30 ヒロインに口づけを


凛莉りりちゃん、それどういう意味……?」


 凛莉ちゃんは突然、何の前触れもなくおかしなことを言い始めた。


 キスをする、それは普通の会話で聞くような言葉じゃない。


「進藤とはそういうことしてないんでしょ?」


「し、してるわけないじゃん」


 勿論、ルートに入っていない雨月涼奈あまつきすずなは清廉潔白の身だ。


 とはいえ、雪月真白わたしもそんな経験はないので、急にしろと言われても抵抗感しかない。


「だからキスするの。それなら進藤より、あたしの方が大事だって信用してあげる」


「いや、でも何で、きっ、キス……?」


 “キス”を口に出して言うの、かなり恥ずかしいんですけど。


 それを真顔で言ってくる凛莉ちゃんって何なんだ。


「直接触れないと、都合のいい言葉で誤魔化される気がするから」


「でもだからって……それはやり過ぎじゃない?」


 行為として、あまりに近づきすぎている気がする。


 それって友達としてやっていい距離感じゃないと思う。


「深く考えすぎじゃない?女子同士でキスくらい、よくあるでしょ」


「そ、そうなんだ……」


 よくあるの、そうなの?


 わたしが重く考えすぎ……?


 女の子同士で、キスを気軽にする人はいるのかもしれない。


 特別な意味を持たず、フレンドリーな接触として。


 凛莉ちゃんはそっち側の人なのかもしれない。


 「……でもそれが証明だなんて、やっぱり違う気がする」


 考えてみたけど、それはどこかおかしい気がする。


 なんの説明にもなっていないと思う。


「……出来ないってことね。あたしってそんなもんってことだ」


 凛莉ちゃんがそっぽを向く。


 これで話しは終わりと区切って、再び階段を降りようとする。


 それはダメだ。


「待って、行かないで」


 わたしは凛莉ちゃんの腕を強く握り、階段の踊り場に押しとどめる。


「……涼奈じゃなかったら、あたしもうとっくに帰ってるの分かってる?」


 “証明するならする、しないならこの手を離せ”


 凛莉ちゃんはそう言いたいんだと思う。


 そんな冷たい言い回しに心が凍てつきそうになるけれど、このまま凛莉ちゃんを離したらもっとツラい気持ちになるのは目に見えている。


 だから、わたしにとっては意味がわからないことでも、凛莉ちゃんがそれで納得してくれるなら、そうするべきなんだと思う。


「分かったよ、すれば、信じてもらえるんだよね……?」


「うん、涼奈が本気なら」


 試すような言い方。


 凛莉ちゃんは何でもリードしてくれるのに、今回はわたしから動かないといけない。


 それは慣れていないけれど、凛莉ちゃんのためなら我慢できる気がする。


「ほ、ほんとに、するよ……?」


 喉が渇く。


 緊張して、体の水分が蒸発してしまったみたいだ。


 自分の手足じゃないみたいに痺れた体で、凛莉ちゃんに近づく。


「うん」


 すっ、と凛莉ちゃんが目を閉じた。


 こうして間近で見る凛莉ちゃんの顔は本当に綺麗だ。


 まつ毛は長いし、鼻筋も通って、唇は血色が良くて艶やかだ。


 すっと伸びる首筋は噛みつきたくなるような白い肌をしている。


 こんな綺麗な人に、わたしが触れていいんだろうかと躊躇ってしまう。


「……えっと」


 わたしの手はどうするのが正解なんだろう。


 ぶらぶらとさせていればいいのか、それとも顔に添えればいいのか。


 どちらも違う気がして迷った挙句、凛莉ちゃんの肩に触れた。


「んっ……」


 触れられたのに驚いたのか、びくりと凛莉ちゃんの体が跳ねた。


 その反応が思っていたよりも可愛くて、ちょっとだけわたしの緊張がほぐれる。


 凛莉ちゃんの頬は少しだけ赤く色づいているように見える。


「凛莉ちゃん、緊張してる……?」


「あ、当たり前じゃん。こんなの初めてだし」


「……っ!?」


 お、おいおい……。


 凛莉ちゃん、それじゃ話しと違うじゃないか。


 さっきは女の子同士でキスするくらいは当たり前のような口ぶりで話していたのに。


 お互いに初めて同士となれば話は別だ。


 侵してはいけない領域に、足を踏み入れてしまったような感覚。


 そのせいで、ほぐれた緊張は再びわたしの元に帰ってくる。


 でも凛莉ちゃんはそうまでしてでも、わたしに証明して欲しかったってことだ。


 だから、わたしはそれに応えたい。


 ぐっ、と顔を近づける。


 鼻先が当たる距離まで来て、体が触れ合う。


 彼女の熱が伝わってきて、頭の芯がほだされる。


「……凛莉ちゃん」


「……涼奈」


 お互いの名前を呼び合う、それは合図のようなものだ。


 わたしは覚悟を決めて、口づけをする。


 ふわりと瑞々しく柔らかい弾力が、唇を通して伝わってくる。


 それは初めての感覚で、凛莉ちゃんを感じるには刺激が強すぎた。


 ちゅっ、と生々しい音を立てながらわたしは唇を離す。


「……涼奈?」


「し、したよ。したからねっ、これで信用してくれるよねっ」


 わたしは、掴んでいた肩を離して一気に距離も置く。


 視線は足元に釘付けになり、凛莉ちゃんを直視することができない。


 こんな恥ずかしいことをして、まだこの場にいるわたしを褒めて欲しい。


 本当だったら今すぐ逃げ出したい。


 それでも凛莉ちゃんに信用されたいから、わたしは我慢している。


「い、いや。確かにしてくれたけどさ……」


「なに、文句あるっ?ないよね、キスだよキス、ご希望通りのベーゼだよっ」


 暴走したわたしの脳内は意味不明な言葉を羅列する。


 緊張と羞恥が入り交じって、体がひたすら熱い。


「そうなんだけど……なんで、?」


 わたしはちゃんとキスをした。


 凛莉ちゃんの、だけど。


「い、いいでしょっ。キスはキス、マウストゥマウスとは聞いてませんっ」


 ていうか無理だろ。


 唇にちゅーはいくらなんでも無理だろ。

 

 そんなことしたら恥ずかしすぎて、きっと溶ける。


「……まあ、いっか。涼奈がんばってくれたもんね」


 その言葉を聞いて、ふっと全身の力が抜ける。


 よかった、凛莉ちゃんの声に柔らかさが戻っている。


 わたしの緊張は、凛莉ちゃんに拒絶されるかもしれないという恐怖もあったんだと思う。

 

 それが元通りになって安心した、そういうことだと思う。


「涼奈、顔上げないの?」


「無理、今は上げたくない」


 今、凛莉ちゃんをどういう顔で見たらいいのか分からない。


 今見たらきっと恥ずかしさで爆発すると思う。


 だから黙っていたい。

 

「そっか。じゃあ次はあたしの番ね」


 ――タンッ


 ステップを踏むような軽快な足音。


 そのまま凛莉ちゃんの気配が近づいて、ふわっと風を感じる。


 そして、頬に柔らかい感触が残った。


 ほんのりと甘い香りと共に。


「えっ、えっ、ええっ……?」


 その感覚は初めてなのにすぐに分かった。


 だってそれは、今まさにわたしが凛莉ちゃんにしたことだ。


 弾かれるように顔を上げると、凛莉ちゃんは顔を赤らめながらも、にししっと笑っている。


「涼奈だけにキスさせるわけにいかないでしょ。あたしもちゃんとお返しするよ」


 凛莉ちゃんは、人差し指を唇に当てウィンクをした。







 女の子同士でキスをする。


 それはお互いの頬に唇を当てるだけの、軽い挨拶のようなもの。


 でもわたしにとっては、これ以上ないくらいにドキドキする出来事だった。


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