スサノオ立志伝 ――少年期2・対馬――
明日乃たまご
第1話
普段、姉に馬鹿にされる6歳のスサノオは、自分がしっかりしなければ、と自分を鼓舞していた。誘拐されかけた10歳のエビスと8歳のツクヨミがしょげているからだ。
「父さんと母さんには内緒にするのよ。叱られるから」
エビスの声が震えていた。
「わかった。行こう」
彼は姉たちの手を取り、クヤカン国の市場を通り抜けて家族の待つ港に戻った。両親のいる場所は大量の荷物があるのですぐにわかった。
父のナギと母のナミが難しい顔をしていた。
「どこに行っていた。心配したぞ」
ナギがスサノオの頭をゴシゴシと痛いほどになでる。
「変な男に……」
言いかけるとエビスが口を挟む。
「市場を見て回っていました」
ツクヨミはさりげなく話題をかえようとしていた。
「倭に向かう船は見つかったのですか?」
「フム……」
ナギが応えず視線を逸らした。話が上手くいかなかったことがそれでわかった。
「私が一緒では、船には乗れないそうなのよ」
ナミが腰をかがめてツクヨミの頬を挟んだ。
「何故なの?」
「倭に向かう船には、女性は乗れないそうなのよ」
「私も女性よ。でも、倭に行く船に乗れるって」
エビスが得意そうに胸をそらす。
「どういうことだ?」
ナギが顔を寄せた。
「ねえさんは大丈夫だって、さっきの男たちが言っていたんだよ」
「さっきの男?……それは誰だ?」
ナギがスサノオの肩を握った。
「父さん。痛いよ」
「すまん。……どこの男がエビスは乗れると言った?」
「忘れた……」
男たちの姿形はよく覚えているが、名前は欠片も思い出せない。
「……でっかい男と、ちいさい男だ。姉さんたちを助けてくれたんだよ」
スサノオは、エビスに目をやった。
「助けてくれた?」
ナギがエビスに視線を向ける。彼女はスサノオに向かって口を尖らせていた。
「ごめんなさい。市場に並んだ書物に夢中になっていて、私とツクヨミがさらわれたの。その時、その人たちに助けられたのです」
エビスが説明した。
「それでは礼も言わなければならないな。エビス、名と顔は覚えているな?」
「ツノマウラとツクリといいました」
ツクヨミが言った。
「そうだ、それだ!」
スサノオの記憶が蘇った。
「それじゃ、捜しに行こう。ミカヅチは、荷物の番をしていてくれ」
ナギが荷物の番を使用人のミカヅチに頼み、ツクヨミの手を取った。
父親が怒らないのを不思議に思いながら、子供たちは両親と市場へ急いだ。
「あの人だよ」
スサノオは指さした。市場には人が多かったが、身体の大きなマウラの姿は目立っていた。彼はツクリと一緒に露店で食事をしていた。
「失礼いたします」
普段から丁寧なナギだったが、相手が子供の恩人だからだろう。一層丁寧な話し方でマウラに声をかけた。
「おお。おまえたちか」
マウラが巨体に似合わない人懐っこい笑顔をつくった。ツクリは口を利かず、愛想笑いを浮かべることもない。むしろ、気分を害したとでもいうように、顔を伏せて酒の入った椀を口に運んだ。
「先ほどは子供たちが助けていただき、何とお礼を申し上げたら良いものか」
ナギと子供たちは並んで頭を下げた。
「なんの。気にするな。気まぐれに助けただけだ。お前さんたち、親なら気をつけないといけない。ここはあちらこちらから海千山千の者が集まってくる国だ。悪党も人さらいも多い。ちょうどこいつらぐらいの子供が一番の高値がつくからな。狙われやすい」
「はい。肝に銘じます」
ナギとナミは再び頭を下げた。
「ところで……」ナギが改まって話す。「……子供が言うことには、女を乗せない船にも、この娘なら乗せてもらえるという話を聞いたのですが、まことでしょうか?」
ナギがエビスを目で指すと、マウラはニヤリと笑った。
「その子は海の神の名を持っている。ならば、神も怒らず、通してくれるのではないかと思っただけよ」
「失礼ですが、ツノマウラ様は船頭ですか?」
マウラは、ワハハと大きな声を上げて笑った。
「ワシはただの水夫さ。もちろん、こっちの小さいやつもな」
ナギは少しばかり失望したが、念のために聞いてみる。
「ツノマウラ様の知っている船頭で、我々家族を倭の国まで乗せてくれる方はおりませんでしょうか。そうした船頭がいるものなら、紹介いただけると助かるのですが」
ナギの必死の思いはマウラにも伝わった。
「ツクリ、どうする?」
マウラは、ツクリに了解を求めるような言い方をする。
「好きにしろ」
「ふむ。ならば着いてこい。ワシらの船頭を紹介しよう」
マウラが立ち上がった。
「ツノマウラ様は倭人ですか?」
ナギはマウラと港に向かいながらきいた。
「半分は倭人だが……。クヤカン国人という方が正しいだろう。ワシの父は倭人で、母はワイ人だ」
「そうでございますか」
マウラが足を止めてナギを見下ろす。
「すまんが、そのバカ丁寧な口のきき方は、改めてもらえんか。どうも、気持ちが悪い。それと、ワシのことはマウラと呼んでくれ。それが名だ。ツノは生まれた場所にすぎん」
「とは申しましても、あなたは子供たちの命の恩人。ぞんざいな口のきき方はできません」
「それなら、船頭の所には連れて行かぬ」
マウラが太い腕を組んで天を見上げる。
困ったナギは、ナミを見やった。
「あなた、これほどマウラ様が辞退なさるのです。希望通りしてはどうですか?」
ナミの疲れた顔で目尻が下がる。
小さなため息をついたナギが、「では……」と態度を改めた。
「古くからの友人、とさせてもらいます」
ナギの顔に親しげな笑みが浮かぶと、マウラも「それがいい」と笑って歩き出した。
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