春嵐の章

①秘密の話



 …一瞬の浮遊感の後、虚無のようなネットの空間から雑多に構築物が乱立するオフィスエリアに飛んで、その一角に陣取る職場の中へと入る。通勤時間は1秒だけど、周辺の飲食店はゼロ…ランチタイムは離脱しないと餓死しちゃう環境って、そこだけは原始時代より酷いな。



 病院に居るまま仕事に復帰した、って言えば何だかカッコいいけれど…実際はネットワークさえ繋がれば、何処で働こうと同じってだけ。仕事の奴隷だなぁ、ホント…。


 【 溜まった分の仕事を片付けようとか思わなくていいぞ? 】

 【 ご理解ありがとうございます 】


 出勤早々、上司から直々に釘を刺されたけれど、ハイハイと素直に従うようなら、体調なんか悪くする訳無いじゃん? 判ってないなぁ全く。どーせ何時かやらなきゃダメなんだから、復帰したらガンガンやるに決まってるでしょー。



 …あ、やっぱり席の配置が変わってる。仮想空間でも時間が経てば環境も変わるんだなぁ、まー、いっか。


 そう思いながら所定の位置につき、検索ボットを複数出して目的のサーチを始める。


 …犯罪履歴、就業記録、改竄の痕跡…違うな。じゃ、こっちなら…あー、やっぱり有った。海外のサーバーを経由しても、稼いだお金は必ず手元に引っ張っておかないと、不安になるのが当たり前だもんね。


 そうやって一人目の容疑者に目星を付け、芋蔓いもづる式に次々と仲間を割り出していく。


 …今は警察のサイバー課だけで犯人を探すなんて、少人数で非効率的な事はしない。私達みたいな外注のエージェントが束になって、数で一気に容疑者を洗い出す。一応、公安の下請けって立場だけど、うちの職場、結構な数のサイバー犯罪者を検挙してるんだよね。


 (…もう8時間も潜ってた。やっぱり時間の経過が早いなぁ)


 このまま作業を続けても良かったけれど、あんまり根詰めてやり過ぎると、また入院騒ぎになっちゃうか。この辺で一旦切り上げよっと。



 結局、それから二時間位仕事して、食事をしようかとベッドから身体を起こしかけた時、検索ボットがアラームを鳴らした。


 【 サーチエンジンにの入室記録が検出されました 】


 …えっ? あー、忘れてた! 前に仕込んでおいてゲームに没頭してたから…でも、入室記録って…まさか、チャットルーム!?


 【 今は時間あるかい? 】

 【 問題有りません。直ぐに伺います 】


 …まーたチビ扱いされるかなぁ、私…




 「…創意工夫も何も無くて、ごめんな」

 「いーえ! 気にしてませんから!!」


 前と同じアバターでヒゲさんの前に現れると、向こうもやっぱりヒゲ無しのヒゲさんのままだった。


 「で…まずはこれ。職場復帰おめでとう」

 「…えっ? あ、ありがとうございます!」


 そう言いながら差し出されたのは、ネット経由のギフトカードだった。うむぅ、律儀なお人じゃ…。


 「…でも、どうしたんです? 急に他人行儀な感じが…」


 別に怪しむ訳じゃないけど、口をついて出てきた言葉に、自分でもジワッと苦い思いがする。素直に流せばよかったかなぁ…。


 「…それは、キチンとお祝いしたかったからだよ。それに理由は他にあるから」

 「理由…ですか?」


 オウム返しで答えながら、遠回しな言い方に少しだけ心の中がざわつく。



 「…もう少し、混み入った話がしたいんだ。秘匿レベルの高い箱に行こう」


 …つ、遂に来たのかしら!?




 そう告げられて私とヒゲさんが移動したのは、プライバシー保護優先の商談エリアだった…ちっ、どーせ期待し過ぎた私が悪いんですよーだ。


 「さて、それでだが…先ず、キチンと話さなきゃならないって、前々から思ってたんだ」

 「…なんでしょう」


 ローテーブルを挟んで、向かい合わせで座ったヒゲさんが切り出したのは…


 「…俺、あのゲームのベータ版にテストプレイヤーとして参加していたんだ」


 …何だ、その事かぁ。


 「あっ、それなら私も同じですよ? たまたま見つけた募集でプレイして、5分でチュートリアル終わらせたんで」

 「…ごっ、5分!? マジでっ!!?」


 え~っ? そんなに驚く事だったの?


 「…5分で終わらせられたのかよ…」

 「ヒゲさんはどの位かかったんです?」




 「…ゲーム内で、一週間位…?」



 「…いっ、一週間んん~ッ!?」


 今度は私の方が驚く番だった。ヒゲさんってゲーマー系だと思ってたけど…中のヒトは案外ぶきっちょサンなのかな?


 「…一週間は…ちょっと、長過ぎると思うなぁ…」

 「そ、そうだったのか…ベータ版のプレイ時間って、結構バラつきが大きいなぁ」


 そう言って考え込むヒゲさんだったけど、まさかベータ版プレイヤーだって話だけで、ここまで気を遣った訳じゃないよね? だったらやっぱり…


 「…まあ、それはともかく、リアルで【這い寄りし影】について色々と調べてみたんだが…全く情報は無かった」


 …あー、そっちかぁ。


 「それなら私も調べましたよ。まあ、都市伝説として似たような話はありましたけど、実際に化け物を相手した話はゼロでしたね」


 ヒゲさんと話しながらモニター画面を起動して、共有モードにしながら検索結果を見る。


 「…やはり、ネットワーク内にしか出没していないのか」

 「う~ん、それも調べてみたんですが…あのゲーム以外で、バグがキャラクターとして好き勝手に動き回るみたいな事は見つからなかったです」


 ヒゲさんはそれを聞いて黙り込み、暫くしてから口を開いた。


 「…まだ、今は様子を見よう。下手に騒ぎ立てて運営側が対応したとしても、逆に事態が悪化しないとも限らない。相手を取り込んで自分のモノにするみたいな能力が有ったら、俺達以外が下手に接触しない方が得策かもしれんしな」

 「そうですね、判りました。じゃあ、そうします」

 「それと…まだこの事は外部に漏らさないようにしよう。ゲームの中に閉じ込めておいた方がまだ、手のつけようもありそうだしな」

 「判りました」


 うーん、結局、硬い話に終始しちゃったなぁ。


 「…そのうち、機会があったら本当のリアルで会えたらいいですね」


 ぼそっ、と呟いたら、ヒゲさんは暫く固まってたけれど、少しだけ悲しそうな顔に一瞬だけなってから、絞り出すみたいな声で答えた。


 「…ああ、そうだね。その時は宜しくな」





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