宮を探検した。

一階は絵本等の他に、百円から三百円の文庫本も並んでいた。文庫より一回りサイズの大きい、手帳のような大きさの本もたくさん並んでいた。新書というのだとレンテから教えてもらった。


二階にはハードカバーの専門書が並んでいた。レンテが最も好きなのが哲学のコーナーだという。行ってみると、部屋一室のすべてが哲学コーナーだった。棚ごとに西洋哲学、東洋哲学、分析哲学、構造主義……等と分類されているが、その単語が意味することすら私には分からなかった。

「なにこれ、哲学ってこんなに種類があるの? レンテはこんなのを全部読んでるの?」「さてね」

レンテは楽しそうに笑った。

笑いながら手前から順番に本棚の前に進み、気になる本があると手に取って中身をめくっていた。



「白は以前、友達と面白い話をしていたね。私たちはなぜ宿題をするのか、だっけ?」

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