偏る世界のフマニタス

孤島

01_流星と101秒の暗闇

きっかけは些細な事なのだろう。

こんなことを覚えて気にしているのは、あの時、公園に集まっていた人々の中でも、私ぐらいかもしれない。



小学校から帰って夕ご飯を食べた後、外がすっかり暗くなってからの外出だった。いつもならパジャマに着替えるはずの時間に、外着に着替えた。

リュックに飲み物と、使うかどうかも分からない双眼鏡を入れ、弟の手を引いてドアを開けた。


ドアの隙間から吹く風は冷たく、まだまだ暖かいと思っていた秋が、突然冬に変わったかのように思われた。それだけで私は、今居る場所とは別の異世界へ旅だったかのような気持ちに包まれた。

手を握る弟の体温だけは暖かかった。まるで一筋のランプを持って洞窟を探検する冒険家になったようだ。


弟の手を引いたまま、私は父の待つ駐車場まで駆け足で進んだ。



その日は夜空に流星群が現れるという日だった。


空に雲がなければ、20時から22時頃にかけて、数千という流星が夜空に流れるという。ニュースが流れると、学校でもたちまちその話題が持ちきりになっていた。


私自身は流星にそれほど興味は無かったけれど、弟の青磁せいじがとても観たがった。青磁は普段あまり自己主張をしない。どちらかと言うと物静かで、外で騒がしくするよりも家で本を読むを優先するような性格だと思う。

普段の青磁とは違う意外な一面を見つけた私は、是非とも流星群を見せてあげたくなった。

両親に相談して、私たちは流星群を夜に観に行くため、当日父に車を出してもらうことになった。



夜というだけで、車から見える景色はまるで別物のようだった。

いつもは代わり映えのしない退屈な道路も、暗闇の奥から何かが飛び出してきそうな気配がある。


少し進むと、車は大通りへ出た。道路の脇には等間隔で街灯が並んでいる。車がスピードを出して進むと、街灯の光が糸の様に伸びて後ろへ流れていく。まるで、前から流れてくる光の玉が、次々と後方へ投げ渡されているかのようだ。


次第に私には、受け渡し係の何者かが車を先回りして、灯りが尽きないように、光の玉を生み出しているのではないかと思えてきた。

私たちの車は、光の玉を生む何者かと、走って競争しているのだ。

そんな空想をしていると、大通りを過ぎた。車はスピードを落として坂道を上り始めた。

そこからは明かりが少なくなった。私は、ここまで一緒に走ってきた街灯の光たちへ、窓からこっそり手を振った。



家から公園までは20分程であったろうか。小さな冒険を終えて、私たちは小高い丘の上にある公園へ着いた。

父は車で待ち、私と青磁の二人で公園の端へ歩いた。この公園の端には見晴台があり、昼には海と港を見下ろす事ができる。

流星が始まると予報されていた時間より少し早かったけれど、すでに公園にはたくさんの人が溢れており、スマートフォンをいじったり写真を撮ったりしながら時間を潰していた。人だかりから少し離れた所で、私と青磁は公園の手すりに寄りかかり、並んで立った。


人々の顔を照らす端末の光を見ていると、私は急に現実の世界に戻されてしまった気がする。私は少し残念な気分になって、坂道で分かれた光たちが恋しくなった。

同時に、手を握って着いてきた青磁の事が少し心配になった。


「せいちゃん、寒くない?お腹空かない?」

青磁に話しかけると「大丈夫。さっき晩ご飯食べたばかりだから」と小さく頷いた。18時には晩ご飯を食べて出てきたのだから、確かにお腹が空いているはずは無い。こういうとき私はなんて声をかけたら良いか分からなくなり、ついお腹のことを聞いてしまうのだった。


わずかな時間が過ぎた後、公園のどこかから歓声が聞こえた。

見上げると、暗く紺青に染まった空に、一筋の細い光が瞬くのが見えた。

続けて、2本、3本と光が線を作った。

糸の様に細い線がいくつか続いた後、火の玉のように輝く光が見えた。光は小さな弧を描きながら空を裂くように進み、その最中に大きな光を発した。一瞬の瞬きの後、その光は細い糸に戻り、空に暗闇が戻った。

その時ふと、真っ暗だと思っていた夜空に、鼓のような形で強く輝く星があることに気がついた。授業で習ったオリオン座だった。初めて見た流星の衝撃に、夜空の星々の美しさに気が付けなかったのだ。


少し待つと、また新たな光が現れ、大小様々な個性を見せながら夜空を輝かせた。空から視線を下ろすと、公園の港が見える。夜の港を、等間隔に並んだビル等の灯りや、道路を走る車のライトが、小さく照らしていた。人工的な港の夜景と、人の力の及ばない流星の夜空の対比が、この時間と空間を幻想的にしていた。


「うわぁ、綺麗だね、せいちゃん。こんなにたくさん降って来て、空の星は無くなっちゃわないのかな?」

「流星と言っても星が落ちているわけではないみたいだよ。宇宙空間のチリが地球の軌道と重なったときに、大気との摩擦で燃えて光を放つのが流星群と考えられているみたいだね」

「え……?チリ……?そうなの?」

滑らかに説明する青磁に私は驚いた。

「せいちゃん、どこでそんなこと知ったの?」

「学校の理科の先生にも聞いたし、教科書にも書いてあるよ。白ちゃんは教科書ちゃんと読んでないの?」

しろちゃんとは私のことだ。



青磁は私,遠野白とおのしろの2つ下の弟で、共働きの親の元、小さな頃からずっと一緒に遊んで過ごしてきた。何事も二人で並んでやってきたはずだが、最近は私をおいてどんどんと賢くなっている気がする。小さな頃は同じ絵本や漫画を二人で順番に読んで回していたが、今は図書館で自ら本を借りて読んでもいるようだ。

男の子は急に成長すると聞いた事があるが、小学生でもそんなことがあるのだろうか。


数秒ごとに流れる流星を観ながら、そんなことをぼんやり考えていた時だった。前触れ無く、公園の電灯の明かりが消えた。不思議に思う暇も無く、次の瞬間には港側の建物に見えていた灯りが消えていた。遠くの道路を走る車のライトと、空を流れる流星の光だけが残った。私たちの周囲だけでなく、町の灯りが停電したかのようだった。

「停電かな?せいちゃん、大丈夫?怖くない?」

青磁の手を強く握った。

公園に集まっていた人たちはそれぞれどよめいていたが、不意に「ネットが通じない」という声があがると、追従する発言がいくつかあがった。流星群の様子やそれを見る自分たちの姿を動画に撮影し、リアルタイムで配信している人たちが、少なからず居たようだった。インターネットの接続が切れ配信が止まってしまったのだろう。不満げな声が聞こえた。


「大丈夫だよ。それより余計な光が無くって星がさっきよりも綺麗だよ。白ちゃんもせっかくだから星を見なよ」

青磁は落ち着いていた。

周りが騒いでいるのにそんな気持ちになれるだろうか……と思ったが、なるほど、確かにさっきまでよりもずっと鮮やかに星々が見えた。

「本当だ、さっきよりもずっと綺麗」

数秒後、公園の電灯に光が戻った。港の建物にもすぐに灯りが点いた。周囲の声を聞くと、インターネットも回復したようだった。

結局の所、灯りが消えて居たのは数分にも満たない時間だった。今のは何だったのだろうか。ほんの短い間の停電だったのだろうか。青磁に聞いてみようと顔を見ると、すでに満足そうな様子だった。

「楽しかった。そろそろ帰りたいな」

「え?もういいの?」

時計を確認すると、流星群が始まってからまだ15分ほどしか経っていなかった。

「うん、いいんだ。本当言うと、流星そのものにはそれほど興味が無かったんだ。今回の流星群の予報が本当にあたるかどうか、そこに興味があったんだ。予報時刻の誤差が20分程度なんてびっくりだよ。理科の先生はもっと時間がずれるんじゃ無いかって言ってた。それが分かっただけでもとても良かった。さあ、帰ろう」

今度は青磁が私の手を引きながら、人でいっぱいの公園を後にし、すぐ近くに止めている父の車へ向かった。


青磁の流星群の楽しみ方は、どうも私とは違ったようだ。言っていることは良く分からなかったが、それでもとても楽しそうには見えたので、私も嬉しくなった。もう少しだけ夜空を観ていたい気もしたが、小学生の私たちにとってはこれくらいがちょうど良いのかもしれない。


車に到着する直前、青磁は足を止めて私へ振り返った。

「白ちゃん、今日はありがとう」

暗くて見えなかったが、にこりと笑った青磁の顔が思い浮かんだ。肌寒い夜だったが、私は胸が温かくなるのを感じた。



その後、父の運転する車の帰り道、窓から流れる星々を見送りながら、今度は星から星へ跳躍を続ける光の軌跡の空想を始めた。



この夜の日の事は、それだけだった。

青磁と一緒に観た美しい流星群。

その最中に起きた数分の停電騒ぎ。

しかしそのわずかな時間を、私は何かあるとぼんやり思い返すようになった。まるで、心の奥に刺さった小さな棘のようだ。思い返してみれば、このことが私にとって一つのきっかけだったのかも知れない。



それから4年が経ち、私は14歳、中学3年生になった。



私はそこで彼女と出会った。

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