第13話

 ウルフとの一種異様な雰囲気の挨拶を終え、セドリックが自分の家族を紹介したいから、とアシアとディフを促し彼の家の中に招き入れた。アシアとディフの後をさも当然のように、ウルフが付いて入ってくる。

 セドリックの家は木造の2階建てだ。村に入ってセドリックの家に着くまでの道中、この村に点在する家々も2階建てが多かった。アシアはいくつもの他の国を訪ってきたが、農村部ではたいてい1階建ての小さな家が多かった。このような2階建ての家が多い村は珍しい。また、セドリックの家は居住部分だけでなく家畜小屋や馬小屋が併設されているからだろうか、この村の中でもひとまわり大きいように思えた。

 セドリックにどうぞ、と促されアシアたちが入った玄関から見える左手が厨房を備えた台所になっているようであり、右手側は広い食堂を兼ねた居間になっているようだった。

 玄関を入ってすぐのところに、肩までの長さのこげ茶色の髪を後ろにひとつでゆるく編み込こみ、顔立ちの整った、セドリックより少し歳下に見える女性が出迎えてくれていた。

 出迎えてくれているその女性をセドリックは手で示し、

「妻のエイダ、」

と紹介された女性は、ようこそいらっしゃいました、と優雅な振る舞いで挨拶をする。

「息子の、ジョイ。」

 その隣には、先ほどウルフの暴走を止めようと玄関から出てきた、エイダと同じこげ茶色の髪と同じ色の瞳をした、エイダとよく似た顔立ちの青年が、こんにちは、と戸惑いの表情を浮かべたまま挨拶をした。

 次いでセドリックは自分の隣に立つ子どもの肩を軽く叩き、

「ディフと、」

と、まずディフを紹介し、

「で、ディフの隣が、アシアだ。」

と、アシアを紹介した。

 ディフは、こんにちは、と緊張した面持ちで律儀に挨拶をし、アシアは、お世話になります、といつもの笑顔を浮かべる。

 その、アシアの浮かべる柔らかな笑顔で、先ほどの異様な光景の緊張感が少し薄れたのか、ジョイのその表情に笑顔がないまでも、ようこそ、と歓迎を表すためにアシアに向かって手を差し出そうとしたそのタイミングで、

「それと、アシアは導師様だ。」

さらり、と何てことのない口調でセドリックはアシアの紹介内容に付け足した。

 その言葉を聞き逃さなかったジョイは、

「は?」

と素っ頓狂な声を出し、彼が差し出した手は中途半端な状態で止まる。

 エイダは少し目を丸くし、アシアを見遣り、

「まぁ。」

と言ったまま、固まってしまった。

 普通はまさか、と思うだろう。導師は物語上の架空の登場人物くらいにしか思われていないはずだ。セドリックだってそうだった。人は導師には、そうそう出くわさない。導師であるアシア自身が、他の導師と出会うことなど滅多に無いのだから、導師より短命である人が導師と出会える確立などほぼ無いに等しい。

 アシアはセドリックの時のように、彼女からも疑われるか、と思った。しかし彼女はすぐに気を持ち直したのか背筋を伸ばすと、その口から発せられたのは疑いの言葉ではなく、導師様、と、アシアへ呼びかけ、そしてアシアへと向き直り、

「このようなところへお越しくださり、歓迎いたします。たいしたおもてなしはできませんが、どうぞ、ゆっくりと寛いでくださいませ。」

整った綺麗な笑顔を浮かべ、再び優雅な礼をとった。

 農民出身の者の所作とは思えないその振る舞いに、アシアが不思議そうな表情を浮かべたのを見て、

「エイダは隣の領地で少し大きめの商いをしている、商家出身のお嬢様だ。」

と、セドリックは気まずそうに頬をかく。

 気まずそうなセドリックを見て、彼女は、

「縁があって、セドリックの許に嫁いできました。私の出自を聞かれた方々はたいそう驚かれますけど、私が望んだことです。」

セドリックとのこの生活はとても幸せです、と挨拶のときに浮かべた笑顔とは違う、柔らかさを内包した綺麗な笑顔を浮かべる。

 それを受けてセドリックも、

「いや、全然違う生活の俺のところへ躊躇うことなく来てくれて、俺の方こそ幸せ者だ。」

 今まで見たことのない優しい瞳に、照れた笑顔を浮かべた。

 この村が、アシアが見てきた他の村々と違い裕福そうに見えるのも、またその中でも若干セドリックの家が裕福に思えるのも、エイダの出自が関係しているのかもしれない。

 何となく、甘い雰囲気が漂いかけるその場を、

「えっと、導師様?」

と、ジョイがその間に割って入り、

「こんな我が家ですが、ようこそ。」

差し出した途中の手を、歓迎の意を込めて再びアシアへ差し出す。

 ジョイは先ほどの、アシアとウルフとの異様な対面を目撃していたためか、セドリックの『導師様だ』の紹介は素直に受け入れたようだった。

 いえ、素敵ですね、と笑顔のままその手を受け止めたアシアに、ジョイは軽く肩をすくめた後、

「それと、ディフ様?」

アシアとセドリックに挟まれて立つディフに向くと彼の目線に合うように少し屈み、アシアへ続いてディフへも手を差し出しながらそう声をかける。

 そのジョイに、

「ディフは、訳あって導師様と旅をしている、俺達と同じ人の子どもだ。」

とセドリックがそう言葉をかけた。

 え、そうなの?とジョイは言った後、続けて、

「じゃぁ、ようこそ、ディフ。オレはジョイです。ジョイと呼んでくれたら嬉しい。」

と、ニパッと笑う。彼が浮かべたその人懐っこい笑顔は、セドリックに瓜二つだった。

 このような挨拶のやり取りに慣れていないディフは、どう対応してよいかわからず思わずアシアを見上げる。

「僕がしたように、ディフもジョイの握手を受けたら良いのですよ。」

 柔らかく笑んでディフへそう示唆するアシアの言葉に、ディフは、はい、と答えるとぎこちない動作で、ジョイが自分へ向けて差し伸ばしている手に自分の手を重ねた。

 軽く握手を交わした後、ジョイが、

「ウルフを止められなくて、ごめんな。怖かっただろう?」

そう言いながらディフの頭を優しく撫でる。その行為も、なんとなくセドリックに似ている。

 ジョイは、容姿はエイダにそっくりだが、笑顔や仕草はセドリックにそっくりだ。やっぱり親子なのだな、とアシアはふたりに気付かれないように小さく笑った。

「部屋へ、案内するよ。」

 今日は疲れただろう?と、セドリックが2階へ続く階段を視線で示し、アシアとディフを案内しようと先に立ったが、その彼の背中へアシアが、セドリック、と呼びとめた。

 どうかしたのか、と振り返ったセドリックへ、

「運賃をお支払いしていません。僕とディフのふたり分で、6ルークでしたね。」

アシアは懐から小銭袋を取り出して、セドリックへ宿屋での契約どおり支払おうとしたが、セドリックは、ちょっと待ってくれ、と焦った感でアシアを止める。

 そのふたりのやり取りに、

「父さんっ。」

と、非難めいた声音のジョイと、呆れたような表情を浮かべ大きなため息を吐いたエイダとがそれぞれ重なった。

「導師様から、お代金を頂くつもりだったの?」

 エイダの呆れたような口調に、

「いや、その、成り行きでだな。色々、訳があったんだ。今夜、話すから。」

「これは僕とセドリックとの契約ですので、代金を支払うのは当然だと思うのですが。」

今度は、セドリックとアシアの言葉が重なる。

 言葉が重なり、セドリックとアシアは顔を見合わせたが、セドリックはアシアが口を開く前にすかさず、

「アシア、代金はもらえない。契約は不履行だ。入国時に役人と揉め事を起こしたからな。」

ディフにも怖い思いをさせて、済まなかった、と頭を下げた。

 役人と顔見知りだから、と大口を叩いた結果がアレだ。アシアが導師でなかったら、アシアがオウカ国のエンブレムが施されている外套を持っていなかったら、ディフはどうなっていたか。あの場で、取り上げられていたかも知れない。

 そうなってしまっていたら、自分はどうしていただろう。取り上げられれば、あの国の養護施設に送り込まれることは必至で、そうなればその先にディフを待っているのは『死』だ。それを知りつつ、見捨てることができたのだろうか。それとも腹を括って、自分が養親としてその場で名乗りをあげていただろうか。

 腹を括って決断をするかしないか、決めることができる自分はまだ良い。他人の手に自分の生死を委ねられる事になるディフが、一番の不幸だ。

 自分を死の淵から掬い上げてくれた上に保護者を名乗ってくれているアシアが、武装した役人に囲まれ連れて行かれる怖さで彼は震えていたのだろうと、あの場面ではセドリックはそう思っていたのだが、アシアが自分の許に戻ってくることができなかった場合のディフ自身の処遇についてまで、彼が考えに至っていたのなら、その恐怖心はセドリックが想像していたより倍増だっただろう。

「そう言われれば、そうなのですが。でも、これからしばらくディフともどもお世話になりますし。」

 宿代として、という意味合いもあるらしく、アシアも引こうとしない。

 セドリックはしばらく考え込むように黙したが、すぐに視線を上げ、

「導師様にぜひとも、と我が村、我が家へとお招きしたのは私のほうです。快く来訪頂いたことに感謝こそすれ、代金を頂戴するつもりは毛頭ございません。どうか、その手にお持ちの物を、お収め願えないでしょうか。」

アシアをひたり、と見据えた。

 セドリックのその視線を受け、アシアもしばらく黙したが、わかりました、と手にしていた小銭袋を懐に仕舞う。

 アシアがその小銭袋を仕舞ったことに、ほっとした表情を浮かべたセドリックへ

「ところで、セドリック。」

と彼の名を呼ぶと、何でしょうか?と問い返してきたセドリックへ、

「その、言葉使い。約束を破っていますよ。」

にこり、と笑むその表情の中には、彼が導師だと明かしたあの場面の時のように、少しの怒りと淋しさが混ざっているように、セドリックには見えた。

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