浄土狂郷文書 ~ワスレシチジョウノキョウキ

※大変 狂気度が高まっております、御注意を。



「か〜ごめ〜、か〜ごめ〜。か〜ごのな〜かのと〜り〜は〜、何時何時出〜やある。夜明けのば〜んに、つ〜るとか〜めがす〜べった。後ろの正面だ〜あれ」

「何それ〜? 何の歌なの〜?」

「うん? これはなぁ、‘‘日本’’って国に伝わる童謡ってやつさ、アンタに一番相性のいいうたさ」

鴉狐あこはロコにそう言い渡した。彼女は牢屋ろうやの前で格子にもたれながら頭の上で腕を組んでいる。

「うふふふふ〜、そうなのね〜」

牢屋の中のロコは狂気じみた笑みを零してる。此処は月面にある地上の罪人を投獄する監獄『浄土監獄じょうどかんごく』。地上で極刑となった人間は排除される前にこの監獄に連れてこられる。

「それでぇ〜? 今日は何の用でここまで来たのぉ〜?」

「前は月の満ち欠けを直しにここ迄来たが、今日はアンタに用があるんだよ」

「うふふふ〜、そうなのねぇ? 私に用って何か知らねぇ〜? うふふ〜」

ロコは口元で手を握りながら、先程より狂気じみた笑みになった。体を左右に振り子のようにゆっくり揺らしている。

「相変わらず気味の悪い笑い方だなぁ…まぁアンタって云うか、アンタの持ってる‘‘モノ’’に用があるんだけどな」

鴉狐は牢屋の外から半身になってロコの方を指差した。

「あららぁ〜、それは哀しいわねぇ〜…うふふ〜」

「哀しいって言ってる割には、眼が哀しそうじゃないなぁ…。と云うか、そんな事はどうでも良くてさっさとその『ヴォイニッチ手稿しゅこう』を渡して貰おうか。私だって忙しんだ、こんな所で油売ってる暇はない」

「うふふふ〜、最初歌ってたのは油打ってるんじゃないかしらねぇ〜? うふふ〜」

「五月蝿いなぁ…私は油なんて持ってないわ」

「うふふふ〜。…それよりぃ、ヴォイニッチ手稿ぉ〜? 何なのそれぇ〜?」

ロコは人差し指を頬に当てながら首を傾けた。

「おいおい、話を逸らしといてそれか? アンタが前ポケットに入れてるヤツだよ、知らないのか?」

「うふふふ〜、これは私が入ってた教会のやつだよぉ〜? なんでそんな物知ってるの〜? うふふ〜」

「前に戦った時に中がチラッと見えた時中身が似てたからわかっただけ。と云うかその教会凄いな…知らずに持ってたのか?……てか待て、お前が教会? 絶対周りと協調出来ないだろ」

鴉狐の暮らす風叢邑ふそうえんには教会はない。ロコは元々は風叢邑とは違う地上に住んでいたのだ。

「周りなんていなかったわぁ〜、だって牢屋に入れられたものぉ〜」

ロコは悲しげな顔を見せることなく、笑みを零し続けている。

「此処と変わらないじゃないか。まあそりゃそうか、牢屋の中がそんなんになってるやつに協調性なんてないな」

鴉狐は出来るだけ見ないようにしながらも、少しだけ牢屋の中を見渡した。牢屋の中にはロコの玩具オモチャが幾つも転がっている。玩具は少しも動くことはなく、その息吹を喪っていた。床は紅黒く染まっている、そうであったが当然の様に。

「私はそこにいるモノみたいにならなくて良かった」

「うふふふ〜、私の玩具に成らなかったのは貴女たちだけよぉ〜」

「まあな、栖雲すくもとか私とかは祓魔師ふつましだからそうそうアンタらみたいのにやられたりしないわ」

鴉狐は腕を組んで組んで満足げに、自慢げにうないていた。

「…って、だから話逸らすんなっての!さっさと私に渡しな!」

「うふふふふ〜、其れは洒落なのかしらね〜?」

五月蝿うるさいなぁ…私はこんな薄暗くて変なやつばっかりいる所に長居したくないんだって…まだ終わってない研究も残ってるし」

鴉狐は日頃から『喪失技術ロストテクノロジー』の研究をしている。自前の学塾堂を持っていながらほとんど、授業を行わない。先生は鴉狐しか居ない。

「これ渡したらぁ〜、貴女は来なくなるのぉ〜?」

「あん? まあこんな所に用は無いし、もう来ないよ」

「そうなのねぇ〜…。じゃあ渡さないわぁ〜」

「何で!その本がそれだけ大事ってこと!?」

鴉狐は格子を両手で掴んでロコに喰いかかる。

「この本に想い入れはあんまり無いわぁ〜、もう何度も読んだもの〜」

「じゃあ良いでしょ!何故渡さない!?」

「私ぃ、ここに居ると暇なのよねぇ…うふふ〜」

「………つまり何が言いたい」

「うふふふ〜、私がその本を貸してる間はぁ〜、私の話相手になって欲しいのぉ〜。うふふ〜」

「うぇぇ、りにってお前とかよ…。気が狂いそうだ…」

「嫌なら貸さないわぁ、うふふふふ〜」

「……………ったく、まぁ仕方ない、話すだけでレア物が見れるだけマシか…。あまり研究してるとこ見られたくないんだがな…」

そう言いながら、鴉狐は再び格子にもたれかかった。鴉狐は気が散るからと何時も引き篭って研究に没頭している。別に人付き合いは苦手では無いらしい。

「あらあら〜、優しいのねぇ〜。うふふふふふ〜」

「取引持ち掛けといて何言ってんだコイツは」

鴉狐は呆れ気味に、ロコは狂気気味にその時間を過ごす。

「…それじゃあ貸してくれ、私は研究に移る」

その言葉でロコはのらりくらりとその場に立ち上がった。

「この本を持ち逃げしたらどうなるかぁ〜? …うふふふふ〜」

「わ〜ってるよ、そこの玩具おもちゃの二の舞に成りたくないのでね。それとアンタも私の事玩具にすんなよ?」

鴉狐はそう言葉を連ねながら腕を後ろに出す。

「し〜な〜い〜わ〜よ〜、貴女は数少ない私の玩具じゃないものぉ〜」

「信用出来ないなぁ…」

ロコは鴉狐にゆっくりと、ふらふらと近付いてヴォイニッチ手稿を手渡した。

「あんがとよ〜。…さてと、写真である程度の文法は理解出来てるから、あとは全文解読して研究するだけっと…」

鴉狐は持っていたネクロノミコンの空頁からページに解読文章を写し出した。鴉狐は研究熱心な為、辞書が無くても独自の解読法であらゆる言語を読み解くことができるようになった。だが、あくまであらゆる言語が読めるだけで発音までは理解出来ない。

「あら〜? その書いてる本〜、何だか親近感を持つわねぇ〜?」

「気の所為だ、気にするな…」

鴉狐は解読に頭を使っていて真面にロコの言ってることを理解しようとはしていない。と云うより、端から狂人の言い分を理解する気はさらさらない。

「……流石に写真だけじゃ限界があるか…。まぁまた解読にするだけだ」

「うふふふ〜、貴女はそんなのも読めないのぉ〜?」

ロコは鴉狐の後ろでふらふらしながら問う。

「生憎とこちとら人間は母国語しか理解出来ないんだよ。バイリンガルとかトリリンガルとか言うが、結局母国語になおし認識する事しか出来ない。多くの言語を話せる人は、それだけ外国語を母国語に対応出来てるって事さ」

「うふふふふ〜、生憎と私も人間なんだけどねぇ…うふふ〜」

「おいおいホントかよ、お前が人間とか信じたくねぇ…」

鴉狐は軽蔑の眼差しを向ける。ロコは一切気にしない。

「うふふ〜、彼此かれこれ数世紀はいきてるわぁ〜」

「……生憎と人間はそんなに長生きじゃない」

「あらあら〜そうなの〜?」

ロコは生粋の人間だ。妖怪でも幽霊でもない。ロコの長寿は後天性なのだ。ロコが長寿なのを理解するには、生い立ちを知る他無い。



ロコはある二人に夫婦の間に産まれた。両親は至って普通で、中流貴族の一家だった。

産まれて少し経った後、ロコは医学や人体学、解剖学に興味を持ち出した。両親は少し不思議に思ったが、将来は有望な医者になるだろうと期待を寄せていた。其の時はちょうど、国が医者を必要としていた時だったのだ。


その後もロコは健康的に成長して行った。話し方も今とはまるで違う。平凡な女の子だったのだ。

ただそれは、一時の気の惑いに他ならなかったのだ。


ある時、両親が出かけていた時、ロコは飼っていた家畜に笑いながらナイフを振り下ろしていった。

帰って来た両親は家畜と紅くなったナイフ、高笑いして口元を紅く染めたロコを見て、悪魔に取り憑かれたのだと思い有名な教会に預けた。

ロコは最初、普通に教会で他に預かっている子供達と同じ様に扱われていた。だが、やはり教会に入れられても奇行が治ることなく、笑いながらナイフを振っていた。最終的にロコは教会の地下牢に入れられたのだった。

此処からは牢屋に入れられた後の出来事を、私が記録したものである。


「ロコ、ご飯よ」

「うふふ…あら修道士のお姉さん、どうも…」

「アンタ、気味の悪い話し方するわね」

「あらあら…修道士にしてはお口がお悪いようで…」

ロコは無表情で笑っている。修道女は蔑視してロコを見据えていた。

「生憎とアンタみたいな悪魔の子に一々気を配る気は無いの」

そう言いながら、食事を入れる小窓から牢屋内に食事を入れる。

「あらあら…教徒のわりには平等じゃないのですね…」

「世の中そういうもんよ。誰に対しても平等する奴も、誰に対しても寛大な奴も、私が見た中では誰一人いなかったわ」

修道女は腰に右手を当てながら、呆れ気味に言葉を零す。ロコは真顔でふふふと言葉を垂らし続ける。

「それじゃあ、じゃあね。私はこんな薄気味悪い所に長いしたくないのでね」

「……ふふ、ちょっと待って下さいよ…ふふふ…」

修道女は牢屋の前にある扉に手を掛けながら、ロコの方に目を向けた。

「………何?」

「……ふふふふ、今度の食事の時からは人の血液を持ってきて欲しいのです…。ふふふ…」

「……気持ち悪い…」

そう言って、修道女は出ていった。ロコは牢屋の中で希薄な笑い声を漏らし続ける。

次の食事から修道女は血液をけるようになった。別に無理矢理搾取したものでは無い。この血液は瀉血しゃけつして集めた物だ。瀉血はこの当時、主要な病気の治療法だった。

修道女はロコを心の底から嫌っていた。


今日も牢屋前の扉が開く。

「ふふふ、ありがとうねぇ〜」

「……………」

修道女は覚束おぼつか無い手で皿を小窓から牢屋内に入れる。時々、食べ物を落としてしまうこともあった。

「うふふ、うふふふ…」

「………アンタぁ、何時まで経っても、顔も、体も、性格も、何も変わらんなァ…」

「うふふ、そうかしら? うふふふ」

ロコは牢屋に入ってから何も変わらなかった。強いて言えば話し方くらいだ。

「……その笑いも今日で最後さァ…まさかアンタの方が長生きとはなァ…」

修道女は壁にもたれて、そのままその場に座り込んだ。

「あらあら、大丈夫?」

ロコは真顔で修道女に声を掛ける。だが、もうロコの声は届かなかった。修道女はその息吹を喪った。


ロコは瀉血した血をむことで体内が膨大な数の病に侵された。その膨大な病が混ざり合い、最終的には『不老不死』の病にかかった。これは修道女にとっては想定外の事だった。修道女はロコを病気にさせ、早く居なくなってもらおうと思っていたのだ。

修道女はロコを心の底から嫌っていた。


その後、ロコは牢屋の老朽化によって外へと抜け出すことに成功した。だが、抜け出すとすぐに『浄土監獄』の看守に捕まった。地上において、不老不死になる事は『輪廻転生からの脱却』として罪人と扱われる。輪廻転生からの脱却は生命循環を狂わすとされると神々の間でも言われているのだ。



「さってと、今日はもう帰るか」

鴉狐はヴォイニッチ手稿を地面に置き、その場に立った。

「うふふ〜、もう帰るのぉ〜?」

ロコは格子を前にして体をゆらゆら揺らしている。

「もうそろそろ夕餉時ゆうげどきだ。私は人間だからお腹が減る」

「私は人間だけどぉ〜、お腹は減らないわぁ〜」

「やっぱり人間じゃ無いな」

「うふふふ〜、そろそろ信じてくれてもいいんじゃな〜いぃ〜?」

「そりゃぁ無理だな」

ロコは相変わらず口元で手を握りながら、狂気の笑みを浮かべている。鴉狐は少々慣れてきてあまり気になら無くなっていた。

「じゃあまた来るわ、まあ此処遠いから何時になるか分からないけど」

「うふふ〜、それじゃあねぇ〜」

そう言ってロコは握っていた手を広げ、ゆらゆら振った。ロコは空飛ぶ絨毯に乗って暗闇の奥、監獄の出口へと向かっていた。


ロコは今迄いままで誰にも受け入れられてこなかった。それは、人間は自分達とは明らかに違うモノを嫌うからだ。だが、案ずることは無い。どんな人も、妖怪も、怪物も必ず受け入れる者がいる。一時の苦しみも耐え抜けば必ず幸福が訪れるのだ。

幸福が来るのは定期で無い。何時訪れるのか分からない。幸福を追求するには、苦しみを耐える狂靭きょうじんな心が必要なのだ。


           記 記録担当 │■■■■《記載不明》


𒀱𒅒𒈔𒄆𒇫𒄆𒇫𒄆𒂝𒈔𒅒𒀱

狂気の純情、永遠に幼い心

          ロコ・ヴァーズィン


篤学とくがくの魅力、色褪せ無い想い

          浹青秋とおせいしゅう 鴉狐あこ


───狂気は幼げな心の下に───

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