100 報い


『涼奈、あたしに嘘ついたの?』


 咎めるようなその言葉に、わたしは上手く答えを返せない。


『涼奈、そんなに進藤に誕生日祝って欲しかったんだ?』


 そんなわけない。


 進藤くんに誕生日を祝って欲しいなんてこれっぽっちも思ってない。


『じゃあ、なんであたしに嘘の誕生日を教えたの?6月なんて意味わかんないこと言って』


 言えるわけない。


 転生者なんて意味が分からないことをどう説明すればいい?


 どうしたら信用してくれるの?


『涼奈の好きなぬいぐるみって、進藤わかる?』


『ぬいぐるみ……?涼奈にそんな趣味あったか?部屋に何も置いてなかったよな?』


 凛莉ちゃんの目に動揺と悲哀が映り込む。


 ちがう、ちがうっ。


 それは雨月涼奈あまつきすずなで、雪月真白わたしじゃないのに。


『涼奈、それも嘘なの?』


『い、いや、嘘じゃないっ。本当だから』


 でも、もう遅い。


 積み重ねてきた嘘と誤解が入り交じって、真実が姿を隠す。


 凛莉ちゃんに映っているのは、嘘だらけの人間。


 深く沈んだその瞳は、わたしを見ることをやめてしまう。


『凛莉ちゃんっ、待ってよ』


 去ろうとする凛莉ちゃんの後を追って、わたしは手首を掴んだ。


『放して』


 その手は振り払われる。


 初めて凛莉ちゃんに拒否された。


 痛かった。


 振り払われた手じゃなくて、胸が、心が痛かった。


 それでも、離れていく凛莉ちゃんを追う事をやめることは出来なかった。


 必死で追いすがる。







 やっとの思いで追いついて、凛莉ちゃんを振り向かせる。


 いつもならすぐに許してくれるのに。


『涼奈は、今まであたしに嘘偽りなく本当のことを話してくれてたって言える?』


 言えない。


 だってわたしそのものが嘘のような存在だから。


 これまでのことも、どう説明したらいいか分からない。


 雨月涼奈あまつきすずなを否定して、雪月真白ゆきつきましろを知ってもらう。


 それはこんな状況になってからでは、あまりに遅すぎる。


『言ったよね、“あたしは涼奈の味方だから。何でも言ってね”“嘘、つかないでね”って……』


 その信頼があるからこそ、わたしは言えなかった。


 凛莉ちゃんの知る“雨月涼奈”を否定する。


 その先にある本当の“わたし”を知って、それでも好きでいてもらえる自信なんてなかった。


『人間だからね。ずっと本当のことばかり言うわけにもいかないのは分かるよ。でもさ……これはよく分かんないよ。そんな嘘つく意味わかんないよ』


 わたしだって分からない。


 こんなことを自ら望んでしたかったわけじゃない。


『あたし、しばらく涼奈と仲良くできないかも』


 わたしへの拒絶。


 いつも一緒にいてくれた凛莉ちゃんが、自らその手を放す。


 いやだ。


 痛い、苦しい、悲しい、寂しい、怖い。


 負の感情が渦巻いて、それから救い出してくれた凛莉ちゃんの手を握りたくなる。


「……うん」


 でも、気付いてしまう。


 わたしにはそんなことを願う権利はない。


 出会った時から、わたしは何度こうやって凛莉ちゃんを拒絶してきた?


 その度に、凛莉ちゃんは嫌な顔一つせずわたしに寄り添ってくれた。


 わたしは何度この痛みを与え、無自覚に過ごしてきたんだろう。


 そんなことにやっと気付くだなんて、本当にわたしは許し難い。



        ◇◇◇



 翌日の朝から、一人。


 スマホには“しばらく別々で登校しよう”と凛莉ちゃんからのメッセージが送られていた。


 一行だけの簡潔で淡白な文章。


 いつも絵文字に顔文字にスタンプも送ってくれるのに。


 たったこれだけで、凛莉ちゃんと開いてしまった距離が現実を突きつけられる。


 行きたくない。


 一人で学校になんて行きたくない。


 孤独を、堪えきれる自信がない。


 それでも、学校に行けば何かが変わるんじゃないか。


 そう信じて、鉛のような体を動かした。







「……え」


 そんな淡い期待は、すぐに打ち消される。


 凛莉ちゃんはブラウスのボタンを開け、スカートはまた短くなっていた。


 首元にネックレスはなく、足を噛んだ跡も消えている。


 それはわたしが凛莉ちゃんを縛るもので、凛莉ちゃんがわたしのモノであるという証明だった。


 そのどれも捨てたということは、わたしの跡を残したくないってことだ。


 わたしを捨てたということだ。


 愕然としたまま、一人席につく。


 喧噪に包まれた教室で、一人でずっと黙っているのは久しぶりだった。







 昼休み。


「あれ凛莉りり、今日は雨月さんとご飯食べないの?」


 かえでさんの声が聞こえてきた。


「ああ……うん。久しぶりに皆と食べたいなって」


 凛莉ちゃんは何でもないことのように、また友達と溶け込んでいく。


 大丈夫、かつてのわたしに元に戻っただけ。


 きっとすぐに慣れる。


「……あ」


 そう言えば、お昼ご飯を用意していない。


 いつも凛莉ちゃんが用意してくれるから忘れていた。


 大丈夫だと言い聞かせた途端……これだ。


 いきなりエラーが起きている。


 別にお腹は空いていないけれど、教室にいるのは落ち着かない。


 お弁当はないんだし、購買に何かを買いに行こう。


 意味もなく自分に言い聞かせ、席を立つ。


 凛莉ちゃんたちの後ろを通り過ぎる。


 声は聞こえるけど、目は向けられない。


 もし凛莉ちゃんと目が合って反らされたら。


 わたしに対する興味なんて失っていて、目線すら向けてくれなかったら。


 それを知ってしまうのが怖い。


 逃げるように教室を後にする。







 放課後。


 わたしは一人教室に残っていた。


 先に帰る勇気がなかったから。


 ……いや、本当はちょっとだけ期待していたんだ。


 もしかしたら、凛莉ちゃんの方から声を掛けてくれるんじゃないかって。


 許してくれるんじゃないかって。


 でも、そんなことはなくて。


 凛莉ちゃんは橘さんたちと学校を後にした。


 当たり前のこと。


 いつまでも希望に縋っている能天気なわたしがおかしいんだ。


 いつの日だったか、こんな夕暮れの日に落ち込んでいるわたしの頭を凛莉ちゃんは撫でてくれた。


 もうそんなことはしてくれない。


 諦めて、教室から出る。







 階段を下りる。


 その踊り場は凛莉ちゃんと初めて頬にキスした場所。


 玄関に向かう。


 その壁は凛莉ちゃんがもたれて、わたしを待ってくれていた場所。


 公園を横切る。


 そこは凛莉ちゃんと誕生日を祝う約束をして、初めて深いキスをした場所。


 住宅街の隅。


 そこは凛莉ちゃんがわたしの過去に嫉妬して、責められるようなキスをしてきた場所。


 繁華街。


 そこは凛莉ちゃんが――。


 視界がぼやけ始める。

 

「どこ……に行っても、いるじゃんかぁ……」


 溺れていく景色と差し込んでくる夕日が眩しくて、世界が崩れていく。


 凛莉ちゃんはいない。


 そのはずなのに、どこを見ても凛莉ちゃんがいる。


 意識の外に追い出そうとしても、刻み込まれた記憶の全てが凛莉ちゃんを取り戻そうと訴えかけてくる。


 このまま凛莉ちゃんの記憶に当てられたら、わたしは思い出の中で溺死する。


 伝っていく何かを拭って、わたしは視界の全てを無視して家に帰る。


 わたしだけで構成されている世界に戻れば、きっとまだ我慢できる。


 駆り立てられるように階段を上って、自分の部屋に逃げた。


「……ああっ」


 ダメだ。


 ベッドに横たわる、二組のぺんぎんのぬいぐるみ。


 凛莉ちゃんが雪月真白わたしの誕生日に贈ってくれたプレゼント。


 どこにいたって、凛莉ちゃんの跡がある。


 わたしの記憶から消し去ることを許してくれない。


「……うぐっ、ううっ……」


 膝から崩れ落ちて、ぬいぐるみを抱きしめた。


 堪えていた何かが決壊し、涙が零れていく。


 胸が締め付けられ、嗚咽が止まらない。


 一人は平気なはずだったのに。


 誰とも関わりたくなかったはずなのに。


 凛莉ちゃんがいない。


 それだけで世界はこんなにも色を失う。


 知りたくなかった。


 こんなに痛くて、苦しくて、悲しくて、寂しくて、怖いのなら。


 わたしはずっと独りでいるべきだったんだ。

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