極東幻鵺蒐 ~the Short Story of Dreamy East Night

幻滅極東社

夜櫻の咲く夏 ~Double Strange Dream

これはある精神科病院に入院していた患者の日記である。その患者はいつも夜になると音もなく消え、朝になると帰ってくる。その患者はいつも「さくらてきた」と言っていた。患者の手にはいつもサクラが散っていた。


七月三十日

気づけば僕は見知らぬ神社に着いていた。何故そんなところに居たのかさっぱり分からない。どうもそこにたどり着くまでの記憶がないらしい。ふとすると、神社から多くの囃子はやしの音が聞こえてきた。今はまだ七月だ。夏祭りにしては少し早すぎではないだろうか?気になった僕はながく年季のいった階段を登ることにした。階段を登り切るとさっきまでかしましく聴こえていた囃子の音が消えた。鳥居を越えると、そこには、何も無かった。永年ながねんで廃れた神社しか無い。境内けいだい脇を見ると大きな樹があった。どうやら櫻のようだ。近づいて見てみると白い華が多く附いていた。その櫻が綺麗だったことをこれを書く今も覚えている。また来ることにしようと決意し、帰ることにした。

何故僕は階段を登る前から上にあるのが神社だとわかったのだろう?


七月三十一日

昨日の櫻の神社にまた来ていた。意図的ではない、完全に無意識だ。僕は家で寝ていたはずなのだ。少し自分に忌諱きいの感情を覚えた。取り敢えずここまで来たのだ、櫻を見ていくことにしよう。そう決めて、また永い階段を登った。やはり今日も囃子の音が聞こえる。

櫻の前に着くと昨日は上に囚われて気づいていなかったものに、今日は気がついた。櫻の元に少し掘り返した跡があった。この櫻を抜こうとしたのか?嘆かわしい。この櫻を抜こうなんて、どうやら人の心はこれ程までに荒んでしまったのか。少し現代人に憤懣ふんまんさを覚え、家へ帰った。

何故か僕の手は濡れていた。


八月三日

僕が勝手に外に出るから病院に入院することになった。入院するあたって面倒な事が増えた。それ故、最近日記を書けなかったではないか。そんなことも関係なく僕はまたあの神社にやって来ていた。勿論寝ている間に、だ。聞こえる囃子の音にも慣れてきた。櫻の前に来るとあることに気がついた。前よりも櫻にあかみが増していた。どうしてだろう?腕を組んで考えようとすると、ある感覚が僕を襲った。生暖かい液体が手にまとわりいていた。紅くなる櫻。纏わり附く液体。成程、そういうことか。僕は笑い声を上げながら永い階段を降りたんだ。

遠くから囃子の音が聞こえた。


八月八日

櫻がまたしてもあかみを増している。僕が染めているのだと考えると、高揚感こうようかんに狩られて仕様が無い。僕がこのを育てているのだ。誰にも邪魔をさせはしない。僕の手は多くの種類の桜で染め上げられている。これが僕の生きている証なのだ。行動の証なのだ。後悔が行動の証らしいが、僕はそれ以外の目にえる証を手に入れた。

囃子の音が近くで聞こえる。もう少し櫻を見る時間が欲しいものだ。


ここから先の日記は、もう無い。患者は病院からは消えてしまったのだ。多くの人々がその患者を探し、櫻のとりこになっていることだろう。

患者の居場所は誰も知らない。だが、たった一人、僕は知っている。

僕は毎日、その櫻を魅ていたのだから。


◆❖◇◇❖◆◆❖◇◇❖◆◆❖◇◇❖◆


───櫻は亡き息吹の桜より紅く───

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