37 形はないモノ
「
カフェで勉強を開始して一時間を過ぎた頃、
その頭からはきっと煙が出ている。
「凛莉ちゃんが教えてって言ったのに……」
「いや、こんなに長いこと集中すると思わないし」
「でもまだ一時間くらいだよ」
「授業だってそんな長いことやんないじゃん」
それはそうかもしれないけど……。
「勉強苦手なんだね」
そうは言っても、わたしだって勉強が出来るわけじゃないけど。
「好きではないよね。文章を読み続けるのがムリって言うか……」
「じゃあ次、数学にする?」
「数字ならいいって意味じゃないから」
「あ、そうなんだ……」
釘を刺された。
「休憩しよー、休憩」
凛莉ちゃんはテーブルに顎をつけたまま両手を伸ばしてパシパシとわたしの教科書を叩く。
その仕草が幼くて何だか可愛い。
「ま、そうだね。勉強ばっかりしても疲れるよね」
わたしも凛莉ちゃんに勉強を教えなきゃと思って、肩に力が入り過ぎていたかもしれない。
気付けばかなり真面目にやっていたので、意外に疲れていた。
ふう、と息を吐いてソファの背もたれに体を預ける。
「じゃあ、次は恋バナね」
「……なんですって?」
凛莉ちゃんはニヤニヤしている。
なんかすっごく楽しそうだ。
「だから恋バナ、普通するでしょ」
「……ふ、普通がわからないっ」
わたしにとって恋愛とは遠い世界の向こう側にあるものだ。
自分自身が主になって話すような話題じゃない。
「いやいや、何言ってんの。昔は
「……そうなんだけど」
そうなんだけど、そうじゃないんだよ。
それは
でもそんなこと言えるわけがないから、黙って頷くしかないのが歯痒い。
「それで、今は好きな人とかいないわけ?」
ジッと見つめてくる凛莉ちゃんの視線を直視できないから、目を逸らす。
「い、いるわけないじゃん」
わたしが主人公である
「ほんとにー?恥ずかしがることじゃないんだぞ」
いや、どう考えても恥ずかしい話でしょ。
「そういう凛莉ちゃんの方こそどうなのさ。そこまで言うんだから誰かいるの?」
苦し紛れに話を凛莉ちゃんに振る。
これで逃げ切れるとは思わないけど、このまま質問攻めもツラい。
「いるよ、好きな人」
凛莉ちゃんはあっさりと、当たり前のように口にした。
好きな人がいる、と。
「えっ……?」
いや、それは変じゃないか。
今の凛莉ちゃんは主人公である
そんな彼女が他の誰かを好きになるなんてこと、あるのだろうか?
「ま、マジ……?」
「マジ」
「だ、誰……?」
その問いに凛莉ちゃんは、ふふっと笑って紅茶をすする。
随分じれったい。
「知りたい?」
「知りたい」
あの
色んな意味で気になる。
「ひ・み・つ」
「え、ええ……」
思いっきりお預けされた。
これ、教えてくれる流れじゃないのか。
「だって涼奈が教えてくれないんだもん。あたしだけ言えるわけないじゃん」
「……まあ、そうかもしれないけど」
確かに、一方的に教えてなんて虫がいい話かもしれない。
「ふふっ、教えて欲しかったら涼奈も白状してよね」
そう言って凛莉ちゃんは最後まで教えてくれなかった。
「いやあー。結局あとは喋って終わっちゃったね」
カフェを出ると、凛莉ちゃんは大きく伸びをする。
外は既に真っ暗だった。
結局あれから二時間くらいは、他愛のない雑談で終えてしまった。
勉強より話している時間の方が遥かに長いなんて、効率が悪い事この上ない。
「勉強しなきゃとは思ってたんだけどねぇ」
これだと寄り道になって、金織さんに怒られてしまう。
「ま、いいじゃん。あたしは涼奈と一緒に過ごせて楽しかったよ」
「……うん、それはそうだけど」
確かに凛莉ちゃんといると時間があっという間に過ぎる。
わたしは人と話すのが苦手だと思ってたけど、こんなに長く話せるのは発見だった。
「えへへ」
凛莉ちゃんはニコニコで肩を寄せてくる。
「凛莉ちゃん?」
「写真撮ろうよ」
「……ピクチャー?」
「なぜ英語?」
写真は苦手だから、なんか逃げ出したかった。
あれでしょ、インカメで盛れる角度で撮るやつでしょ。
「友達なんだからいいよね?」
凛莉ちゃんの瞳が輝いている。
なぜかは分からないが、わたしと写真が撮りたいらしい。
でも、気は進まないのだ……。
「えと、あの、もうお外も真っ暗ですし。ちゃんと撮れないんじゃないかな?」
「あ、ならお店の看板のとこ光ってるし街灯もあるから、そこで撮ろ」
なんとかなるのか……。
他に断る方法は思い浮かばず、ずるずると引きずられていく。
「はい、撮るよー」
「あ、あわわわ……」
こんな時、どんな表情をすれば?いやそもそも視線は?待て、ポーズも大事なんじゃないか?口は閉じておくべきか、でも閉じてると機嫌悪そうに見えるかも。でも開けるとアホっぽいかも……。
ああ、正解がわからないぃー。
――パシャッ
カメラのシャッター音。
「涼奈、表情かたいんですけど」
写真を見て凛莉ちゃんはケラケラと笑っている。
スマホを見てみると、凛莉ちゃんは顔の近くで可愛くピースしているのに対して、わたしは視線が明後日を向いて口も半開きだった。
「さ、削除を求む……」
「え、いいじゃん。これはこれでかわいいよ」
「こ、これのどこが……?」
「なら、もう一回撮ろうか」
こ、この苦行をもう一度……?
今の失敗写真を量産する未来しか見えない。
「大丈夫だって、ほらちゃんとスマホの画面見なよ。挙動不審だからおかしなことになっただけだって」
凛莉ちゃんに言われるがままに従ってみる。
スマホのシャッター音が再び鳴る。
「ほら、今度はいいでしょ」
「……まあ」
表情が硬いのに変わりはないが、それなりにまともに見れる雨月涼奈そこにはいた。
ま、お隣にいる凛莉ちゃんに比べたら月とすっぽんだけど。
「後で送るね」
一瞬迷う。
あんな不出来な自分の顔を、スマホに残すのか。
それはどんなM行為かと一瞬思った、けど……。
「うん、お願い」
でも隣に凛莉ちゃんがいるんだしもらっておこう。
「オッケー。それじゃ今日はこれまでにしよっか、またね涼奈」
「そうだね。バイバイ、凛莉ちゃん」
二人で手を振って別れる。
そのまま、わたしは街頭に照らされた夜道を帰る。
夜になると少し肌寒い。
静寂のせいだろうか、さっきまで一緒にいた凛莉ちゃんの賑やかさから切り離されたみたいで少し寂しい。
『いるよ、好きな人』
凛莉ちゃんの言葉が思い浮かんだ。
誰かは分からないけど、今の凛莉ちゃんは恋をしているらしい。
それを思い出すと、胸に違和感を覚えた。
なんだかモヤッとして、チクッともするような不快感。
それが何かは分からない。
こうして一人になると、その違和感だけが大きくなっていく。
でもそれが何かは分からないから、どうすることも出来ない。
「……変なの」
誰に聞かせるでもない独り言は夜の空気に消えていく。
でも、胸の中にある形のないモノはいつまで経っても消えなかった。
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