94 隠し事


「――ふふっ」


  学校に着いて廊下を歩いていると、隣の凛莉りりちゃんが上機嫌に鼻歌を歌っている。


 わたしは今日これから始まる授業にテンションを落としているのに、何がそんなに楽しいのだろうか。


「機嫌良さそうだね」


「うん、いいよ。これのおかげでね」


 凛莉ちゃんが胸元のネックレスチェーンに指を引っ掛けて、見せてくる。


 喜んでくれるのは素直にわたしも嬉しいけど、さっき見たからもういいんじゃないかとは思ってしまう。


「しまいな」


「つめたっ」


「そんな胸元、強調しないで」


「またそれー?」


 凛莉ちゃんはげんなりした表情になる。


 やはりわたしであっても見た目の話を言われるのは嫌いらしい。


「あんまりそうやって見せびらかしてると良くないことに……」


日奈星ひなせさん、それは何ですか?」


 ああ、言わんこっちゃない。


 対面に睨みつけるような視線で立っていたのは金織かなおりさんだった。


「げっ……朝から金織とか……」


「貴女にそんな顔をされる覚えはありません。それより首につけているその装飾物は何ですか?」


 凛莉ちゃんは咄嗟に体を捻って首元を隠す。


 もう遅いと思うけど。


「なっ、なんでもないし」


「学校内で貴金属の装飾品は禁止されています」


 金織さんが険しい表情で凛莉ちゃんに近づき、首元に手を伸ばす。


「なによあんた、気安く触ろうとしないでっ」


 その手を凛莉ちゃんは払いのける。


「没収します。早くお渡しなさい」


 凛莉ちゃんはそれでも金織さんから体を隠し、首元も自分で押さえている。


 見せない、渡さないという姿勢を崩さない。


「なんであんたに渡さなきゃいけないのよ」


「私から担任の先生に渡しておきます」


「なら、あたしが渡すからあんたは帰っていいわよ」


「それを信じるとでも?」


 金織さんの視線は鋭くなる一方だし、言い分だって向こうの方が正しい。


 凛莉ちゃんに反論できる余地なんてないと思うんだけど……。


「……はあ。はいはい、分かりました。渡せばいいんでしょ」


 凛莉ちゃんは首元を押さえている逆の手を放ると、キラキラしたものが飛んでいく。


「そっ、そんな投げるなんてはしたないっ」


 金織さんは慌ててそれをキャッチする。


 チャリッという音がした。


「それでいいんでしょ、あたしもう行くから」


 凛莉ちゃんは金織さんがキャッチした横をすり抜ける。


「……ちょ、ちょっと待ってよ凛莉ちゃん」


 金織さんも止めはしなかったら、やっぱり放り投げられたのはネックレスなんだと思う。


 ……でも、正直わたしは複雑だ。


「全くあの人は……いつになったら校則を守るのでしょうか」


 悪態をつく金織さんに頭を下げて、わたしは凛莉ちゃんを追った。







「凛莉ちゃん」


 颯爽と歩いて行く凛莉ちゃんを捕まえる。


 その気になったら足がいくらでも速くなる彼女の後を追うのは大変だ。


「あっ、涼奈すずな。やつはもう来てないでしょうね」


 キョロキョロと見回す凛莉ちゃん。


 金織さんをよっぽど警戒しているらしい。


「来てないよ、それよりさっきのどうするのさ」


 よりにもよって、わたしのプレゼントを没収されるとか最悪だ。


「あー、大丈夫だよ。アレはいずれ返ってくるし」


 確かに没収されたとしても処分されるわけじゃない。


 いずれは戻ってくるだろう。


 でも、問題はそこじゃない。


「だけどあんな扱いしなくても良くない?」


 思ったよりすぐ諦めるし。


 ぽいっと投げるし。


 返ってくるからいいとか言うし。


 大事にしてくれるのかと思ったけど、想像以上に雑な扱いをされてショックだ。


 何も家宝のように丁重に扱えとは思ってないけど、だからと言ってテキトーな扱いをして欲しいわけでもない。


「まあ、でもアレ。あたしのだし」


「……」


 カッチーンときた。


 そうだよ、プレゼントだから確かに凛莉ちゃんのだよ。


 でもプレゼントってそういうことじゃなくない?


 そう思っててもいいけど、口とか態度には出して欲しくないんですけど。


 頭が一気に沸騰するような熱を持ち始める。


「あっそ」


 わたしはムカついて凛莉ちゃんの横を追い抜く。


 もういい、これ以上考えたら怒りで悪口とか言っちゃいそうだ。


 教室の席に着いて、冷静になろう。


「涼奈?どうしたの急に」


 わたしの後を凛莉ちゃんが追いかけてくる。


 どんなつもりで着いて来てるんだ、この人。


「どうもしてない」


「急に怒ってるじゃん」


 そりゃ怒るでしょ、誰でも。


「凛莉ちゃんが薄情者だって分かったから、もう口聞きたくない」


 黙ってようと思ってたけど、凛莉ちゃんに聞かれたら口が動く。


 荒ぶった感情をそのまま伝えてしまう。


「なんでさ」


 それが分からないあたりが薄情者なんだ。


 もっと感じてくれる人だと思ってたのに。


「ちょっと、待ちなって」


 後ろから手を握られる。


 凛莉ちゃんの方が足は速いし力も強いから、本気で追われたらわたしが逃げきるととは難しい。


 でもこれはそういうことが問題なのではない。


「涼奈、ちゃんとあたしの話し聞いてる?」


 ちゃんと聞いた上で判断したのに、なんて言いぐさだ。


「もう分かった。凛莉ちゃんはわたしのプレゼントを諦めるし投げるし放置する人なんでしょ」


「いや、そうじゃなくて……」


 “ずっと涼奈に見守られてる感じがするでしょ?”


 とか言って着けてた人が、次の瞬間にはポイだ。


 そんな人の言葉は信じられない。


「困ったらわたしのこともポイッて捨てるんでしょ。いいよ、じゃあもう放っといてよ」


 わたしもネックレスのように投げたらいいんだ。


 いずれ返ってくるとか思ってるんでしょ?


 そんな簡単なものじゃないってこと分からせてやる。


「ああ、もう。涼奈はすぐ暴走するねー」


 ぐいっと手首を強く引っ張られたと思ったら、凛莉ちゃんの胸に顔を押し付けられる。


「ちょっと、やめてよっ」


「どうどう、落ち着きなよ涼奈」


「馬扱いするなっ」


「興奮した涼奈は動物みたいなもんだよ」


 どういう意味だそれっ。


 こんな薄情な人にそんな扱いされたくない。


「ほら、見なって」


 押さえつけられていた頭を少し放され、首元に目が行く。


 そこにはわたしのプレゼントしたネックレスが輝いていた。


「あれ……?」


「あたしさっきからずっと首元は隠したままだったでしょ」


 確かに、首元を押さえて体も捻じって金織さんに見せないようにしてたけど。


「……じゃあ、金織さんに渡したのは?」


「あたしの私物。こんなこともあろうかとバッグに忍ばせておいた物を咄嗟に投げたの」


 ……なんだそれ。


「つまり金織さんには別のネックレスを渡したの?」


「そう。だからバレない内にさっさと退散したかったの。あたしこういうのよくあるから対策済みなのね。まさか金織に没収されるとは思ってなかったけど」


 つまり、凛莉ちゃんの私物だからすぐ諦めたし、投げたし、放っといても良かったってことか。


「……」


「ね、安心して。涼奈から貰った物なんだからちゃんと大事にするよ」


 よしよし、と頭を撫でてくる。


「子供扱いするなっ」


「いや子供じゃん。すぐ怒って、話し聞かなくなるし」


 ニヤニヤしている。


 完全にわたしのことを下に見ている。


「いいから、もうそれ外すか隠すかしなよ。また没収されたらどうするのさ」


「ああ……うん。はい」


 凛莉ちゃんは渋々、ボタンを一つ閉めた。


 よく見れば分かるが、パッと見では分からなくなった。


「これでいいんでしょ?」


「あ、うん……」


 さっきまであんなに嫌がっていたのに。


 急に言う事を聞かれるのも困惑する。


「……いいの?」


「涼奈はあたしのことになるとすぐ怒るからね。でもかわいいから許してあげる」


 そうしてまた頭を撫でてくる。


「だから、子供扱いしないでっ」


 わたしはその手を払う。


「そういうのが子供なんだけどねー。ま、あたしにだけ見せる涼奈だから悪い気はしないけど」


 ……むむ。


 一方的に子供扱いされるのは癪だけど。


 わたしのプレゼントによって凛莉ちゃんの無防備な胸元が隠れたから、良しとしよう。

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