02_美しさとは何か、または一花と出流

SNSにあげる自分の画像だとか、自分たちが友達と楽しく遊んでいる様子だとか、見栄えの良さはいくらでも加工ができるようになった。でも、それは美しさとは関係があるのだろうか?

美とは何かなんて難しいテーマについて何かを語るのは、私には難しくてとてもできない。それでも彼女は、他の誰よりも美しいと感じる。

彼女の名はレンテといった。



レンテの存在を知ったのは中学1年生の時だ。環境をテーマにした作文コンテストに入賞したということで、全校集会の際に表彰をされていた。

英語も得意なようで、年に1回、学年から5人ほど選出される英語スピーチコンテストにも参加していた。その際に使った原稿は、イギリスのNPO法人でのボランティア経験を基にしたのだという。


合唱コンクールではピアノを弾いた事もあり、スポーツも得意という非の打ち所の無い人物で、とても目立つ人だった。

遠目から何度か彼女の姿を見たが、華やかな実績を鼻にかける風でもなく、まっすぐに前を見つめる彼女の瞳が、とても印象的だった。


卒業したら飛び級で海外の大学へ行くのだとか、紛争地域の問題解決のために世界を飛び回るのだとか、勝手な噂が色々飛び交っていた。

ちなみに私は成績が平均で運動は苦手、楽器も弾けないし、もちろん海外に行ったこともない。彼女のような人とは、とても無縁の存在だと思う。



中学3年生の1学期になって、クラス替えされた新しい教室で配られた名簿を見たとき、滴石しずくいしレンテという名前を発見して大変驚いた。

おそらく進学校か大学か、未知の世界へ行ってしまうであろう彼女を間近に見る機会は、これが最後に違い無い。

私は一人喜んだ。


ちなみに私たちの学校では、2年生の3月中旬頃、自分の名前と3年生で配置される新しいクラス名だけが書かれたプリントが配られる。

自分以外の同級生がどのクラスに行くかは、新学期当日に先生から発表されるまで分からないようになっている。

仲の良い友達同士では当然情報のやりとりをしているのだろうが。



レンテは、休み時間には大抵本を読んでいた。茶色い背表紙で、四辺に唐草の模様がデザインされた文庫が多かった。


しかし、周りから声をかけられると必ず笑顔で返事をしていた。同級生が話す流行の動画だとか、たわいもない話題を、きちんと楽しそうに話していた。

会話が終わりその子が離れると、レンテは一呼吸だけ間を置いてからまた読書に戻る。私が彼女を美しいと思うのはその瞬間だった。


人との時間から自分と本との時間へ切り替わるその一瞬の、椅子に座る姿勢、目線の動き、表情の変化、すべてに品があった。友達と笑っていたやらわかい少女のようなあどけなさが、本を前にすると遠くを見据える様に凜々しく知性的になる。

それでいてその変化は、まるで夏から秋へ、冬から春へ、季節が移り変わるように自然で、なぜかどこか儚げだった。


レンテに話しかけることは一向にできなかったが、彼女のそうした仕草を見ているだけで、自分も賢くなれたかのような不思議な気持ちを味わっていた。



新学期が始まり、一ヶ月程経ったあたりだった。

「白ちゃん、今日の帰りどこか遊びに行かない? 定期テストの前に連休だし、今から気分転換しようよ」

誘ってくれたのは前の席に座っている水畑一花みずはたいちかだった。

耳の下くらいで揃えられたショートがよく似合っていて、どんぐりのような目が愛らしい。

一花は自分の端末を鞄にしまいながら帰り支度をしているところだった。

5限の授業が終わり、部活が無い生徒は帰宅する時刻だ。一花は書道部だったが、私たちが通っている中学では4月の下旬から部活がお休みに入る。

「一花ちゃん、ごめん、私は今日残って図書室に行こうと思ってて」

連休前にそれぞれの授業からまとまった宿題が出されていた。私はその中の一つ、読書感想文の準備をするつもりだった。

私は数ある宿題でもこれが最も苦手で、何の本を読むのかを決める所から何時間もかかってしまう。図書室へ行って何かを借りようと思っていたのだ。


「白ちゃん、まだ宿題やってなかったの?」

「うん。もしかして一花ちゃん、もう終わらせちゃったの?」

「私はもう全部終わらせちゃった。だって、休みは遊びたいし。親が呼んでる家庭教師の先生に全部やってもらった」

私は、宿題を休み前に終わらせ、かつそれを家庭教師に全てやってもらうという発想にびっくりした。

「気分転換が必要な程真面目に勉強してないだろ、一花」

横から会話に入ってきたのは、隣の席に座っていた男子、古川出流ふるかわいずるだった。


出流はくせっ毛の男の子で、髪が伸びてくると指でつまんでぐりぐりとよじる癖があった。そろそろ気になる頃合いなのか、今も指で髪をつまんでいた。

「期限ギリギリにならないと手を付けようともしない人には言われたくないわね」

「俺は最後にはちゃんと終わらせて提出するからいいんだよ。優先順位の問題なんだ。他にやるべき事があるから後に回しているだけ」

「そのやるべきことっていうのが、よく分からない人たちとチャットすること? さすが、意識の高い人たちはやることが違うね。高くしすぎて足下の身近な問題を見失わなければいいけど。自分の成績とかね」

「あいにく、見失うほど低い成績でもないけどな。お前と違って」


彼らはいつもこの調子で会話をしている。一花と出流は小学校からの知り合いだというが、きっと昔から仲が良かったのだろう。

2年のクラス替えの時、知り合いがいなくて、教室でおどおどしていた私に話しかけてくれたのが、一花だった。一花のおかげで、休み時間には三人で話すようになった。

出会ったばかりの頃、二人の掛け合いのスピードが速くて、私は中々会話に入ることができなかった。

二人の皮肉がどこまで本気かも分からず、気の利いた冗談も思い浮かばず、それでも何か話さなくてはと気持ちばかり焦って、緊張した。

しかし、いつまでも終わらない二人の口喧嘩を見ていて、なぜだか分からないが、私は急に可笑しくなってきてしまった。


そして二人の激論が30分ほど過ぎたあたりで、堪えきれず私はお腹を抱えて笑ってしまった。

突然笑い出した私を見て、二人はさすがに固まっていた。

固まったまま二人は、何も悪いことなどしていないのに「ご、ごめんね」と誤ってくれた。

私はひとしきり笑った後、二人は何も悪くないということを何度も弁明した。

出流は髪を摘まみながら「それにしても、何がそんなに可笑しかったの?」と訪ねた。

私にもそれはなぜだか分からなかった。

私たちはその時からとても仲良しになった。



「出流くんは読書感想文終わったの?」

会話の隙を狙って質問した。

「俺?やるわけないだろ。数ある宿題の中でも、一番意味が分かんないと思ってるよ」

出流は早口で答えた。


答えてから一度私の顔を見て、目をそらしてから少しだけゆっくりと話した。

「だってあれって、感想を書けと言いつつ、文章構成のパターン学習だろ。しかも肯定的な内容ありきのさ。宿題としての建前と意図がかけ離れてるじゃないか。俺、そういうのが苦手なんだよ。だったらプログラミングとかの方が、はっきりしてて好き」

言っている事は少し難しかったが、言いたい事はなんとなく分かったような気もした。

「要するに人間よりパソコンが好きだって事でしょ? 出流はパソコンオタクだから」

一花が軽口を挟むが、出流は鼻を鳴らすだけで、一花にはそれ以上は反応しなかった。

「それでもやらなきゃいけないとなったら、自分が本当に必要だと思ったときにやればいいだけの話だろ。時間が限られているのに、今やる必要があるかどうか分からない物にどうして取り組まなきゃいけないんだ、と俺は思うね」

「なるほど」

私は相づちを打った。出流の話を聞いていると、もっともらしいように思えてきた。


「私は逆だと思うけど。それが今やるべきことかどうかが、今の私たちに分からないのは当然でしょ? だったら、やりたくてもそうじゃなくても、とりあえずやってみて、後から考えればいいじゃない。その時は無意味に思えても、後になってからやってよかったなぁ、と思うかも知れないんだからさ。考える前にさっさと取り組んでさっさと終わらせるべきよ」

「な、なるほど」

一花の話を聞いていたら、それはそれで一理あるように思えてきた。


「白ちゃんはどっちだと思う?」

「白はどう思う?」

二人は私の顔を見て、ほぼ同時に質問した。

「どっちと言われても……」

私が悩んでいる間に、二人はまた別のテーマで言い合いを始めるのだった。

そんな二人を見て、仲が良くていいなぁと、ぼんやり考えていた。



結局私は、二人と別れ、図書室へ本を借りに行った。

苦手な読書感想文を放っておくと、心の中でいつまでもモヤモヤして、何かある毎に思い出してしまいそうだからだ。ここは一花に一票を入れる結果となった。

図書室で何を借りるのか、また迷ってしまったが、司書の先生に相談して2冊選んだ。

一冊はベストセラーとして話題になっていた小説。もう一冊は漫画原作の小説だった。



無事本を借りて帰り支度をしていた私は、自分の端末を教室の机の中へ忘れていることに気がついた。

家で立ち上げることはあまりないが、学校に置きっぱなしにするのも気になってしまう。私は仕方なく自分の教室へ向かった。



時刻は夕方にさしかかっていた。太陽が西に傾き、日の光は橙色に染まり始めていた。校庭にはまだ運動部の練習する様子が見える。吹奏楽部の練習するエリック・サティが微かに響いていた。

誰もいないであろうと思っていた教室に、一人座っている姿があった。

本を読む美しい姿勢。

レンテだった。

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