第5話

 監督の話では、昨年の冬、相川の母親が突然倒れたという。心筋梗塞だった。手術を受けて危険な状態は脱したものの、身体に障害が残り、今もリハビリ専門の病院へ通院しているらしい。

「相川の家はもともと共働きで、夫婦ふたりの収入で生活していたが、父親が看病のために時短勤務にしたので、じわじわと経済的に苦しい状況になっていたようだ」

 今年度になって退部の申し入れがあったという。部費、遠征費、合宿費、それにスパイク代や練習着にかかるお金をもう払いきれないという。

「本当なら、チームメイトの苦境を正直にお前たちに話して、どうどうと寄付を募ればよかったのかもしれない。しかし、あの時はサッカー部の盗難事件でもめている真っ最中だったからな。結局あのときにサッカー部内で盗難事件の犯人は特定できなかった。ラグビー部はサッカー部とクラブハウスを共有している。そんなときに相川が経済的に困窮していると周囲に知られたら、どうなると思う? 今度は相川が疑われる恐れがあった。生徒同士のSNSでバッシングされる可能性もあると考えた。だからお前たち現役の生徒には詳しい事情を伏せて、ラグビー部の後援会の会員のみに、『経済的に苦しい選手を援助してほしい』と手紙を送った。その取りまとめをしてくれたのが副会長の赤井さんで、後日、相川のために振り込まれた寄付金を持ってきてくれたんだ」

 そのお金はこの夏の合宿から、すでに相川のために使われていたのだった。

「寄付金の使い道については、詳しい明細書と報告書を作成して、援助してくれた会員に渡している」

 監督はデスク横の引き出しから、クリアファイルを取り出すと、「お前たちも見るか?」と四人に差し出した。

 はーっ、と四人は一斉にため息をつき、空気の抜けた風船のように首を垂れた。龍太も、安堵とともに背もたれに体をおしつけた。

「だったら、最初からそう説明してくださいよー」

 酒井が泣きそうな顔で抗議した。

「俺ら、めっちゃ悩んだじゃないですか」

 その言葉に、今度は監督のほうが肩を落とし、椅子の上で巨体を丸めて小さくなった。

「……難しかった。盗難事件のこと以外にも、部員同士の公平性の問題もあった……。うちの部には相川以外にだって、経済的に苦しくて部費を負担に感じている家庭もあるだろうし。相川だけを特別扱いしていいのか。それで全ての保護者の理解を得られるのか。新米監督の俺には正しい答えがわからなかった。だから……秘密にしてしまったんだ。そうやって庇ってやるのが相川にとっていいことなんだと思っていた」

 そして顔を上げて、弱々しくため息をついた。

「でも、ダメだったなあ。やっぱり隠し事なんてうまくいかないな。君たちを不安にさせてしまった」

 こんなふうに自分を責める監督の姿を、龍太は初めて目にした。

 監督は自嘲のような笑みをうかべて、机上にある自分の携帯を指さした。

「さっき電話をしたのは相川本人なんだ。君たちに真実を話していいかって確認したんだよ」

「相川はなんて?」

「『監督、まだみんなに話してなかったんすか』って。けろりとしていわれたよ」

「なんだよ、相川は俺らが事情を全部知ってて黙ってると思ってたわけ?」

 神田が苦笑した。

「ほんとに、不器用な監督ですまないな」

 監督にぺこりと頭を下げられ、四人は落ち着かなく視線をさまよわせた。

 顔を上げた監督は、龍太たちを見てまぶしげに目を細めた。

「ただ、こうしてまっすぐに疑問をぶつけてきてくれて嬉しいよ。直接乗り込んで話し合おうって、君らに思ってもらえるくらいには、俺のことを信頼してくれていたんだな」

 監督の顔に温かみのある微笑みがひろがった。

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