終生
返歌
第1話
人間の一生を絵で例えるとするのなら、今日と言う一日は、たったぽっちの点ひとつに過ぎない。また、一年でやっと線と言えるだろう。であれば数十年もすれば、傍から見て様子を窺える出来栄えになる事だろうか。
どれもこれも、そうして終わる絵を誰かが一見する保証などはないが。
しかして絵と言うものを例えば芸術として定義するのなら、そこに他人は必須であり、独りよがりで成立するほど高尚なものではない。そこで、はたまた人生と言うモノは、独りよがりで構わないのと言えるだろうか。
自由や多様性を重んじるのならそれは思考を考慮しない手詰まりであるが、人間として、高い知能を持った組織的生物であるに限った話、他人と介せずに自己を語ることなど不可能であると宣言しよう。
人間の個が、あるいは子が、自由と言う名の孤独を最大限に取り繕ったとしても、人類の生産的側面から離れることは叶わないし、また、いかに一糸纏わぬ自然的生活を徹底したとて、真の独立を証明するのであれば、自己を除いた人類の滅亡を見届ける以外に術はないだろう。
ところで、先ほど何故あえて『子』を特筆したかと言うと、生物学的定義に基づいた結果、大人とは虫で言う成体と見做し、人類の生産に関わりを持っているが故に大人と云うのを組織形態のポジションと定義したまでである。
もっとも、虫で言えば幼体の死骸は、組織のエネルギー源になる事も少なくはないが。
なにはともあれ、時の前後を考慮したとて人類と言う生物は孤独とは縁遠く、強いて言うなら、しかしこれが本命ではあるのだが、孤独とは他者から見た偏見であり、己が孤独であるというなら、それは他人の価値観から与えられたものであると宣言しよう。
自身を孤独と思うも聡明な読者であれば、思考する時間を与えられたことに気が付くだろう。
しかしここで、人類の中の人間である個が、唯一自ら孤独になる方法を一つ挙げよう。
とは言え前述した内容の応用に過ぎないのだが。
言うなればそれは、先を望まぬ自死である。
所謂、自殺である。
2023年である現代では、死後の世界の証明はされていないので、想像上の冥界や意識世界があるのであればその方法では孤独になる事は叶わないかもしれないが、しかし仮にそれらがあったとしても、死ぬ直前と死後の直後までのたった一瞬の走馬灯にも満たない時間に、その者は孤独になる事ができるだろう。
激しい後悔と共に、取り返しのつかない時間を振り返りながら、その者は孤独を感じることだろう。
これから先の主題に取り掛かる前にあらかじめ言っておくことがある。
人間とは、認知した事象に対して高い知能で解決する能力を持った生命であり、それ故に自然的な強かさや堅牢さが備わってないことを理解してほしい。でなければ君は、所謂、考えない葦とでも言ってやろう。
パスカルが言った通り、人間とは考える葦であると捉えることができる。この言葉が人間を表現するのに足りない部分はあるだろうが、余計な部分は存在しない。
これらを踏まえてよくよくよおく考えた末に自死を選ばんとする君に宣告をすると、人間が自死をする際は、必ず、理想の未来を描いた後に結末を迎える。
知ったような口を利くなと言いたいのだろうが、それは承知の上である。ましてや死人の口を聞いたわけでもあるまいし、故に正確な意見だとは捉え難いだろう。
しかし考えてもみると良い、それら要因はただ個人の手に負えない問題に囲まれているだけであると。もしくは失望と言いたいのだろう傲慢な諸君は、既に考える力が足りていないので、人とはナニかを今一度考えなおす時間を作ると良いだろう。
しかし大層不思議であるのは、現代における自殺率の増加である。何故なら現代の人間は過去にない問題解決に特化したツールを手に余るほど手にしているし、自由に利用もできるというのだから。少しは働き蟻を見習うべきであり、また反面教師にするべきでもある。
結論から申し上げると、自死を選ぶ者は道徳の教養が足りていないと言えよう。
聡明な読者ならここで読むのを止めるだろうから、ここで文章を終わりとする。
物足りない時間があると言うのなら、考える葦になってみるのも悪くはないと言っておこう。
終生 返歌 @Henkaaaaaaa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます