39 待つのも大事


 朝、わたしはいつもよりだいぶ早く登校する。


 足を運んだのは無人の体育館だ。


 この星藍学園せいらんがくえんは進学校で、部活動にはそこまで力を入れていない。


 ゆえに朝の体育館は無人である。


 凛莉りりちゃんには“今日朝早く出るから一緒に行けない”と、ついさっきメッセージを送っておいた。


 事前に言ってしまうと、“じゃあ、あたしもそれに合わせるね”とか言いかねないからだ。


 体の芯は完全に寝ぼけたまま、片手にはバレボールを持つ。


 そう、朝練に来たのだ。


「陰キャが朝から体育館とか、キャラブレすぎじゃん」


 思わず自嘲してしまう。


 それでも何がここまでわたしを駆り立てるのか?


 呆れる事に昨日の光景が頭から離れないのだ。


 凛莉ちゃんと橘さんが仲良さそうにバレーボールをしている姿がずっとフラッシュバックする。


 これはきっと、上手な凛莉ちゃんと下手なわたしが友達としているのが恥ずかしいと感じているからだ。


 だから、このままバレーボールを下手であることを許してはいけない気がした。


 きっと上手になればこのモヤモヤも解消されるはず。


 だけど、練習をしなければ上達することはない。


 かと言って空振りの連続を人に見られたくはない。


 そんな思いが導き出した答えが、朝練だった。


 ――ダンダンッ


 バレーボールを床に叩きつけると、跳ね返って手元に戻ってくる。


 うん、昨日よりはボールとの相性が良くなっている気がする。


 そのままバレーボールを宙に上げ、同時に腕を振る。


 ――スカッ……ダンダン……


 空振りの音と、ボールが床を転がる音が朝の体育館に木霊した。


「……うーん。腕を振るの早すぎるのかな」


 なら、もっとゆっくりでもいいのかもしれない。


 再びボールを上げる。


 ――ダンダン……スカッ……


 今度は先にボールが床に転がり、その後に腕を振る音が聞こえた。


「次は遅すぎか……」


 どうもタイミングが合わない。


 ボールってこんなに言う事聞いてくれないものなのか。


 見た目は丸くて敵を作らなさそうなのに、実際は全然可愛げがない。


「あの……雨月あまつきさん、朝から何をしているのでしょうか?」


 そんな朝の張り詰めた空気にも負けないくらい凛とした声が通る。


 振り返ると金織かなおりさんが訝しげにわたしを見ていた。


 まさか、観客がいたとは。


「見ての通りバレー、ですけど」


「それは失礼しました。私の知っているバレーとは随分とちがう動きをしていましたので……」


 分かっていて嫌味を言われているのか、素で言っているのか判断がしにくい。


「……そんな、変でした?」


「不可思議ではありましたね」


「……そう、ですか」


 ずーん。


 と、気が重くなる。


 分かってはいたけど、面と向かって言われると傷つく。


 何より、人に見られたくないから朝早く練習しているのに、見られたのでは意味ががない。


「そういう金織さんの方こそ、こんな朝早くから何してるんですか」


「私はいつもこの時間に登校しています。そこで普段は無人の体育館から物音が聞こえてきたので何事かと心配になって見に来たのです」


 ……さすがは生徒会長。


 優等生過ぎて何も言えない。


「そうですか。なら大丈夫です、この通りバレーボールを練習してるだけですので」


 用がないなら帰って頂きたい。


 わたしはそんな不可思議な動きを見られたくないんだ。


「バレーボールを、お一人で練習されているのですか?」


「そうですけど」


「誰かと一緒に練習された方がいいのでは?」


 ……それをしたくないから一人なの分からないのかな。


「いいんです、一人でやるんです」


「バレーボールは集団スポーツですから、一人の練習は効率が悪いと思いますが」


 金織さんは何だかんだ言って離れようとしない。


 なにしたいんだ、この人。


 もっと言わないと分かんないのかな。


「わたしは下手だから見られたくないんです。だから一人で練習して上手になってから皆の前に出るんです」


 こう言えば分かってくれるだろう。


 言うのは恥ずかしいけど、もっと恥ずかしい場面を見られたばっかりだから感覚が麻痺している。


「なるほど。そういうことでしたか」


 納得したような口ぶりなのに、金織さんはそれでも離れる素振りを見せない。


 それどころか、わたしの足元に合ったバレーボールを拾い上げる。


「それでしたら雨月さんは恥を感じる箇所を誤っていますよ」


「え?」


「貴女は自身を高めようと努力している、その姿勢は賞賛に値します。もっと自信を持つべきかと」


 そうして金織さんは対面に立つと、ボールを打つ構えをとった。


「付き合いますよ、その練習に」


「え、いや、そんな悪いですよ」


「恥をかく、というのでしたら既に私には見られたのです。問題はないはずですが?」


「……それは、そうですけど」


 だからと言って、忙しい生徒会長の時間を奪うのは気が引ける。


「ほら、行きますよ」


 ――トンッ


 だが金織さんは気にせずトスしてくる。


 ボールは放物線を描いてわたしの元へ。


「え、あ、このっ……えいっ」


 ――スカッ……コロコロ……


 結局、同じことの繰り返しだ。


「雨月さん、アドバイスをさせて頂いても?」


「……どうぞ」


「なぜ、全部スパイクで打ち返そうとするのですか?」


「……ん?」


 この人、なに言ってるんですか?


「いえ、来たボールを全て腕を振るって打ち返そうとするから難しくなっているのかと」


「金織さん、お言葉を返すようですけど打ち返さなきゃバレーにならないですよ?」


「……いえ、レシーブならある程度待っていれば返せます」


 すると金織さんは腕を伸ばして両手を組む。


 “どうぞ”と言われたので、わたしはボールを投げる。


 金織さんは落下点に合わせて、構えていた手元にボールを受ける。


 ――タンッ


 ボールは綺麗な放物線を描いて、わたしの元に帰ってくる。


 なるほど、これがラリーというやつかっ!


 わたしは全力で腕を振る。


「えいっ」


 ――スカッ……コロコロ……


「……雨月さん」


「……はい」


「私の話聞いてました?」


「聞いてましたけど」


「じゃあ、どうしてまたスパイク打とうとするんですかっ」


「……クセ?」


「まだそこまでお上手でもないのにっ」


 ツラい、ツラい。


 下手な人だってクセくらいありますよっ。


「いや、でも分かりました。レシーブを覚えればいいんですね」


「え、ええ……」


 そうしている内に、始業の時間が近づいている。


 学校内から人の気配がし始めていた。


 これくらいが潮時だろう。

 

「ありがとうございました。金織さんは運動も得意なんですね」


「私、レシーブしただけですが……」


 金織さんは謙遜している。


 そんなところも器の大きさを感じさせる。


「わたしに比べれば神です」


「……いえ、ですが誰だって最初は下手なのです。雨月さんは気にされ過ぎですよ」


 そういうこと言う人いるけど、センスがある人は最初から上手だったりする。


「じゃあ、金織さんも最初は苦手だったんですか?」


「ええ、私は運動があまり得意ではありませんから。最初は雨月さんと変わりません、練習しただけのことです」


「へえ……」


 金織さんでもそんなことあるんだ。


「ですから、必要以上に周りの目を気にして、弱みを見せるのを恐れないことですね。そうすれば今日のように上達するためのコツは誰かが教えてくれます」


 ……なるほど。


 同い年とは思えない含蓄のある大人な心構えだ。


 だけど、その言葉にはちょっとだけ違和感があった。


「なら、金織さんも、もうちょっと気を抜いたらいいんじゃないですか?」


「……え?」


「いえ、金織さん才色兼備で完璧人間なイメージですけど。でも本当は運動とか苦手なものあるんですよね?」


「ええ、まあ……」


「でも生徒会長としての理想を求めて、何でも頑張ろうとしてません?」


「……それは、ないとは言えませんが」


「じゃあ、矛盾してますよ。それってさっきわたしに言ったことと同じじゃないですか」



『必要以上に周りの目を気にして、弱みを見せるのを恐れないことですね。そうすれば今日のように上達するためのコツは誰かが教えてくれます』



 この言葉は生徒会長としての金織さんの在り方にも通ずるはずだ。


「ですが、皆さんは私にそのような生徒会長としての理想像を求めていると感じていました」


「あー……。ほんとブーメランですよ、それ。誰もそこまで気にしてませんって」


「……そう、なんでしょうか?」


「わたしはそう思いますけどね」


「……なるほど」


 “勉強になります”


 と、金織さんはしきりに頷いていた。


 わたしは言葉を返しただけなんだけどな。

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