第2話
物心がついた時には、おまえはうちの子じゃない、とすでに言われていた。
同じ屋敷に住む自分と同じ年頃の男の子は、おまえと血のつながりのある兄ではなく、この屋敷の本当の子供だ、と言われていた。
確かに、この家の主人も、その妻もその子どもも、自分のような黒い髪と黒かと見紛うくらいの濃い藍色の瞳ではなく、赤茶色の髪と瞳だった。
だからなのか、この屋敷の主人とその妻から「おまえはうちの子じゃない」と言われ、何かにつけて男の子と自分との待遇に差ができてしまっているのは、自分がこの家の本当の子どもではないのだから仕方がないことだ、と自然と理解していた。
「ノィナ。」
物心ついた頃には彼らからそう呼ばれており、それが自分の名で、生まれた時にそう名付けられたのだと思っていた。
ノィナの出自については、ノィナの両親は養親と同じこの村に住んでいたが、ノィナが生まれて間もなく父母とも流行り病で亡くなった、とのことだった。養親はノィナと血のつながりがかなり薄い遠い親戚にあたり、物心もつかない幼いノィナを引き取ったのはたんに農作業の労働力確保のためだ、と事あるごとにノィナに言いきかせていた。女の子ならいかようにも身の振り方があったのに、と。だから食い扶持分以上働け、と幼いノィナに年齢以上の労働を日々、課していた。
義兄からもノィナは家族とは認識されておらず、どちらかといえば彼の不満のはけ口にされていた。「ノィナ」という名も、この養親が引き取ったときにつけた名前ではあるが、「名無し」という裏の意味があるのだと、義兄が面白そうに明かしたことでノィナは名前の本当の意味を初めて知った。
が、ノィナはこの境遇を不幸だとは思わなかった。
というより、何が幸せで、何をもって不幸せなのか、基準を持っていなかった。
常に空腹だった。けれども、満腹感、を知らないのだから、これが飢えなのかどうなのか、わからなかった。それに養親やその子どもを見る限り、彼らも満足いくまで食事ができているようには見えなかった。
屋根がある場所で寝起きができ、1日に1回から2回程度ではあるが食べ物が与えられている。その食事もお腹を空かせた義兄に時折取り上げられてはいたが、ノィナに不満など、なかった。
寝て、起きて、働いて、食べて。
それをずっと繰り返し暮らすのだと、そう思っていたのに。
その年は春先から長雨が続いた。夏に入るまでに陽が射したのは、ほんの数日だった。長雨のせいで作物の成長はかなり悪かったが、夏を迎える頃には陽射しが出るようになり、これで作物が育つだろうと期待した。しかし今度は雨が降らなくなり、日照りが続いた。
そうなると当然、秋は不作だった。例年の半分も収穫は得られなった。
本来ならば国は飢饉に備えた施策をもち、国民のためにその方策を実行すべきものなのだが、代替わりをしたばかりの若い施政者は、先代から取り巻いている者たちの傀儡なのか政ごとに興味がないのか、飢饉であり国民が飢え始めていても食料庫の開放はおろか、例年と同様の税金を納めるよう各領主に通達してきた。通達があれば領主もそれに従わざるを得ない。各地域を治める領主によって税率はまちまちであったが、それでも、納めない、といった選択はどの領地でも採択されなかった。
ノィナたちは常から、日々の食べ物がなんとか手に入るか、といった生活だったのだ。家庭の中の貯蓄などたいした額でもなく、あっという間に貧困に陥った。そうなれば、この家庭で誰を切り捨てるか。
小さいノィナには国の事情も大人の事情も解らない。ただ、1日に1回から2回与えられていた食事が2日に1回となり、その間隔も開くようになり。
歩くのがやっと、というような状態になったある日、養親から「この男の言うことを聞くように」と、見知らぬ中年の男性へと引き渡された。
ノィナは、最初は状況がよく掴めなかった。自分たちと変わらない貧しい身なりのこの男は、養親の知人なのだろうか、と思い、養親に言われたとおり男の言うことを素直に聞いていた。
ノィナを引き取った男は、ノィナが暮らしている村から馬車で2日ほどかかる城下街の貧困街に居住を構えており、ノィナはそこへ連れてこられたが、そこでもたいして食事を与えてもらえなかった。養親宅にいたときのように働くことを強要はされなかったが、毎日路地裏へ連れていかれ、男は通り過ぎる旅人らしき者へと声をかけ、ノィナを見せてお金を要求するその姿に、自分は口減らしに売られたのだ、と少しずつ理解していった。
理解したからといって、ノィナは何も感じなかった。あぁ、そうかと、すとんと何かが腑に落ちた。
抗う術は物心ついた時から持ち合わせていなかった。
諦めるほど、何かを持っていたわけでもない。
これからどうなるのだろうか、といった不安も何故か湧いてこなかった。
ただ、大人たちの意のまま、翻弄されるがまま、流されるだけだった。流された先に「死」があるのなら、それはそれで仕方がないことだ、と、いつの間にかぼんやりと受け入れていた。
路地裏に立つようになって3日経っても売れないノィナに男は苛立ち、それをノィナに隠すことなく当たるようになってきた。
「今日、ダメだったら、捨てるしかないな。」
酒代にもなりゃしない、と吐き捨てるようにつぶやき、今日も朝から酒瓶に口づけている男の言葉にも、ノィナの感情は特に動かなかった。
そうか、ボクは捨てられるんだ、と、力が入らないため冷たい床に寝転んだまま、ちらりとそう思っただけだった。
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