09 友達に


「おお……」


 店員さんが注文したものをテーブルの上に置いてくれる。


 それを見て思わず、わたしは声を漏らした。


 ふわふわのパンケーキの上には生クリームが乗り、さらに苺とストロベリーソースが掛かっている。


 写真とか動画で見た事はあったが、実際に目の前にするのとでは全然ちがう。


「ここの美味しいからね」


 そう言うと、日奈星ひなせさんはナイフとフォークを持ってパンケーキを切り分ける。


 食べやすいサイズに切ったパンケーキをフォークで刺すと、そのまま持ち上げた。


「はい、あーん」


 日奈星さんはニコニコしながら、パンケーキを突き出している。


 何が楽しいかはさっぱり分からない。


「なにそれ、自分で食べるし」


「いいじゃん、あたしが食べさせても」


 本当だったら自分でフォークを持ってパンケーキを突き刺したいところだ。


 だが残念なことにパンケーキは一人分、ナイフとフォークは1セットしか用意されていない。


 つまり日奈星さん以外にこのパンケーキを取る手段がないということだ。


 ……さすがに手掴みで食べるわけにも行かないし。


「ほらほら、雨月さんが食べたそうにしてたパンケーキだよ」


 日奈星さんはわたしを誘うようにゆらゆらとパンケーキを揺らす。


 まるで餌付けだ。


「食べ物で遊ぶの良くないと思う」


「じゃあ早く食べたら?はい、どうぞ」


 ずいっ、と日奈星さんが腕を伸ばす。


 目の前には生クリームが苺色に染まっているパンケーキ。


 こんなの生殺しだ……。


 ――ぱく


 わたしは堪えきれず、口に含む。


 口の中には柔らかい触感とほんのりとした甘み、そこに生クリームの甘さと苺の酸味が合わさる。


「どう?」


「……美味しいけど」


「そんな不機嫌そうに美味しいっていう人初めて見たんだけど」


 日奈星さんはやっぱり楽しそうにわたしのことを見る。


「自分で食べたらもっと美味しいだろうなって思っただけ」


「えー。いいじゃん、これくらい」


 そう言いつつ、日奈星さんはまたパンケーキを切り分けている。


 ちらっとわたしを盗み見る。


「もう一口いる?」


「自分で食べる。それより日奈星さんも食べたら」


「そうだね」


 日奈星さんは自分でパンケーキを口に運ぼうとして、ぴたりと止まる。


「どうしたの?」


「雨月さん、あたしに“あーん”する?」


 日奈星さんの目がキラキラしている。


 そんなことして欲しいんだろうか。


「しない、自分で食べなよ」


「ちぇっ、残念」


 日奈星さんはパンケーキを口元に運ぼうとして、髪の毛がはらりと落ちた。


 そのままでは邪魔だと髪を耳に掛けると、首筋にかけて素肌が露になる。


 剥き出しの肌は、白くてきめ細やかだった。


 食べる仕草だけで画になるのは、さすが美少女。


 今度こそパンケーキを口に運ぶと、形のいい唇がもぐもぐと動いていた。


「……なんか、そんなに見られると食べにくいんだけど」


「わたしの気持ち分かったでしょ」


「べつにー。雨月さんもまだ食べるでしょ?」


 日奈星さんはナイフとフォークをお皿の上に置いた。


 そのままお皿をスライドさせて、わたしの方へ近づけてくれる。


「……食べる」


 今度こそ自分でナイフとフォークを使って、パンケーキを口に運ぶ。


 甘味が口の中に広がった。


 でも、その様子を日奈星さんにずっと見られているのはやっぱり気になった。


「ていうかさ、雨月さん甘いの嫌いって言ってなかったけ?」


「……そんなこと言った?」


「言ったじゃん。昨日、助けてもらった直後にお礼しようと思って“甘いものとか好き?”って聞いたら“嫌い”って」


 ほんとは覚えてる。お礼を受け取らない為にそう言ったんだ。


 それに自分の好きな物を他人にすぐ教えられるほど、わたしは社交的ではない。


 好みを聞かれれば、普通とか嫌いとかで済ませてしまう。


 めんどくさい人間だというのは自覚している。


「甘いもの好きだよ」


「じゃあ、なんでウソついたの?」


 じっと、日奈星さんの視線が突き刺さる。


 いつもニコニコとしているのに、こういう時だけ真剣な表情をする。


 その雰囲気は何だか苦手だった。


「……別に。自分の好みとか教えるの恥ずかしいし」


 それが本音。


 他人と距離を開けてしまうのは、わたしの癖みたいなものだ。


 直らないし、あまり直そうとも思っていない。


 他人との距離は遠いくらいでちょうどいい。


 それなら傷つかなくて済むし、傷付けることもない。


 お互いに幸せで、いいことしかないと思う。


「じゃあ、あたしとはもう仲良しってことだ」


「……え」


 それは不意打ちだった。


「だって他人には好み教えないんでしょ?あたしはもう知ってるから、仲良しってことじゃん」


 ……日奈星さんはそんなわたしの距離感を容赦なく詰めてくる。


 それが心のどこかに引っかかる。


 それは普段のわたしが刺激されない場所で、明確に何かは分からない。


 でも何だかじっとはしていられないような、そんな気持ちにさせられる。


「話の流れで知っただけでしょ」


「でも知ったのは知ったじゃん」


「それはそうだけど……」


「もう友達だね」


 にこっと日奈星さんは笑いかけてくる。


 さっきまで真剣な表情をしていたのに、こういうタイミングで雰囲気を和らげるのはずるいと思う。


 その表情に何だかこっちまで安心してしまう。


「連絡先まで交換したんだし、さすがにクラスメイトはもうムリでしょ」


「……まあ、そうかもね」


「言ってみて?」


 日奈星さんはテーブルに身を乗り出して耳を傾ける。


 髪を耳に掛けたままだから、柔らかそうな耳まで剥き出しになっていた。


「……何を言うの」


「あたしたちは友達って」


「……」


 気は進まない。


「ほら黙んないで、言わないと分かんないじゃん」


 でも言わないと納得してくれなさそうだった。


「……“あたしたちは友達って”」


「絶対ワザと言ってるよね?」


 日奈星さんはぷくっと頬を膨らませる。


 それはそれで可愛いけど、これ以上怒らせるとよくないかもしれない。


 大人しく言う事を聞くかな、そう思った。


「……日奈星さんとわたしは友達」


「うん、そういうことっ」


 日奈星さんは今度こそ本当に嬉しそうに声を弾ませた。


 わたしはなんだか落ち着かなくて、日奈星さんに視線を合わせられない。


 その間を誤魔化すように、変だと思われないようにパンケーキを口に含む。


 ……けれど。


「パンケーキ、味しなくなった……」


「え、なんで?」


 それは胸に込み上げてきている感情のせいだと思う。


 伽藍洞だったはずのわたしの中に、日奈星さんが入り込んできている。


 何もないから平穏でいられるのに、彼女はそれをかき乱してくる。


 でもなぜか嫌とは感じていない。


 きっとそれも日奈星さんだからだというのは、自分でも不思議だった。

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