92 残ったもの


「すずなー」


 凛莉りりちゃんがわたしの名前を呼ぶ。


「……」


涼奈すずなってばー」


「……」


 無視だ。


 ていうかもう、どんな顔して凛莉ちゃんを見ればいいか分からない。


 こんなことをした後は、どうすればいいか分からないから正解があるのなら教えて欲しい。


 だけど、それが凛莉ちゃんと軽快なトークを弾ませることなら、絶対出来ないから別の回答を要求する。


「怒ってるのー?」


 怒ってはいない。


 何も怒るようなことはされていない。


 ただ、羞恥心がわたしの動きを封じているだけ。


 とにかく、わたしはさっさと服を着る。


 いつまでも一人だけ裸なんて耐えられない。


「……まあ、ならいいや。えっと」


 背を向けて服を着ていると、凛莉ちゃんが動く音が聞こえる。


 わたしのことは諦めて、何か違うことを始めようとしている……?


 なんかそれはそれで納得いかなくて、ちらりと目線だけ凛莉ちゃんに向ける。


「……っ!?」


 凛莉ちゃんは自身の右手の指をじっと眺めていた。


 その指先はさっきまでわたしに触れていたもので、つまりその、奥まで触れていたから濡れているわけで……。


 とにかく、そんなものを睨んでいる凛莉ちゃんの意味が分からない。


「よし」


 意を決したような一呼吸。


 すると凛莉ちゃんは指先を口元まで運んで、舌先でそれを迎え入れようとしていて……!?


「バカなのッ!?」


「おおっ」


 寸前の所で腕を掴み、阻止する。


「なにしてんのっ」


「え……?ああ、ちょっと、えへへ」


 なんか恥ずかしそうに照れている。


 いや、違うと思う。


 こういう時の空気ってよく分からないけど、その反応は普通ではないと思う。


「舐めようとしてたよねっ」


「……うふふ」


 凛莉ちゃんは恥ずかしそうに笑うばかりで、否定はしない。


 正気の沙汰じゃないと思う。


「なんでそんなことしようとしたのっ」


「……勿体ないかな、って」


 なにがっ。


「いいから拭いて」


 わたしはティッシュを凛莉ちゃんに渡す。


「ええー」


「ええ、じゃないっ」


 凛莉ちゃんに指を拭かせる。


「手も洗ってきて」


「なんで?」


 目には見えないし乾いたかもしれないけど、液体なんだから浸透したりとか成分とかが残っている気がする。


 感覚的な話しだ。


「なんていうか、その……残るでしょっ」


「残ってもよくない?」


「汚いっ」


「汚くないよ?」


 この人、頭どうなってるんだ。


「いいからっ」


「え、あ、涼奈ってば」


 わたしは凛莉ちゃんの手を引いて洗面台まで連れて行く。


 そのまま水道を流して、ハンドソープもつけさせる。


「はい、ちゃんと丁寧に洗ってよ」


「……何もここまでしなくても。涼奈はばい菌じゃないんだよ?」


「似たようなもんでしょ」


 少なくとも衛生的ではないはずだ。


 凛莉ちゃんは渋々といった様子で手を洗っていく。


 これでようやくわたしも気分的に落ち着いてきた。


「でもさあ、逆だったらちょっとショックかも」


「逆?」


「うん、その……ほら、逆の立場で、涼奈についたとして……」


 最初は凛莉ちゃんが微妙にモゴモゴしていて意図が汲み取れなかったが、後半ですぐに理解する。


「バカじゃないのっ」


 ほんと、ずっと何言ってるんだこの人。


「ばい菌扱いされるのかなぁ」


 凛莉ちゃんは手を洗い終わって、タオルで拭く。


 きっと、逆の立場なら汚いとは思わない。


 わたしのが凛莉ちゃんについたから過剰に反応しただけのこと。


 それが分かっていない凛莉ちゃんはそんな心配をしているけど、説明する気もない。


 これ以上、こんな変な会話を続けていると頭が破裂してしまうと思うから。


「いいから、もどるよ」


 明確な返事を言葉にしない代わりに、凛莉ちゃんの手を握って部屋に連れて行く。


「……涼奈、どうだった?」


 なのに、凛莉ちゃんはまた変な会話を続けるつもりだ。


「どうって、なんのこと」


「さっきの。良かった?」


「……そんなこと、なんで聞きたいの」


「それなら嬉しいなって。あたしも初めてだから自信ないし、逆に痛くしてたら嫌だし」


 あんまり、さっきのことを殊更詳細に話したい気分じゃないし。


 恥ずかしいから記憶から抹消したいくらいだけど。


 それはわたしの恰好とか反応のことが気になるのであって、凛莉ちゃんにされたことだけを考えるのなら……。


「……最後のわたし。見たんでしょ」


「うん見た」


 即答かよ。


 それはそれで、血が上って顔が急激に暑くなってくる。


「あのまんまだよ。痛くないし、嫌でもない」


「……そっか、うん。それならよかったよ」


 凛莉ちゃんの声が満足そうな優しいものになっている。


「いい誕生日だ」


 そう言ってくれるのは嬉しいけれど、でも変な話しだとも思う。


 誕生日なのに、されるのがわたしの方だなんて。


 本当なら、それこそ立場が逆の方が誕生日っぽい気がする。


 だからいつか、わたしがしてあげたいとは思っている。


 でも、いつどんなタイミングでどんな表情でどんな触り方ですればいいのだろう。


 凛莉ちゃんのように上手に出来る気はしないし。


 でもしないってのも違うと思う。


 わたしだけされたままなんて、そんな変な話はない。


 考えていると、なんだか緊張するし恥ずかしいしモヤモヤしてくる。


「涼奈っ」


「え、なに」


 凛莉ちゃんが後ろから抱き着いてくる。


「……重いんだけど」


「誰が太ったって?」


「そんなことは言ってない」


 頬ずりまでしてきて、とにかくベタベタとくっついてくる。


「これからもずっと一緒にお祝いしようね」


 なぜか確かめるようにそんなことを聞いて来る。


「……当たり前でしょ」


「離れたりしたらダメだからね?」


 むしろ、いまさらどうやって離れろというのだろう。


 凛莉ちゃんは耐えられるかもしれないけど、きっとわたしの方が耐えられない。


 そんな時が来たら、心細くて精神が壊れてしまう気がする。


 だって、想像しただけでこんなに胸が押し潰されそうになるんだから。


「離れたりしないよ」


「えへへ……」


 そのまま凛莉ちゃんは頬に軽いキスをしてくる。


 今日のキスだけで、今までのキスの回数を超えてしまった気がする。


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