10 妹ヒロインの憤慨


 朝、スマホのアラームの音が鳴り響く。


 目を覚まし、眠気と鉛のように重たい体を無理矢理に叩き起こす。


 目を擦ってスマホを見ると、日奈星ひなせさんからのメッセージが届いていた。


 “今日は楽しかったね。また行こ”


 日付は昨日の夜。


 その後には白いクマがルンルンと歩いているスタンプが続いていた。


「……返事、してなかったな。そういえば」


 日奈星さんのメッセージはわたしがベッドに潜ってから届いていた。


 どう返事したものかと一瞬悩んだのだけど、時間帯が悪かった。


 わたしはこの生活にまだ順応はしておらず、疲労を溜め込んでいる。


 眠ってしまうのも一瞬だった。


「とりあえず、返さなきゃ」


 ペンギンが“りょうかい”と敬礼しているスタンプを送る。


 簡素だけど、文章を入力して返そうとするとしばらく悩みそうだからやめておいた。


 朝にそんな悠長な時間はない。


 わたしはやっとの思いでベッドから離れた。



        ◇◇◇



 雨月涼奈あまつきすずなの朝は早い。


 それは同級生で幼馴染の進藤湊しんどうみなとを起こすという役割が彼女にあるからだ。


「……いや、朝くらい自分で起きろって」


 もちろん、わたしはもうそんなことはしない。


 放っておいても妹であるここなちゃんが起こしてくれるだろうし、寝坊したらしたでそれは本人の責任だ。


 決してわたしのせいではないし役目でもない。


 だから、本来の雨月涼奈よりわたしは遅い時間に家を出る。


 玄関の扉を開けると朝日が差し込んできて――


「おはよう雨月涼奈、今朝は随分遅いじゃない」


 ――ここなちゃんが、わたしを出迎えていた。







「……ええと」


 なぜこんなことになったのか。


 わたしは今、ここなちゃんと一緒に登校している。


 そして隣を歩くここなちゃんは不穏な空気を惜しげもなく放散している。


 こんな行動をとるここなちゃんを、わたしは見たことがない。


 基本的にはお兄ちゃん子である彼女は進藤くんとセットの存在だ。


 それがどうして単独で、それも幼馴染の雨月涼奈の元に乗り込んできたのか。


 ちょっと意味が分からない。


「なによ、眠そうな顔して。寝坊でもしたから今日は遅れたってわけ?」


「まあ、眠いけど。寝坊はしてないよ、これくらいの時間に出るつもりだったから」


「あんたいつもお兄ちゃんを起こしに来るのに、昨日も今日も来なかったわよね?どういうつもりよ」


「どうと言われても……」


 ここなちゃんルートを応援しているからだよ、と言ってしまえばいいだろうか。


「お兄ちゃんに一途なことだけが雨月涼奈の唯一の取り柄なんじゃないの?それが一体どうしたらこんなことになるのよっ」


 どうやらここなちゃんは、いきなり手の平返しをしたわたしの態度に疑問があるみたいだ。


 ライバルが減って喜ぶべきことだと思うんだけど、どうして彼女はこんなにも憤慨しているのだろう。


 やっぱり意味が分からない。


 とにかくわたしはもう恋のライバルではないということを宣言しておくべきか。


「わたしが進藤くんを朝起こしに行くことはもうないし、お弁当も作らない。彼の面倒はここなちゃんにおまかせするから」


「……あんたそれ本気で言ってるの?」


「うん、本気だけど」


 ここなちゃんの視線が射抜くように突き刺さる。


「お兄ちゃんのことは諦めたってわけ?」


「うん、まあそういうことかな」


「あっさりしすぎじゃない?」


「……そう?」


 隣にいるここなちゃんの熱量は益々増していく。


 朝からこんなエネルギーを放出できるなんて、若さとは素晴らしい。


 一つしか変わらないけど、わたしには真似できない。


「ここなだってバカじゃない。あんたが小さい頃からお兄ちゃんのことを想ってたのは知ってる。ムカつくけど、その気持ちは本気だと思ってたのに……」


 わなわなとここなちゃんの肩が震えている。


 一体どういう感情を持っているのか、それは分からない。


「あんたの気持ちってそんなもんだったってわけ!?」


「うん、まあ」


「だから、その態度があっさりしすぎだって言ってんのよ!!」


 むきーっと、ここなちゃんが牙を剥く。


 ああ、何をどうしたらいいの。


 わたし別にここなちゃんを怒らせたいわけじゃない。


 むしろ喜ばせたいくらいなのに、何言っても怒られる。


「ああ……ほら身の丈を理解したって言うのかな?わたしに進藤くんは高望みだったってようやく理解したの」


「別にお兄ちゃんそんないい男でもないし、むしろダメ男だけどね!!」


 あ、それは共通認識なんだ。


 じゃあ、そっち路線で攻めればいいのかな?


「うん、ちょっとだらしない所あるから。そこは苦手かもって」


「お兄ちゃんの悪口やめてくれない!?そこは可愛い所だもん!!」


 えー……。


 もうわっかんないなぁ……。


 こんなの会話不可能じゃん。


 コミュ力ないわたしにこんな難解な会話は続行不可能だ。


「結局、ここなちゃんは何が気に入らないの?」


「お兄ちゃんのそういうダメな所も込みで好きになってたのが雨月涼奈だったでしょうが!ムカつく……大いにムカつくけど、そこだけは認めてたのに!!」


 あー……。


 なに、恋のライバルは同時に良き理解者パターンの会話、これ?


 わたしそういうの一切理解できないんだよねぇ……。


 恋のライバルとか、絶対敵だし。


 好きな人が同じとか嫉妬に狂うだけだし、気持ちの共有も絶対したくないんだけど。


 ……あ、ごめんなさい。


 恋人いない歴=年齢の陰キャがほざいてます。


 全て漫画と小説の妄想です。実体験はありません。


「……何て言うのかな。もっと包み込んでくれる女の子の存在に気付いたから、身を引くべきだって思ったの」


 もう何でもいい。


 とにかく、ここなちゃんに絡まれたくないから納得だけしてもらいたい。


 わたしと日奈星さんだけでもルートから大外れしてるっていうのに、これにここなちゃんまで原作にない行動をして欲しくない。


 大人しくヒロインルート歩んでよ。


「……はっ!?あんたそれ誰のこと言ってんのよ!!」


「……いや、そりゃ……」


 ここなちゃんのことだよ、とは言えない。


 一応、ここなちゃんが進藤くんに思いを寄せているのは彼女にとってトップシークレットだ。


 誰がどう見てもラブ一直線だが、兄妹でそのことには気づいていない。


 無自覚は遺伝するのだろう。


 だからわたしは面と向かって彼女を名指しをすることに躊躇いがある。


「おっはよー!雨月さん返事遅すぎだからねー。既読スルーさすがに傷つくんですけどっ」


「わっ……」


 後ろからふわりと甘い香りがしたかと思えば、日奈星さんがわたしに抱き着いていた。


「ちょっと日奈星さん、くっつかないでよ」


 友達になったとは言え、こんなに距離を縮める事を許可した覚えはない。


 甘えるように抱き着いて来る日奈星さんの手を引き剥がす。


「ダメ、無視した罰を償いなさい」


「返事遅れたのは申し訳ないけど、抱き着くのが償いなんて聞いたことないっ」


 それでも日奈星さんはわたしに抱き着いてくる。


 軟体動物のようにふにゃふにゃとわたしの手をすり抜け、体を寄せる。


 何がどうしてそんなことをしてくるのか、意味が分からない。


日奈星凛莉ひなせりり……!あんた雨月涼奈になにしてんのよ!?」


 それを隣で見ていたここなちゃんが目を丸くして見ていた。


 当たり前だ、こんなコントラストの激しい二人が絡んでいる姿を見たらわたしでもそうなる。


「雨月さん、この子は?」


「進藤くんの妹さんで、進藤ここなちゃん」


「あー。なるほど」


 そっかそっか、と日奈星さんは頷くとニコッとここなちゃんに笑いかける。


 ……その笑顔はどこか作り物っぽいように見えたけど、気のせいだろう。


「おはよ、ここな。見ての通り、あたしはお友達の雨月さんと挨拶してるの」


「友達……?雨月涼奈と友達なの?」


「うん、一緒に遊ぶくらいにはね」


「あ、あの……万年ぼっちの雨月涼奈に友達……?しかも、日奈星凛莉が……?」


 ここなちゃんも入学してから日が浅いとはいえ、日奈星さんの情報は回ってきているのだろう。この対象的すぎる二人に驚いている様だった。


「……!! “もっと包み込んでくれる女の子の存在に気付いた”って……雨月涼奈、そういうことだったのねっ!?」


 ん……?


 ここなちゃん、なんで急に納得したんだろう。


 タイミングが変だ。


「雨月さんとは、これからもっと仲良くなるもんねー?」


「日奈星さん、顔近い」


「あ、あんた達……!!」


 日奈星さんはくっついてくるし、ここなちゃんは怒ってくるし。


 朝からカロリー高い。

 

 平穏な朝が程遠くてツラいです。

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