「それじゃ、行ってくるわね」


「お気をつけていってらっしゃいませ」



 

 次の日リャナンシーさんは玄関の前に立って、出かけようとするご主人様をお見送りしていました。


 ご主人様の見た目は上品そうな身なりをした老婦人で、にこにこと微笑みながらリャナンシーさんに別れの言葉をかけると、颯爽と外へ歩き出していきました。


 結い上げた髪の毛こそ真っ白に色が抜けていましたが、その足腰はしっかりとして若者にも負けないくらい元気そうでした。


 リャナンシーさんはご主人様がドアの向こうに去った後、気配がなくなるのをじっと待ってから。せかせかと動き始めました。




「大丈夫、上手にできるはずだわ」



 そうやって自分に言い聞かせるように呟きながら、昨日の練習通りに準備をしていきました。


 ケーキの材料はほとんどが冷蔵庫に普段からあるものばかりでしたので、レシピを見ながらわかりやすいようにどんどんと並べていきます。


 昨日の時点では唯一ベリーだけはなかったのですが、ご主人様に気づかれないよう今朝早くから森へ行って摘んでおいたので、もう足りないものはありません。



 レシピ通りにやれば失敗しないって魔女っ子さんも言ってたし、とリャナンシーさんは急いでケーキ作りにとりかかるのでした。



 魔女っ子さんの手書きのレシピを片手に、一生懸命昨日の動きを思い出しながら作っていくと、思いの外スムーズにお菓子作りは進んで行きました。


 なんどかヒヤリとする場面はあったのですが口酸っぱく注意されたおかげか、なんとか大きな失敗には繋がることなく、とうとうオーブンで生地を焼き上げるところまでたどり着いたのでした。

 

 時計を見ればまだ時刻はお昼前、ご主人様が帰ってくるのは夕方の予定なので、これからのんびりケーキの飾りつけをしていったとしても時間の余裕がありました。


 これなら落ち着いた心のまま無事にケーキ作りが終えれるかも、とリャナンシーさんはほっとしたのでした。

 

 その時、コンコンと扉を叩く音が聞こえてきました。




「一体誰かしら」



 今日は誰かの訪問は予定していなかったはずだけど、と思いながらリャナンシーさんは玄関へと足を向けました。



「もうし!もうし!」



 玄関の方へやってくると扉越しに、キンキンと劈くような大声で叫んでいるのがはっきりと聞こえてきました。


 これ以上騒がれては敵わないと、リャナンシーさんは慌てて玄関の扉を開きました。


 するとそこには筋骨逞しいドワーフさんが1人立っていました。



「やや、美しいお嬢さん!ちょっとお尋ねしますが、ここは錬金術師殿のお宅かね!」



 ドワーフさんはリャナンシーさんに向かって親しみやすい笑顔を浮かべながら尋ねてきましたが、相変わらず耳が痛くなるほどの声量でした。


 リャナンシーさんはその声に耐えられず、両手で耳を覆ってしまいました。


 それを見て自分の声量に気がついたのか、ドワーフさんは申し訳なさそうに頭を下げました。



「すまんなあ、わしらドワーフは炭鉱で働いとるから皆大声で話す癖がついておるんだ」



 それからはドワーフさんも気を使って小声で話してくれましたので、リャナンシーさんも安心して会話ができるようになったのでした。



「こちらこそ失礼しました。


 ところで先ほどの質問ですけれど、確かにここのご主人様は錬金術師ですが、今はお留守です。

 何かごようでしたか?」


「ううむ、そうか。注文されていた品が出来上がったから配達にきたのだが、まあお主であれば渡しても構わんだろう」



 そういって横に置かれた幾つもの小箱をさし示しました。



「それじゃ確かに渡したからな」


「あっ、…もう消えてしまったわ。この箱を全部運び入れろっていうの」



 ドワーフは次の配達があるからと、瞬く間に立ち去っていってしまいました。


 リャナンシーさんが試しに一つ持ち上げてみると、意外なことに大した重さはありませんでした。


 けれども積まれた数が多いので手間がかかりそうだと、思わずため息をついたのでした。

 


 それらを全部決められた場所へ運び入れて行った頃、一息ついたリャナンシーさんの鼻を焦げ臭い香りがふわりと漂いました。



「あ!大変、ケーキが!」



 慌ててキッチンへ駆け込んでいくと、オーブンの中から薄らと焦げ臭い煙が立ち上っていていました。


 急いでミトンをつけた手で取り出しますと、出てきたスポンジケーキは表面が黒く焦げてしまっていました。


 こうなってはもう一度焼き直すしかありませんが、今から作り直すには時間がありません。


 せっかくうまくいっていたのに、これでは全てが台無しになってしまったと、リャナンシーさんは涙を浮かべて項垂れました。



「なんてこと、このままじゃケーキは間に合わないわ…」



 いよいよ湛えていた涙が零れ落ちてしまう、というところで、リャナンシーさんは聞こえてきた物音に気を取られました。


 また誰かがやってきたようで、玄関の扉をコンコンと叩いている音がしていたのです。


 リャナンシーさんはそっと涙を拭ってから立ち上がり、玄関へとよろよろ歩き始めました。

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