十一話

 リーダーの男は、壊れた扉を乱暴に押しのけ、中へ入っていく。


「ひどいことをしてくれたものだな」


 魔術師はぼそりと呟いた。連れてこられたのは、午前中まで僕が掃除をしていた魔術師の家だった。その入り口の扉は無残にも引きはがされ、鍵の部分はめちゃくちゃに壊されていた。どうやら僕達が出かけた後、こいつらが扉を壊して侵入したらしい。魔術師が目的なら、正体を偽って普通に訪ねればいいだけで、ここまで壊す必要はないだろう。それとも、別に目的があるのか?


 両脇の男に促され、僕と魔術師は家の中へ入る。と、一歩踏み込んだところで、僕は思わず足を止めた。床を埋め尽くすように本が散乱していたのだ。ここにはいろいろな本が山のように積まれ、元より歩ける場所は少なかったけど、その山をすべて崩してしまっては、もうわずかも足を置く場所は見当たらない。だからリーダーの男とその仲間は、本だらけの床を堂々と踏んで歩いている。それよりも驚いたのは、魔術師も同じように何のためらいもなく、本を踏んでいたことだ。これには声を出さずにはいられなかった。


「大事な本を、踏み付けていいんですか!」


 魔術師は歩きながら答える。


「ここの書物の大体は頭に入っている。踏んだところで特に問題はない」


 そう言われては何も言い返せないじゃないか。あんたとは違って、僕はまだ読んでいない本がたくさんあるっていうのに……。男達に押され、僕は仕方なく本を傷めないよう、できるだけ軽く踏む程度の足取りで歩いた。それでも本には、くっきり僕の足跡が残ってしまったけど。


 本の床を越え、リーダーは薄暗い地下へ下りる。僕達もその後に続く。予想はできたけど、地下の部屋の様子もひどいことになっていた。棚に置かれた物、引き出しに入っていた物はことごとく荒らされ、それらは石の床にばらまかれたように落ちていた。食器類は手が付けられていないものもあったが、床で粉々に割れているものもある。その近くの水がめは、縁の辺りを大きく割られ、中の水が半分以上流れ出て、周辺を水浸しにさせてしまっていた。魔術師の作業机の上は、荒らされたと言われればそんな気もするし、もともと散らかっていたと思えば変化がないようにも見えるけど、机の下にいくつか実験材料らしきものが落ちているから、物色はされたんだろう。とにかく、部屋は子供が好き勝手に遊んだ結果のような、散らかり放題の荒れ果てた景色に変わっていた。


 部屋の中央辺りまで来ると、僕と魔術師に付いていた男達は離れた。そしてまた囲むように僕達を見張る。


「さて……」


 リーダーはこの部屋にあったランプを持ってくると、明かりを付け、近くの棚の上に置く。ゆっくりした動きで作業机に寄りかかると、腕を組んで魔術師を見た。


「聞きたいことが――」


「その前に」


 魔術師がリーダーの声をさえぎって言った。男達の空気がピリッとしたのが伝わってくる。


「わしも置いて、構わないかな」


 手に持ったランタンを掲げて見せる。これにリーダーは一瞬眉を動かしたが、すぐに無表情に戻り、好きにしろと許可した。魔術師はリーダーが置いた棚とは逆方向にある棚にランタンを置く。二つの照明で部屋の中央は結構明るくなった。


 リーダーは軽く息を吐き、仕切り直す。


「……聞きたいことがある。質問に答えろ」


「内容によるが、とりあえず聞こう」


 何で魔術師はこんなに余裕なんだ? あんまり大きな態度は見せないほうがいいと思うけど……。


「一応言っておくが、答えに嘘があった場合は、それなりの覚悟をしてもらう。いいな」


 僕は唾を飲み込んだ。逆らえば、死……。


「いいだろう。だがお前達は、わしが嘘を言っているとどう判断するのだ? 真実を言っているのに、それを嘘と言われて殺されるのではたまらんぞ」


 額に冷たい汗を感じる……。この人は、今の状況を理解しているのだろうか。殺すと脅されているんだぞ。それなのにまるで対等な立場のように話している。頼むからもう少し控え目な話し方にしてくれ。そうじゃないと僕の心臓が持ちそうにない。


「判断は我々が下す。貴様はただ真実を言えばいい」


 リーダーは鋭い目を魔術師に向ける。黙れと刃物を突き付けているようだ。さすがに魔術師も、これには口を閉じた。重苦しい沈黙が流れる。


「……最初の質問だ。貴様は今日、城へ行ったな」


 こいつら、僕達の行動を見てたのか? いつから見られてたんだ……。


「うむ。その帰り道にお前達と会ったわけだ」


 魔術師は正直に言った。ここで嘘を言う意味はないだろう。リーダーも嘘ではないとわかっている。


「次だ。貴様は城で、何かを受け取ったな」


 受け取った? 僕は何も聞いてないけど――


「誰からだ?」


 魔術師は間を置かずに聞く。


「誰でもいい。受け取ったものがあるだろう」


「特に心当たりはないが……しいて上げれば、夕食をごちそうになったくらいか」


 な……僕が空腹に耐えていた時に、魔術師は優雅に宮廷料理を食べていた? 初耳だぞ。一人だけ満腹になっていたなんて。聞いたら何だかむかむかしてきた。だから帰りは徒歩だったのか?


「……とぼけているのか?」


「そんなつもりはない。誰かに渡されたものなど――はっ!」


 急に魔術師は何かを思い出したように声を上げた。


「そう言えば……」


 リーダーが注目する。


「かばんを忘れてきてしまった」


 かばん……? あ、そう言われれば、城へ向かう時に僕が持っていたかばん、帰りにはなかった。あまりに長時間待たされ過ぎて、かばんの存在をすっかり忘れてしまっていた。


「そのかばんに、受け取ったものが入っているのか」


 リーダーは真剣に聞く。


「違う違う。それはわしの私物しか入っておらん。うーん、参ったな……」


 魔術師は困った表情で僕を見た。


「城を出る時に、なぜ気付かなかった。かばんはお前が持っていたろう」


「そ、そうですけど、かばんは先生の物なんだから――」


 バン、と大きな音が響いた。リーダーが机を叩いたのだ。この音で僕達の言い合いは止まった。


「質問以外の話をするな。さっさと答えろ」


 リーダーは無表情だが、強い口調で言う。


「わしはすでに答えたぞ。聞いていなかったのか?」


 僕は魔術師の口を手で塞ぎたかった。こんな口を利いていたら、こいつらの気持ちがいつ変わるかわからない。このままだと指の一、二本切られそうな気がする。


 すると、リーダーは作業机から離れると、目の前の魔術師に近付く。危ない、と僕は心の中で叫ぶしかなかった。とうとう怒らせてしまったのか……? そう思ったが、リーダーは魔術師の顔をのぞき込むように見るだけで、危害を加えることはなかった。


「ふん……質問の言葉を変えよう。簡潔に答えろ」


 リーダーは魔術師の顔から目を離さずに聞く。


「貴様は城で、他国への密書を預かったな」


 何だかきな臭い単語が出てきたけど、僕はまったく知らないことだ。その密書とやらを受け取るために、魔術師は僕と城に行ったのか?


「なぜわしが密書など預からねばならんのだ」


 思いもよらない言葉だったのか、魔術師は目を見開いて言い返す。


「貴様らの都合など知るか。……持っているな?」


「そんなものは持っていない。断言する」


 魔術師の口調は揺るぎない。そこに嘘はなさそうだったが、リーダーはわざと至近距離で魔術師の顔を凝視し、動揺が出る瞬間を探っていた。嘘か真実かの判断をしているのだ。


「そもそも、何のための密書だと言うのだ」


「とぼけたふりを続ける気か?」


「わからないから聞いている。よかったらわしに教えてほしい」


 部屋がしばし静寂に包まれた。外で吹く風の音がかすかに聞こえてくる。


「……なら教えてやる。貴様らは我々との戦いを想定し、戦力が拮抗した場合に備えて、あらかじめ近隣諸国に援軍派遣の確約を取り付けようとしている」


 魔術師は唖然としていた。僕も違う意味で唖然となった。軍が活発になっているのはトゥアキエだけだと思っていたのに、まさかこっち側も準備を進めていたなんて……いや、まだわからない。これは嘘なのかも。信じる根拠はどこにもない。でも、あってもおかしくない話ではあるけど……。


「おかしな話だ。戦争が始まってもいないのに、なぜ援軍を要請する必要がある。しかも他国にだ。これでは近々我が国で戦争が起こりますよと宣伝しているようなものだ。そんな国には人も物も寄ってこない。自分で自分の首を絞めるような真似をすると思うのか」


 魔術師は苛立った調子でまくし立てた。その様子からは、まったくのでたらめを言われて、憤っているように見える。ということは、やっぱり密書なんて話は嘘、ということか?


「我々は真実しか聞きたくない。部屋中を散々探して、疲れたんだ」


 この散らかり様は、そのせいか……。


「では、仮に密書が存在するとして、果たしてこんな老いぼれに託すものか? 若い兵士ならともかく、わしでは奪われたら追いかけることもできんぞ。そんな人間に重要なものを預けると、本気で思っているのか?」


「貴様が絶大な信頼を得ていることは承知済みだ。責任ある仕事を任されるのは決しておかしなことではない」


「どこでそんな情報を得たかは知らんが、その情報源はクビにしたほうがいい。お前達が無駄に疲れるだけだぞ」


 魔術師とリーダーは、まるで火花を散らすように睨み合っている。それにしても、この人の度胸はどこまですごいんだ。命の危険なんてまったく考えていないみたいだ。これは見習うべきか、いや、見習ったら即殺されそうだな……。


「あくまで、真実を言わないつもりか」


「わしはお前達には、一つも嘘は言っていない」


 魔術師の態度は一貫している。これにリーダーは、無表情の目を少し細めた。何か、考えているような目だ……。


「こういう野蛮なことはしたくなかったが――」


 そう言ってリーダーはベルトに差してある短剣に手をかける。と同時に、周りにいた四人の男達が、僕と魔術師を羽交い絞めにした。……ああ、とうとう怒らせたか。こうなることは目に見えていたけども。指先と足がちょっと震えているのを感じる。怖い。僕はどうすればいいんだ……!


 リーダーは抜いた短剣の先を魔術師の喉元に向ける。


「この短剣は、あまり切れ味がよくない。刺すのも切るのも力任せになるが、構わないな?」


 脅すふうでもなく、淡々と言う口調が不気味に感じる。こいつは何度もこんなことをしてきているのだろうか。


「やっぱりこうなるか」


 刃物を向けられているにもかかわらず、魔術師は変わらない態度で言う。


「真実を言ったところで、お前達はどうせ初めからこうすると決めていたのだろう」


「この後どうなるかは、貴様次第だ」


 リーダーは短剣をゆらりと揺らす。魔術師は諦めたように首を振った。


「話にならん。お前達は聞きたい答えでなければどれも真実とは認めないのだろう。まったく、馬鹿馬鹿しい。嘘でも真実でも、どっちにしろ殺されるのなら、わしはもう一言も答えないぞ。煮るなり焼くなり好きにしろ」


 魔術師は口を結び、目の前のリーダーを睨む。その横で僕は、はらはらしていた。捨て身の反抗だ。丸腰で挑んでいる。でも、あまりに無謀だ。あの短剣が次に動いた時、隣には血の海が広がることになる。想像してまた足が震えてきた……。


「……そうか。死を受け入れるか。ならば応えよう」


 リーダーが短剣を持ち直す。つかむ手に力が入ったのがわかる。切っ先が魔術師の喉を向き、リーダーは的が動かないよう魔術師の肩を押さえた。完全に殺される。喉を貫かれて死んでしまう! 魔術師は何か言わないのか? 最後のあがきをしないのか? 何で冷静な顔でいられるんだ。このままじゃ死ぬぞ。殺されるぞ――僕の心臓の鼓動は、心の声と同じくらいにうるさく鳴っていた。どうにかして助けるべきなんだろうが、体はつかまれ、動かせない。叫ぶにも、一体何を叫べばいいのか……。


 その時、リーダーの短剣が動いた。僕は無意識に息を止めていた。終わった。死んでしまった。最悪の事態だ……僕は目を伏せた。自分の体が震えるのを感じながら、ただ時が過ぎるのを待っていた。が、妙な静けさが流れていることに気付いた。刺されたわりには、物音も魔術師のうめき声も聞こえてこない。何かおかしい。僕はびくびくしながらゆっくり顔を上げてみた。


「……ふん」


 リーダーが鼻を鳴らした。その手の短剣はなぜか、喉の寸前で止まっていた。どういうことだ? 殺すつもりじゃなかったのか? 魔術師を見ると、冷や汗一つかかず、まだ睨み続けている。


「気が変わった」


 そう言うとリーダーは短剣を引いた。危なかった。血の海を見ることはこれで――


「貴様の弟子を先にやろう」


「……え?」


 何を言ってるんだ? こいつは。弟子を先にって、え、僕のことを、先に……?


 気が動転している間に、リーダーは向きを変えると、ゆっくり僕のほうへ近付いてきた。本当、なのか? 本当に僕を殺すつもりなのか?


「さて、この弟子は何を知っているのか、楽しみだ」


 リーダーは短剣を手の中でくるりと回すと、素早い動きで僕の喉にぴたりと刃先を向けてきた。こいつが腕を少しでも動かせば、僕の喉は――嫌だ! こんな苦しい死に方なんて、絶対に嫌だ! 助けてくれ。この状況から僕を!


 自分でもわかるくらい目が泳いでいたが、そんな僕を見つめる顔と目が合った。横にいる魔術師だ。殺される恐怖から逃れて、さぞ安心しているだろうと思ったが、その表情は安心どころか、逆に険しくなっていた。眉間にしわを寄せ、どこか心配そうな目で僕を見ている。心配してくれるなら、早く助けてくれ! 僕は無言の助けを求め続けた。すると魔術師はおもむろに口を開いた。


「わしの弟子が殺される前に言っておくが、そいつはあくまで弟子だ。国の機密など何一つ知らない。知っているのは本から得た知識と、この家の掃除の仕方だけだ」


 殺す意味がないということを冷静に言ってくれた。その通りだ。僕は機密なんて知らない。だから殺しても意味がないんだぞ。


「師弟愛か……そんなものを見せてやめると思うのか?」


「師弟愛など見せたつもりはない。わしは真実を言ったのだ。まあどうせ、これも真実とは受け止めないのだろう」


「痛め付ければ、わかることだ」


 リーダーが無表情で僕を見る。その目の奥はどす黒くて、何を考えているのかもわからない。ただ恐怖の空気が満ちていくばかりだ。


「そうか……それなら弟子を殺せばいい」


 僕は思わず魔術師を凝視した。同じく驚いたらしいリーダーも、魔術師のほうを見る。どういうことだ? 僕を助けようとしてくれていたんじゃないのか? それとも、勢い任せのはったり?


「師弟愛から、今度は裏切りか」


「何を裏切ったと言うのだ。そいつは自らわしの弟子になりにきただけで、何のつながりもない赤の他人だ。わしにはそいつを守る理由などない」


 絶句だった。言葉もないとはまさにこの状況だ。


「師匠からの許しが出た。弟子の命はいらないそうだ。……何か言うことはあるか」


 頭の中で思考がぐるぐると回っていた。魔術師は……こいつは僕を生け贄にしたんだ。少しでも生き延びようとして僕を見捨てたんだ! 三年間も世話をさせておいて、結果がこうだなんて。少しでも頼りに思った僕が馬鹿だったんだ。所詮、こいつは命をもてあそぶ悪人――待てよ。僕は忘れていた。こいつは呪いをかけた本人だってことを。弟子になったのも、呪いを解く方法を探るため。信頼なんてもともとお互いにないものなんだ。こいつにとっては裏切ったつもりはない。当然のことだったわけか。はは……そうだった。僕は憎まれる対象だったんだ。呪いでいつ殺されてもおかしくないんだ。


 そう思って、はっとした。まさか、今起こっているこの危機は、魔術師の呪いの力ってこともあり得るんじゃないか? 今まで僕の反応を楽しんでいたけど、自分が助かるために呪いを再発動したんじゃ……! そうに違いない。そうでなければ、こんな非現実的なことに巻き込まれるはずがないんだ。すべては呪いの影響だ。そして僕は苦しみながら、この男の手で――


「……表情が優れないようだな。言うことがないのなら、楽にしてやる」


 リーダーの右手に力が入る。刃の先端はぶれることなく僕の喉を向く。恐怖で硬直した僕は短剣から目をそらせずにいた。顔は見えないが、魔術師はきっとほくそ笑んでいることだろう。殺したい人間が自分の役に立って死んでいくんだから。思惑通りの展開に満足して、笑いたいのをこらえているんじゃないか? 悔しいけど、僕にはどうしようもない。呪いに対抗する方法なんてものもない。この呪いを、命を奪われることを受け入れるしか選択肢はない。……もう、僕のすべてが終わる。呪いを解く方法を探し続けたけど、不本意ながらここで力尽きる。それほど呪いは強力なものだったんだ。今さらながら気付かされた。結局、魔術師には敵わなかった。やっぱり安楽死の方法を探していたほうがよかったのかもしれないけど、そんな後悔に意味はない。でも最後にどうしても望むのは、安らかな死だ。苦しみがなく、眠るように終わりたい。もしかしたらそれも呪いの力で叶わないかもしれない。それでも、最後に望むそれくらいは……全力であがいてやる!


 リーダーの短剣がわずかに動いたのを見て、僕はすかさず口を開いた。


「待った!」


 大声を張り上げてリーダーを見た。全身の汗が冷たく感じる。


「言うことを思い出したか」


 無表情の目が僕を見つめる。声と体が震えないよう懸命にこらえながら、僕は心を落ち着かせ、そして言った。


「僕は何も知らない。だから、言うべきこともない。お前が僕を殺すと言うのなら、抵抗するつもりもない」


「死んでもいいということか」


 死という言葉に、一瞬弱音が頭をよぎった。


「……そうだ。でも一つだけ頼みがある。ここを……心臓を狙ってくれ」


 言いながら僕は自分の左胸を手で叩いた。


「その短剣で、貫く感じで突いてほしい。力は絶対に緩めないで――」


「おい、恐怖で気でも触れたか」


 リーダーの無表情がわずかに崩れ、不安な目になった。そんなことには構わず、僕は続けた。


「そんなんじゃない。僕は本気だ。目一杯の力で、心臓に突き刺してくれ。くれぐれも外さないでくれよ」


 刺しやすいように、僕は胸を張ってリーダーに見せた。激しく動く心臓の鼓動が響いてくる。もうすぐこの響きも消えるんだ……。しかし、リーダーは僕を見たまま一向に動こうとしない。何をしてるんだ?


「早く刺してくれ。もう覚悟はできてる」


 せっかく覚悟を決めたのに、間が空くとその気持ちが揺らぎそうなんだ! 急かしてもリーダーはまだ動こうとしない。その目は不安から不審なものを見る目に変わっていた。何を警戒する必要があるって言うんだ。


「早くしろ!」


 僕は男達に羽交い絞めにされていることも忘れ、リーダーの腕をつかもうとしたが、当然手は届かなかった。この僕の態度に驚いたのか、リーダーは一歩後ずさる。それを見て、僕の中で妙な感情が沸き起こった。


「お前は僕を殺すと言ったはずだ。何を躊躇してるんだよ。殺してくれと頼んでるんだ。さっさと心臓目がけてその短剣を突き立ててくれ。本当を言えばこんな死に方はしたくない。でももう逃れられない運命なんだ。だったら、お前に頼むしかないんだよ。安楽死が無理なら、せめて即死で逝かせてくれ。僕の、人生最後の頼みだ」


 怒りと恐怖と悲観がごちゃ混ぜになって溢れていた。自分でも感情の抑制ができない。こんなことは初めてだ。心の言葉が次々と飛び出していく。


「言わばお前は死神だ。お前が僕の命を奪う役に選ばれたんだ。だったら責任を持って最後まで役をこなしてくれ。お前は気付いてないだろうけど、そのためにここへ来たんだ。呪いの力に導かれて――」


 唖然とした顔をされても、僕は言葉を止められなかった。


「わけのわからないことを……貴様の弟子だろ。黙らせろ」


「殺してくれと言っている。殺せばいいだろう」


「………」


「心臓を狙ってほしいそうだ。そうしてやってくれ」


「……何をたくらんでいる」


「たくらむとは人聞きの悪い。ただ、殺すつもりがないというのなら、今日のところは帰ったらどうだ?」


「待ち伏せでもさせているのか」


「まさか。お前達に襲われることなど知らなかった。……聞こえないか? 雨音が。まだ小降りのようだが、この辺りの国境沿いは雨が降るとぬかるむ。足跡など残して侵入経路を知られたくはないだろう」


「……追手を付ける気か」


「付けてもいいが、城へ呼びに行くには時間がかかるだろうな」


「………」


「心配するな。わしは両国の和平を願う人間だ。それとも、この国の人間は信用できんか」


 リーダーの顔が無表情に戻っていた。僕と魔術師を交互に見ている。何だ? 今さらどっちを殺すか迷っているのか?


「――だから、僕を殺せ! その短剣を刺せば終わるんだ!」


 ぐずぐずするリーダーに怒鳴った。でもなぜかそっぽを向かれ、そして言った。


「……引き上げる」


 その途端、僕達を羽交い絞めにしていた男達は離れ、リーダーは何も言わず階段のほうへ歩き始めた。


「え、ちょっと……ちょっと待て! 帰るなら僕を殺してからにしろ!」


 リーダーとその仲間達は僕を無視して階段を上がっていく。


「止まれ! 僕を――」


 追いかけようとした時、僕の肩を魔術師がつかんできた。振り向くと魔術師は安心した笑みを浮かべていた。……? どういうことだ。僕はまだ生きてるんだぞ? お前は僕を呪い殺したいんじゃないのか?


 階段のほうを見る。仲間達の列に紛れて、リーダーがこっちを見つめていた。僕と魔術師、どっちを見ているのかわからないが、探るような目付きだ。でもすぐに前を向き、一階へ消えていった。五人の足音が外へ向かったのがわかると、肩をつかんでいた魔術師の手がゆっくり離れた。


「ふう……厄介なやつらだったな」


 そう言って魔術師は作業机の下に落ちているものを拾い始めた。その姿と言葉、そして死ねなかったことが、僕の苛立ちを増幅させた。


「何が厄介だ! 全部あんたの仕業だろ!」


 きょとんとした顔が振り向く。


「わしの……? 何を言っている?」


「あんたが呪いの力で、僕が死ぬように仕向けていたんだろ! それをまるで――」


「待ちなさい。話が見えないぞ。そもそも呪いという言葉はどこから来たんだ?」


「しらばっくれてどうする気だ。僕にはすべてわかってるんだ」


 魔術師は腕を組み、考える素振りを見せる。……白々しい。


「悪いが、本当に話が見えない。初めから説明をしてくれ」


 下手な演技をと思いつつ、僕は感情を込めて話してやった。呪いをかけられたこと。それによって僕が苦しんできたこと。そしてたった今、呪いで殺されそうになったことを。


「ひどい死に方をさせたかったんだろうけど、僕は最後まで抵抗してやった。死からは逃れられなくても、死に方くらいは自分の意思を通して――」


「ではさっきの、男に殺すよう迫っていたのは、本気だったのか?」


「……もう知らないふりはやめろ。正々堂々としたらどうだ」


 魔術師は僕の声を聞いていないのか、一人で笑顔を浮かべている。


「ほう、それは驚いたな。わしの真似をしているものだとばかり思っていたんだが……本気だったのがよかったのかもしれんな」


「僕は自分の方法で死ぬ。あんたの思い通りには死なないぞ」


 僕が睨み付けると、魔術師はにこやかに言った。


「そうだな……わしの側から、順を追って釈明しよう」


 言いながら魔術師は作業机の上を片付け始める。


「まず初めの、お前に呪いをかけたというのだがな、悪いがわしは憶えていない」


 憶えてないだあ? まだ僕を苛立たせる気か。


「もう、いい加減にしろ」


「いやいや本当のことだ。わしは忘れっぽくて、よく城に忘れ物をしてしまう。今日もかばんを忘れてきてしまったしな。その都度、兵士が届けにきてくれるのだが、大抵は新米の若い者だ。わしと会うと皆、明らかに緊張しているのがわかって、ついついからかいたくなるのだ。わしを知らない兵士の間では、魔術師などと呼ばれていることは知っていた。だからおそらく、お前と会った時に、いかにも魔術師らしいことを言って怯えさせようと思ったのだろう」


「じゃあ、呪いはかけてないって言うのか」


「そうだ。わしは呪いなど存在しないと思っている。そんな人間がどうやって呪いをかけたというのだ?」


「でも僕の身には、次々不幸が――」


「思い込みだったとしか言えないな。呪いにかかったから不幸になると信じ切っていた結果、すべての不幸が呪いと関係すると考えてしまったのだろう」


 そんなわけ……ない!


「それなら、今日のことは何だ。トゥアキエ兵が国境を越えて、僕達を殺そうとするなんて……呪いの力が働いて、こんなあり得ないことが起こったんだろ? そうとしか思えない」


「今日の出来事は正直わしも驚いた。両国の間がぎくしゃくしている時に、こんなことが知れたら戦争に発展しかねないことだ。だがこれは現実だ。あり得ないことでも現実なのだ。これには何の力も働いていない。あるのはわしらを襲った男達の国への忠誠心だろう」


 魔術師は机の上の薬品の瓶を並べながら続ける。


「どこで手に入れたかは知らんが、わしが密書を預かっているという根拠のない情報を信じ、あの五人は越境してきた。隠密行動を任されるくらいだ、両国間の状況は知らされていたはずだ。自分達がへまをすれば、最悪の事態になる可能性も承知していただろう。だから、初めからあの五人はわしらに危害を加える気はなかったのだ」


「その気がないから、何もせず帰ったと……?」


「正確に言えば、密書がないとわかったから帰ったというところか。家を探してもない。わしを脅してもない。その弟子を脅してもない。これは本当にないのだと気付いたのだろう。あのリーダー格の男はこんなことを任されるくらいだ、かなり賢い人間だ。密書がないのにわしらを傷付ける理由はない。国のためには大人しく帰るのがいいと判断したのだ」


「じゃあ……じゃあ、僕を赤の他人とか、守る理由はないとか言って、殺させようと仕向けたのは何だ。やっぱり僕のことを殺したかったんじゃないのか!」


「言った通り、リーダー格の男は賢い人間だ。そういう者は相手が開き直れば開き直るほど、警戒心を強める傾向がある。弟子であるお前をわしが殺しても構わないと言えば、逆に殺しにくいと思ったのだ。もちろん、万が一の時は嘘を言ってでも止めさせるつもりではいた。だが、お前がわしの真似をしてくれたおかげで、あやつらをさっさと帰らせることができた。まあ、真似をしたつもりはなかったようだが」


 何か質問はあるか? と言いたげな顔を見せてくる。その間も片付けの手は止めない。


「……全部、嘘じゃないのか」


「それはお前次第だ」


「……油断させたところで、僕を殺すんだろ」


「わしにはそうする理由が見当たらない」


「……呪いはまだ解けてない」


「何の呪いだ? 少なくともわしはかけていないぞ。それでもかかっていると言うのなら、それはお前自身でかけたものではないのか?」


 気付くと膝を床に付けていた。どうしようもない虚脱感に襲われていたのだ。魔術師が言っていることは、多分嘘ではないことはわかっていた。弟子になっての三年間、僕を殺す機会なんていくらでもあった。たった今だってある。でも僕は強引な理由を付けて呪いを肯定し続けた。その反面、心の奥深くでは気付いていたんだ。呪いというのは、本の中だけのものじゃないかと。僕の思い込みじゃないかと。そう思いながらも、自分の心の声を無視してきた。聞きたくなかったんだ。聞いてしまったら、自分で自分を否定することになってしまう。これまで呪いのために振り回されてきた僕は、一体何のためにここまで頑張ってきたのか。呪い殺されることもなければ、安楽死を望む必要もない。じゃあ僕の、今までの努力の時間は何だった。呪いを追っていた月日も、そんな僕自身も、まったくの無意味だったんじゃないか。……すべては自分が招いたことなんだ。自分の行動を肯定したいがために。


「……あなたの言う通りだ。僕は僕に呪いをかけていたのかもしれない。上手くいかないことは全部その呪いのせいして、何も考えなかった。それが一番簡単だったから。都合のいい口実にしていたんだ。今なら愚かだったとわかる。危うく命まで投げ出すところだった。どうしようもないやつに、僕はなっていた……」


 足に力を入れてどうにか立ち上がり、僕は階段へ向かった。


「どこへ行く」


 呼び止められても振り向く気力がない。


「もうここにいる意味はないですから」


「お前はわしの弟子ではなかったのか」


「表向きだけです」


「つまり、弟子ではあるということだな」


 僕は黙って階段に足をかけた。


「それなら、出ていくことは許さん」


 僕は足を止めた。


「わしがお前に教えた三年もの時間を無駄にするつもりか」


「もう無駄になっているんです。時間は」


「それなら、無駄にしない道を選べばいい」


 すると、魔術師は僕のほうへ歩み寄ってきた。


「今、お前を正式に、わしの弟子とし、後継者とする」


「……え?」


 魔術師は僕を無理矢理笑わせようとしているのか……?


「どうだ?」


「つまらないですよ……」


「つまらないとは何だ。この処遇では不服か?」


「冗談話を続けるなら、僕はもう行きますから」


 僕は再び階段を上がる。


「なぜ冗談だと思うのだ」


 問われて僕はまた足を止めた。


「この三年間、僕はただあなたの弟子のふりをしていただけだ。その裏では、あなたを憎んでいたし、怖がってもいた。そんな男が、後継者にふさわしいわけがない。第一、僕は後継者になれるほどの技術や知識を――」


「そんなことはどうでもいい」


 大声でさえぎられ、僕は思わず振り向いていた。階段の下で魔術師がこっちを見上げている。その表情は真剣で穏やかだ。


「これまでわしはお前に様々なことを教え、そしてそれを学ぼうとする姿を見続けてきた。そういう時のお前の目は、決してわしを憎んでなどいなかった。好奇心に輝くいい目をしていた。……身に覚えがあるだろう?」


 僕は魔術師から目をそらした。心を読まれたようで気恥かしかったのだ。確かに僕は教えられることは積極的に学んだ。借りた本で知識がさらに増えると、学ぶ気持ちはもっと貪欲になっていった。正直、楽しくて仕方がなかった。寝る間も惜しい時期もあったくらいだ。でもそんな顔は少しも見せなかった。見せなかったはずが、魔術師にはお見通しだったということか……。


「技術や知識はいつでも得ることができる。だが、そのものに対する興味や好奇心というものは、得ようとしても容易に得られるものではない。その人物の感覚、感情に左右されるものだからだ。わしは技術などよりも、興味を抱く姿勢のほうが大事だと思っている。そしてお前は、わしの思う姿勢を持っている」


 すると魔術師は、僕に向かって手を差し出してきた。


「学ぶ気がまだあるのなら、この手を取れ」


 僕にはこの道しかない。学びたい。もっともっと学びたい――心は叫んでいたが、踏ん切りがつかなかった。魔術師への申し訳なさなのか、それとも……。


「ふむ……後継者という言葉は、お前には重すぎたか?」


 僕はどきりとした。この人は何で思っていることがわかるんだ?


「そんなに気にするな。お前は一人目の、一号というだけのことだ」


「……一号?」


「わしの後継者は何も一人とは言っておらん。わしの目にかなう者が現れれば随時、二号、三号と増やしていくつもりだ。だからそんなに重く考える必要はない」


「じゃあ、僕は後継者じゃなくて、後継者候補……ということですか?」


「そう思ってくれていい。……さあ、どうする?」


 真摯な目が僕を見る。


「いい後継者には、なれないかもしれませんよ」


「構わん。その時は他の後継者を探すまでよ」


「……本当にいいんですか? 僕はあなたを憎んで恐れていたんですよ。そんな人間を信用できますか? まして後継者候補に――」


「わしは同じ話を二度もする気はない。お前はただ、わしの下で学びたいか否かを答えればいい」


 魔術師は差し出した手をさらにこっちへ伸ばした。学びたくないわけがない。僕はいろいろなことをもっと学びたい。魔術師が毎日研究していることも知りたい。まだ読んでいない本も読み切りたい。学びたいことは山ほどある。僕は魔術師を見つめた――呪いは消えたんだ。もう逃げる必要はない。


「改めて、お願いします……」


 僕は控え目に魔術師の手を握った。その途端、魔術師は僕のその手を思い切り引っ張った。体勢を崩した僕は、階段から転げ落ちそうになりながらも、どうにか両足で立つことができた。危うく頭を打つところだった。


「急に、何をするんですか!」


 強い口調で言ったが、魔術師は苛立った顔を向けてくる。


「弟子を続けるなら続けると、さっさと言え。まったく、時間を無駄にしおって」


「む、無駄って……」


「早くこっちへ来い。今晩中に部屋を片付けるぞ。これでは研究が再開できない」


 ぶつぶつ文句を言いながら、魔術師は部屋の中央へ歩いていく。さっきまでの僕に対する優しさはどこへ行ったんだ? 無駄って言い方はないだろう。僕の心にも葛藤というものが――


「突っ立っているなら、手を動かせ」


 苛立った声が飛んできた。僕は慌てて足元に散らばっていた書類を拾い集める。周りを見渡すと、床も棚もかなり物が散乱して荒らされている。これを今晩中にというのは無理があるんじゃないか? 早くても朝方まではかかりそうだ。


「ここが片付いたら、一階も頼むぞ」


 一階……聞いただけでうんざりしてきた。床にばらまかれたあの本の山も片付けるのか。そうなるとおそらく、朝食は食べられないだろう。僕はいつになったら食事にありつけるんだ。今日の朝以外、何も口にしていないんだぞ。いい加減体力もきつい。


「ぼうっとするな。早く動け」


 動きたくても動けないんだ!


「ちょっと、腹が減って……」


「腹が減っていると思うから腹が減る。人は一日食べなくても、生きていられるものだ」


 めちゃくちゃなことを言う。魔術師には研究を再開することがかなり重要らしい。これじゃあ僕も終わるまではこき使われそうだ。でも、言われた通り人は一日食べないくらいじゃ死なない。まして呪いで死ぬこともない。僕はこうして生きている――そう思った自分が何だかおかしかった。三年前の自分とは大違いだ。そう感じて不思議な気分にもなった。思わず笑いそうになった口を引き締めながら、僕は床に落ちている陶器のかけらを拾う。

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