43 同じ気持ちになればいい


「ねえ、涼奈すずな待ってってばー」


 背後から凛莉りりちゃんの声が聞こえてくる。


 わたしが先を歩いて、凛莉ちゃんがその後をついてくるからだ。


「待たない」


「なんでさー」


 そんなの決まっている。


 いきなり首なんかを舐めるからだ。


 そんなことをされて、どんな顔をして凛莉ちゃんと向き合えばいいと言うんだ。


「自分の胸に手を当てて考えてみたら?」


「照れてるからでしょ?」


 即答だった。


 絶対、胸に手を当ててすらいない。


 “涼奈の考えなんてお見通しよ?”感がすごい。


「……ちがう、照れてない」


「返事に間があったけど?」


「舐められて照れる人なんていない」


 それじゃあ、まるで舐められて喜んでいるみたいじゃないか。


 普通は舐められたら不快に思う。


 それが正しい反応だ。


 だからわたしは怒っているんだ。


 それ以外に何がある。


「今、目の前にいる気がするんですけど」


「いない、それは変態の凛莉ちゃんだけ」


 頬にキスくらいなら、まだかろうじて説明がつく。


 でも首を舐めるのはちょっと意味がちがうと思う。


 明らかに普通ではない行為だ。


「舐められて照れてる涼奈の方が変態だと思うんだけど」


 こ、この人は……。


 わたしは否定しているのに、どうして照れていると思い込んで疑わないのだろう。


 それに変態は凛莉ちゃんの方なのに、わたしに押し付けるなんてどうかしてる。


「わたしは変態じゃありません」


 足を止めて、振り返る。


 ほんとはこのまま一人で帰りたかったけど、このまま逃げると変態扱いをされそうなので、ちゃんと明言しておく。


 なのに、凛莉ちゃんはニヤニヤした笑みを浮かべていた。


「でもさ、涼奈やめてとも言わなかったし、驚いてはいたけど嫌そうな感じはしてなかったよ?」


「……そ、そりゃ凛莉ちゃんにされて嫌とは言わないでしょ」


「ふふっ、それってもう受け入れたってことだよね?」


「でも、照れたりとかはしてないから。だからわたしは変態じゃない、舐める凛莉ちゃんの方が変態」


 うん、正しい理屈だ。


 わたしは変なことは言っていない。


 けれど、凛莉ちゃんの余裕の笑みは崩れない。


「後さぁ、忘れてると思うけどこれ罰ゲームだからね?多少はイヤなことされて当たり前だから」


「な、なにそれ……」


 なんてずるい言い回しだ。


 罰ゲームをすると言い出したのも、内容も考えたのは凛莉ちゃんなのに。


 凛莉ちゃんは罰ゲームを盾に自分の行動を正当化しようとしている。


「だからあたしは仕方ないんだな、これが」


「凛莉ちゃんずるい、そんなの理屈になってない」


「照れた涼奈がいけないんだよ」


「だから照れてない、あんなことされたら誰だってああなる。凛莉ちゃんはされてないから、わたしの気持ちが分からないんだ」


 そうだ。


 突然あんなことをされたら誰だって困惑する。


 されたことがない凛莉ちゃんにはそれが分からないんだ。


「ふーん、そうなんだ」


「そうだよ、だから凛莉ちゃんが分かるわけないの」


 被害者にしか、被害者の気持ちは分からない。


 当たり前のことだ。


 加害者が語っても、それは妄想の域を出ない。


「じゃあ、涼奈が教えてよ」


「……はい?」


「だからあたしに同じようにしてみたら?それであたしも涼奈みたいな反応になったら変態じゃないって認めてあげるよ」


「……い、意味わかんないこと言わないでよ」


 この人、自分が何を言っているのか分かっているんだろうか。


「じゃあ、やっぱり涼奈が変態ね」


「ちょ、ちょっと待ってよ。なんでそうなるのっ」


「だって確かめようがないもん。それが分かるアイディアも出したのに涼奈がそれを拒否するんだから、変態と言われても仕方ないよね?」


 どこまでわたしを変態扱いしたいんだこの人は……。


 どうせ、わたしがそんなことをしないと高を括っているんだ。


 ま、負けないんだからね……。


「いいよ、教えてあげる」


「えー?無理しなくていいんだよ?大人しく涼奈が自分のことを変態って認めればいいんだから」


「無理してないっ、頭のおかしい凛莉ちゃんにちゃんとした事実を教えてあげる」


 そうだ、これは常識知らずな凛莉ちゃんへの教育だ。


 友達がおかしなことをしている時には、それを正してあげるのも友達としての役割のはず。


 だからこれは必要な行為なんだ。


「いいから、ほらっ」


「へえ、本気なんだ。じゃあ、はいどーぞ」


 凛莉ちゃんは目を閉じる。


 なんでこんなにすんなり受け入れるんだこの人……。


 何にせよ、わたしはやらねばならない。


 さっきの状態を再現するため、わたしも物音を立てずに近づく。


 凛莉ちゃんの白い首筋に、顔を近づけていく。


 舌先を出してその肌に触れようとした所で、止める。


 ……待って、全く同じ状況にしたのでは本当の再現にはならないんじゃないか?


 わたしは何をされるか全く分からない状態で、いきなり首筋を舐められたのだ。


 でも凛莉ちゃんはそれを知っている。


 それでは本当の意味でわたしの気持ちを知ったことにはならない。


 だから、違う部位にするべきだ。


 なら、どこにするのか?


 頬はもうキスしたから、意外性はない。


 おでこはありきたり。


 唇は……いやいや、それはないっ。


 自然と視線は下に下がっていく。


 首より下、はだけている胸元。


 その鎖骨が見えていた。


 ……ここだと思う。


 意外性があって、なおかつ無理のない範囲。


 ここなら、凛莉ちゃんもわたしの気持ちを理解できるはずだ。


 胸元に顔を近づけ、シャツの襟もとが頬に触れる。


 わたしはそれに構わず、もう一度舌先を出す。


 鎖骨の内側に舌先が触れた。


「え、あっ……?」


 凛莉ちゃんの意外そうな声が漏れる。


 予想通りだ、わたしはそれに構わず続ける。


 皮膚と肉のやわらかさと、骨の固さが舌を通して伝わってくる。


 そのまま、下から上へと舌を這わせる。


 鎖骨をなぞるようにして舐めていくと、凛莉ちゃんの甘い匂いが鼻孔を突いた。


 その香りの中に、少しだけ汗の匂いも混じっている。


「んっ、んんっ……」


 また凛莉ちゃんの声が漏れる。


 くすぐったいのか、その声は驚きとはまた違った感情を孕んでいるように聞こえる。


 どうだ、これでわたしの気持ちも分かっただろう。


 わたしはそのまま舌先を伸ばし続け――


「ちょっ、ちょっとストップ涼奈!ど、どこ舐めてんの、そこ首じゃないんですけどっ」


 慌てたような口ぶりで凛莉ちゃんがストップをかける。

 

 満足したわたしはそのまま顔を離した。


「びっくりしたでしょ?」


「あ、当たり前でしょ!?なんで首じゃないのっ」


「だってどこか分かってたら、本当の意味でわたしの気持ち理解できないじゃん」


「なっ、そういう理由……?」


 ふふっ、これには凛莉ちゃんも相当驚いたような。


 その証拠に凛莉ちゃんは顔を赤らめている。


 これでわたしの気持ちも少しは理解できただろう。


「ね、分かったでしょ。誰だってこんなことされたら、そういう態度になるんだよ。これでわたしは変態じゃないって認めてくれるよね?」


「いや、涼奈の方が絶対変態だからっ。今、確定したからっ」


 凛莉ちゃんは襟元のシャツを掴んでくしゃっと寄せる。


 自分の身を守るような仕草で、普段から胸元をさらけ出している凛莉ちゃんには珍しい所作だ。


「……なんで?凛莉ちゃん、論破されたからってそんな暴論は良くないよ」


「いきなり鎖骨舐めるとかレベル高すぎだからっ!あたし、さすがにそんな高度なのは予想してなかったから!」


「え、えー……」


 顔を赤らめてわーわー叫ぶ凛莉ちゃんは可愛らしかったが、どうやらわたしは変なことをしてしまったらしい。


 慣れないことはしない方がいいみたいだ。

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